楽しむYahoo!ブログの作り方♪
違反直リンをやめようキャンペーン改訂版(考察用)
今回の改変に関して
とわ日記
「言葉」を読むということ、「言葉」を発するということ。
OYAJIさん、僕はブロガーはその職業や各自が背負っている背景というものでもって差はつかず、対等・・・だからこそ記事というものでコミュニケーションを図ることができる・・・そしてそれが、ブログの醍醐味の一つと認識しています。
であるが故に、あえて今回は少しばかり苦言を呈させて頂きます。
僕はOYAJIさんと他の方々の軋轢・・・過去にどういったいきさつがあったのか・・・その詳細はわかりません。「多分、この出来事のことかな?」という程度のものです。
ですから、僕は逆にそういったことに拘らず、あくまで今回の騒動になった流れのみをもって僕が感じたことを述べさせて頂きますね。
まず、直リンクに関する議論ですが、この議論に関してはこの記事においては話題にしないことにします。
今回、僕が話題として述べたいのは「書き手」としての慎重さの問題です。
「FD・・・お前もか!」
と、怒りの感情を前提に記事を読み、文章を怒りの感情で受け止められることのないようになるべく冷静に書こうと思います。あまり僕はプラスのストロークという言葉を使いたくありませんが(これは後日記事にします)、今回はあえて使います。僕はプラスのストロークでうちますから、OYAJIさんは「プラスのレシーブ」で受け止めてください(そんな言葉、ないとは思いますが・・・)
まず、「何故、改変がらみの記事に対して当事者でない方々が過敏に反応したか?」です。
これは純粋に、「原作者の同意なしに権限を有しない立場の人が添削のような形で公表した」からだと思います。
著作権などの難しいレベルの話ではありません。誰だって、例え駄文・乱文といえども、それぞれのレベルでもって言葉を綴ります。本来ならば、その文章を原作者の許可なく「こういった表現の方がいいよ」とすること自体、気分の良いものではないかと思います。そして自分の言葉で綴った記事を大事にする方であればあるほど、今回のOYAJIさんのアイデアに対して過敏に反応されるのではないかな?と思います。
「善意のアドバイス」と思って行ったようですが、それであるならばまずは「この記事を思うところがあり、別の形で昇華させてもらってもよいですか?」と事前に通知・許可を得るべきだと思いますし、逆に引用などを駆使し自らの言葉でもって作成する方法の方が適切であったと思います。
「色々な文面を見て改変をしてもよいのでは?と判断した」というのはあくまで読み手の解釈です。勿論、記事を読んで色々な想いを馳せるのは自由です。ですが今回の件はそういった「読み手の解釈の自由」の範疇ではないと思います。なぜなら「読み手の解釈の自由という、いわば読み手の内部の問題」ではなく「書き手の解釈、書き手の内部の問題に対して読み手という外部からアクションを加える問題」だからです。そこにはやはり「書き手の意思を尊重する作業・段取り」が必須となると思います。
「転載されていく様子を見て、そんな悠長なコトを言ってられない」のであれば、逆に「転載をしてこういった考えを普及させずに意見交換しましょうよ」「転載許可という部分だけは、やめた方がよろしいのでは?危険ですよね?」という提案でもよかったと思いますし・・・。(これは既に提案されていたかもしれませんが・・・)
原作の記事、そしてその中の意見に対しての反論に関しての表現方法の選択肢は他にもいくらでもあったかと思います。そういった意味でOYAJIさんは一番まずい方法を採用してしまったのではないかと感じました。
次に何故、直リンクの議論をしようとしているのに話がずれるの?何故、他の人間がずらそうとするの?に関してです。
ここはあえて厳しい言い方をさせて頂くとするならば・・・「そのきっかけを作ってしまったのは、ほかならぬOYAJIさん」だからです。
直リンクの問題・・・OYAJIさんはシリーズ化した記事でもって閲覧者に対して訴えかけてましたよね?その時には、こういった事態・・・発生してましたか?転載した先のブロガーが、訳のわからない文句をOYAJIさんにぶつけていた時もあったようですが、基本的に論点がずれずに展開されていってたと思います。
そして・・・あの記事です・・・そこからですよね?話がズレてきたのは・・・。
あの記事・・・もっと違う形で世に出ていたなら・・・?いかがでしょう?こんな展開になっていたでしょうか・・・?
「直リンクに関しては僕もよくわかっていないから、これを機会に勉強したい」と思い、転載&トラックバックの迷宮をさまよいつつも読み続けていましたが、あの記事を読んで「???」「勿体無い!」となってしまったのが正直なところの感想でした。
最後に反論・批判について・・・です。
誰しも、自分が行う行為に対してチャチャが入ること自体、気分の良いものではありません。自分が行う行為がよかれと思ってした行為であればあるほど・・・。
web という池(世界)に、記事という石を投げた途端、その石(記事)の材質(内容)によってどんな波紋が起こるか・・・それは過去にもOYAJIさんは身をもって体験されているハズです。
選択肢のメリット・デメリットを考慮し、記事の方向を定める。そして、その記事の内容に対しても更に公開するメリット・デメリットを考慮する。そして、その記事を構成する・・・積み上げられる言葉・表現に対しても注意を払う・・・そういうことによって記事は構築されていくと思います。
「もとより批判・非難は覚悟の上」という断固たる意思で行うこと・・・その行為には敬意を表します。が、だからといって「受けなくてもいい批判・非難を自ら受けに行く、若しくは受けやすい行動をする」こととイコールにはならないと思います。
OYAJIさんのコメントの内容、そしてあの記事以後の日常記事の中にちりばめられた一言一言・・・言葉を慎重に選ぶ「臆病な僕」から見ると、「自ら相手にカチン!(怒)と思わせる匂い」がプンブンです・・・(涙)
(確かに、一部のOYAJIさんのブログにコメントされる方にも「カチン!(怒)」を誘発させる文言が見受けられますので、そういったあたりは「おあいこ」なのかもしれません・・・。)
喜怒哀楽という感情自体、人間ですから当然持っています。僕自身もおそらく人よりもその揺れ幅は大きいと自覚しています。ただ、記事にせよコメントにせよ、その時々の感情をそのまま書き殴る・・・それは時に自らに災いとなって戻ってきます・・・まるでブーメランのように・・・。
僕自身も、今回の件を通じて、OYAJIさんが「素敵な記事」と称して紹介していらっしゃる「とわさん」の『「言葉」を読むということ、「言葉」を発するということ。』という記事にもあるように、「言葉・表現力の持つ重要性」に加え、「言葉・表現力の怖さ」というものに関しても今一度考えなくてはいけないなと感じました。
前回、転載機能に関してやりとりをさせて頂いた時と同様、論破だとかそういった趣旨でこの記事を書いたつもりはありません。ただ若干、前回よりも踏み込んで、ちょっとだけ第三者として見させてもらったなかでOYAJIさんの中にエッセンスの一つとして取り入れてもらえたらと思い・・・苦言という言葉を使用し記事にさせて頂きました。
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「言葉」を読むということ、「言葉」を発するということ。
