【FDの考え】

日常の、些細な事柄から心の琴線にひっかかったコトについて書き綴ってみようと思います。

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「私であれば・・・」と、それに当てはまらない場合の許容範囲・・・

楽しむYahoo! ブログの作り方♪のOYAJIさんが・・・

相手へのアドバイスの是非について(sen_nin_kiyamaさんへ)


・・・という記事を書かれました。

きっかけとなっている記事・・・(参考にしてください。以下、この記事において「参考記事」とします)
あなたの善意の転載で自殺予告の子供を救って下さい!!




今回の一連の転載騒動に被せた形ではなく、思うところがありましたので、記事にしてみたいと思います。



まず、前提①・・・


前提① 転載にまつわる騒動は、これがはじめてではないこと

僕はOYAJIさんと、もう幾度となく交流をさせてもらっています。ですから、少なくとも約一年間のOYAJIさんにまつわる騒動を見させて頂いてました。ですから自信を持ってこの前提が書けます。この前提を書いておかないと「いや、こういうパターンははじめてだから・・・」という展開になりそうなので・・・。


さらに、前提②・・・


前提② 過去の転載問題から現在にかけて、様々な危険性が意見としてだされていること

個人的に色々な意見が出るのは自由です。人の脳内まで支配することはブログ記事ではできません。しかし、自分とは異なる意見を、他のブロガーの記事を読み取ることによって「あぁ、こういう意見もあるのだ」とインプットすることは可能です。過去の転載記事問題から、現在に至るまで、転載機能に関する問題点は出尽くされているかと思います。


そして、前提③・・・


前提③ 解釈はどうあれ、転載された記事は自分のフィールドの外に出てしまい、相手のフィールドに入ること

著作権法がどうとか、そういった小難しい解釈は、あくまで概念のやりとりであって、現実問題として転載機能によって転載された記事は「自分のブログ内、自分がコントロールできる範囲内から、他人のブログ内、その他人がコントロールする範囲内に移動してしまい、自分のコントロール範囲から外れるもの」となってしまいます。



これらの前提を踏まえ、今回の記事から感じたことを・思ったことを書きます。




感じた結論①:「危険予見が低い」

毎回毎回・・・騒動が起こる度に僕が感じていたことなのです・・・「OYAJIさんは、自分が選択したアイデア・行動が、周囲にどういった余波を与えるか?また、その選択したアイデアや行動に対して、どんな批判が返ってくるのかを考えてないのかな?」といったものです。


ブログは思ったこと感じたことを綴るツールです。ですから、究極は本人の好きなように書けばいい・・・しかし、脳内で発表されることと違い、記事として投稿した途端、誰もが見ることができる状態となります。


当然、異なる意見や反論が出ます。


「もし、このアイデアが世に出た場合、どういった余波が出るのかな?どういった反論が出るのかな?」


・・・という予測は、あってしかるべきだと思うのですが・・・。その予見をしていらっしゃらないのでしょうか?


今現在、僕が覚えている限りの「僕がOYAJIさんの立場に立った場合における危険予見」は以下の通りでした。


「善意の転載の記事」関連・・・
○ティッカーなどの部分は、「宣伝だ!」と思われるかもしれない・・・
○いつものように、二次転載以降のお願いは、記事内容と矛盾した行為と指摘されるかもしれない・・・
○転載によって拡がってしまった場合、万が一記事に誤りが発覚した場合、大変になるかもしれない・・・
○拡大してしまった記事に関して、悪い展開が発生するかもしれない・・・
○自分が思った善意が、否定されることになるかもしれない・・・
○他の転載記事と同様、二次転載以降へのお願いは、自らの善意を否定されることになるかもしれない・・・


これは危険予見ですから、「良い展開」は省略してあります。更に「善意の是非」、「いじめ問題の是非」や「転載されるメリット」を話している訳ではないのでそれを材料とし反論しないでくださいね。



そして、冒頭で紹介した記事のやりとりです・・・



該当の「善意の転載記事」がどういった意図で転載されたかはわかりません。本当の大元の記事を転載不可に変更したOYAJIさんは、転載された先にいつものようにお願いに行き、アドバイスをされました。


そして、転載をした当人及び周囲の方々から反論を受けました。


その後、OYAJIさんのブログ内で泥沼なコメントのやりとり・・・正直、ここは僕も見てて見苦しいなと感じました。(これはOYAJIさんだけを指していません)




感じた結論②:「アドバイスの範疇を超えている」

過去に僕も記事で示したように「転載元の著作者が後で転載を不可にしても、二次転載をとめられない」ことは周知の事実だと思います。


OYAJIさんはおそらく「自分は著作者だから、転載を不可にしてあっても、自分が転載する分にはいいだろう」という判断で他のブログにあった記事を自分のブログ内に転載してきました。


ここでも危険予見の低さが出ています。「紛争の大元となっている記事を、自分が自分でブログにひっぱってきた場合、どのような展開が予想されるか?」という点です。


やはり、予想どおり、転載されました。


ここで正直に告白しますが、僕も自分が持っているYahoo!ブログに転載をしました。OYAJIさんのとこにあった記事と、他ブログにあった記事の二つです。ちょっとした理由があったので・・・。しかしやめましたがね。


OYAJIさんは、他でもやっているように参考記事に対して「お願い」にあがりました。そのお願いの理由は、ご自身の転載機能に関する解釈が根拠となるものでした。



ここで前提②とからみます。「転載機能に関する解釈は、絶対なものではない」という点です。



「絶対なものではないから、『可能性がありますよ♪』というお願いなのですよ。」と言われそうです。



百歩譲って、(実際にはここにも異論があるのですが)このお願いはよしとしましょう。しかし、二グループ目のコメント群から言葉が与える印象が様変わりしてきます。



削除される可能性を示してあげてるのに、それをお伝えすることが酷いことなのかという疑問と、それを知らなかった場合はお礼の一言もあってもよいのでは?というコメントをされています。



もう、この時点でアドバイスの範疇を超えているのです。



アドバイスをするのは自由です・・・が、それを相手が受け入れるかどうかはわかりません。OYAJIさんは「アドバイスは、完全に受け入れるべきもの」という考えであり、さらに「お礼の一言もすべきもの」というスタンスでいます。




感じた結論②:「アドバイスの是非ではなく、私の是非」になってしまっている

上の二ブループ目以降、展開はおかしくなってしまいました。「転載元が不可にしてあったって、転載できるのだから」「著作者が自分で転載したものを転載したって」「善意で転載しているのですよ?」・・・などなど、様々な反論が出始め、それに対してOYAJIさんが反論・・・


結果、言及記事である「相手のアドバイスの是非について」という記事に・・・



「こうこうこういう理由で、アドバイスをしたのに、逆襲されてしまった。私のアドバイス内容はダメなの?」的な記事ですが、前述したようにアドバイスの範疇を超えてしまっています。そして、自身のアドバイスを相手に受け入れさせるために何度もコメントを行っています。


アドバイスをする行為そのものは、さして悪いことではないと思います。しかしながら、その内容・状況・表現方法によっては否定される、そして、そのアドバイスを受容するかしないかは受けた人次第ということを覚えておく必要があると思います。



「自分は、著作者で著作者人格権及び著作権を有している。だから言う権利があるのです。」という言われ方もされそうです。



それは、前述したとおりOYAJIさんの解釈であり、絶対的なものでないです。だからこそ、先程の最初のお願いについて僕は「百歩譲って」と記しました。


ですが、それ以降のコメントのやりとり・・・当然、そういったコメントにもコメント者の人格がでます。そういったもの全てを包括し、「その人のアドバイスは、受け容れられるに足るか否か?」がアドバイスをされた者より判断されます。



アドバイスという行為そのものは、誰も非難はしないでしょうが・・・アドバイスの内容・状況・時期・その後の言動に関しても判断されます。そういったもの全てを総合して「良いことでしょうか?悪いことでしょうか?」と考える必要があるかと思います。




結論③:「私であれば・・・」が当てはまらないことがある。そして、それを踏まえなくてはならない。

今まで、OYAJIさんと結構な時間、お付き合いさせて頂いてますが・・・こう感じました。



「私であれば・・・」を非常に強くうちだしている。それに当てはまらないことに対して外にうってでる。



です。



OYAJIさんは、前述の「お礼の一つもあって・・・」発言でもあるように、更には自分の予想に反しない反応に対して非常に過敏に反応をされます。



「私であれば・・・」で、相手は支配できない。相手の考えを変えることはできない。当てはまらないことがある。
「私であれば・・・」で、自分の行為を正当化することはできない。何が正しくて何が正しくないかは、外部に表現した時点で色々なものと関連し、判断される。



人の性格・気質は千差万別です。逆に「私であれば・・・」が通用しないことの方が多いと思っていた方がいいです。これは、差別でも性悪説でもなんでもない。「人が人として、個体を持つ以上、不変なこと」です。



結論①「危険予見が低い」でも述べたとおり、多分OYAJIさんは「最初のコメントで転載しないでと入れておけば誰もしないだろう」という予見をしました。「私であれば、これを転載しない」です。

しかし、意に沿わず転載されました。転載先にお願いをしに行ったら、周囲も含め逆襲をされました。「私であれば、お願いは受け入れる」にも関わらず、です。「お礼の一つでも・・・」が象徴されています。

そして泥沼のコメント応酬・・・

「私であれば・・・」のOYAJIさんは、最終的に「私がしたアドバイスって悪いこと?」と・・・「私であれば、アドバイスは甘んじてうけるもの」です。


いじめ問題を扱った善意転載記事にしたってそうです。誰もいじめ問題自体を茶化していない、転載機能による記事の頒布に対して危惧して意見記事しているのに、「私であれば、いじめ問題を扱っている記事の転載行為に批判はしない」というスタンス・・・。



「私であれば・・・」は、様々な局面において「自分だったらどうする?」と自問自答するツールとしては絶対に必要なものです。常に自分を顧みて、反省して次に生かす・・・しかし、相手の考えを変えるためや反論としてツールとして使用するには・・・危険です。


ネットの匿名性というものは、時に危険なものですが・・・逆にその人が持つ背景や肩書きを抜きに、純粋にその人の意見だけで勝負されます。


その人の意見が正しいのか、納得できるものなのか?を純粋にその人の(ネット上での)意見や行動から判断されます。


「私であれば・・・」の多用が、どういった反応になるか・・・これは、既に出ているものと思われます。




感じた結論③:「転載機能の現状の仕様・多様な解釈、低い危険予見性、私であればの気質を合わせるとOYAJIさんは転載機能を以後、使うべきでないのではないか?」

過去に示してきた転載機能の現状の仕様、そしてそれにまつわる多様な解釈・・・そして、この記事に前提としてあげた事項・・・。考えとしては・・・


転載機能は、トラックバック以上に相手の懐にもぐりこむもの


になります。


なにせ「自分の記事が相手のブログで公開されてしまう」ものなのですからね・・・。



そこにOYAJIさんの低い危険予見性が付加されます。「・・・たら」「・・・れば」をあまり考えていない(ように見える)・・・。
例「自分の純粋な善意を、転載記事で広めたたら、揶揄されないか?」



そして、予想される「・・・たら」「・・・れば」に対する対処法も、準備していない(ように見える)・・・。
例「転載記事を何らかの事情で、転載不可を余儀なくされたら、どうする?」



極めつけは・・・「私であれば・・・」です。


この気質が故に、「相手の懐に飛び込んでしまった転載記事」に対して「相手のブログでアドバイス」をする・・・その数も増える・・・アドバイスを受け入れないことに対して「私であれば・・・」です。


いくら綺麗な言葉でお願いしても、反発を食らうこともあります・・・。そして反発を食らった場合・・・更にそれに対応・・・。




泥沼です・・・(涙)




「私がどう言われようと気にしないですよ♪」とも大いに矛盾しています。どう言われようが気にしないのであれば、異論・反論に噛み付き続ける必要なありません。そして、「私がどう言われようが気にしないから相手にコメントし続ける」というのも違います。



転載機能が相手の懐に記事が行ってしまうものであり、更に色々な危険性が含まれているものであり、且つ「私であれば・・・」というスタンスを持ち続ける限り・・・。絶対にOYAJIさんは衝突します。



相手の懐に潜り込む転載機能、「私がどう言われようが気にしない」にも関わらず相手のブログに行き「私であれば・・・」的発言、反発された際に更に相乗・・・。




僕は「もう、OYAJIさんは転載機能を使うべきではないのではないか?」と思ってしまったのでした。




締めの言葉・・・皮肉なものです。


皮肉なものです・・・孤軍奮闘するOYAJIさん・・・僕自身、OYAJIさんを今でも嫌ってはいないです。しかし、いつも不思議に思います。あれだけ多数の支持者(ファン?)を得ていながら、こと騒動に関しては殆どの人が意見記事を発しない。また、明らかにOYAJIさんの言動・行動におかしな点があっても、誰も苦言を呈しない(とわさんくらいですかね?第三者にも分かるようにしているのは。)


ある意味、初心者の危険予見なのですよ。「OYAJIさんに苦言を呈すると、思いっきりコメントされてしまう。」という・・・。



そして、参考記事・・・これも皮肉なものです・・・。


OYAJIさんのところから転載されてきてますから・・・ちゃんと転載元が「楽しむYahoo!ブログの作り方♪」になってます。外見上は、著作権侵害になってないのですよ・・・。よっぽどその他の善意で転載された二次転載記事以降の記事の方が著作権侵害という点では問題です。


「著作者の意に介しない」にしたって、立証が大変です。原作者(著作者)の元にある記事を、設定されている機能で転載してきたのですからね・・・。前提①で示した過去の多くの議論から、危険性は理解しているハズなのに・・・という話になります。一応、転載した本人は「善意で」と言ってますし・・・。




本当は、僕はいじめ問題に関する善意転載記事問題には関与しないつもりでいました。しかし、最近、ぐちゃぐちゃになって訳が分からない状態にあります。だからこそ、もうケリをつけたいなと思い、この記事を書きました。



この記事は、僕なりのOYAJIさんへのアドバイス・お願いです。OYAJIさんが仰るとおりアドバイスすることは悪いことではありません。そして、僕はOYAJIさんのように僕のアドバイスをOYAJIさんに全部聞き入れさせようとは思いません。コメントで粘着もしません。


ただ・・・どこかで・・・どこかのタイミングで・・・OYAJIさんの色々な点を改める・・・いや、語弊があります・・・現在OYAJIさんが有している常識に、もう少し何かを足しておかないと・・・この転載機能に限らず、トラブルは絶えないような気がします。


睡眠時間を削って対応されているOYAJIさんに対して、大変だ・・・と思ったので記事にしてみました。




追伸:現在、OYAJIさんのブログでコメントしまくっていらっしゃる方々・・・そのコメント内容そのものに異論はありません。むしろ、賛同できます・・・が、コメントしまくってる行為そのものは、第三者の立場から見て賛同できません。皆さんが揶揄される粘着コメントと同じ土俵に立ってしまっています。伝えようとする考えが正当なものでも、伝えようとする行動がおかしいと、その考えそのものがくすんでしまいます。それは、「善意の転載記事」で論じられたこと(いじめをなんとかしようとする善意が、チェーンメールのような行為によってくすんだこと)と同じになりませんか?

ブログを持っていらっしゃらない方はコメントしか表現することができないので仕方ないにしても、ブログを持っていらっしゃる方は是非、記事にての応酬を提案したいです。

そして、OYAJIさんも、やったらやりかえすで嫌味たらたらのコメントをすべきでないっす。汚い言葉・罵る言葉は使っていなくても、文章という形になった際、嫌味・皮肉になることはあります。そして、それが引こうとした相手の気に障ることになります。自分の言葉で自分の首を絞める形になっています。

現在、双方ともコメントの悪い点(発言を精査する時間がなく、感情におもむいたものになりやすい点)だけが露出しちゃってます。


是非、ご一考ください。
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テーマ:ひとりごと - ジャンル:日記

コメント

ありがとうございます。

いや、異なる意見や反論があるのなら、その反論をする時間を
自分で自分の思うやり方で浸透させていく努力をその人は
自ら行なうべきであって、人を批判する前に自分でやれ!って思います。
で、それはそれで、私自身は批判に対しては反省し、
自らの行動に反映させていく必要があると思います。
・ティッカーなどの部分はそれを配置した意図を正しく汲み取る姿勢が大事だ。
・二次転載以降のお願いは、相手のためを思っての行動だと理解すれば批判などはしない。
・万が一記事に誤りが発覚する可能性が非常に低いニュースソースなら問題は無い
・悪い展開が発生しても全てに対応する覚悟があれば良い
・自分が思った善意が理解されなければ、理解されるように対話をすれば良い
等々・・・。
結局「理想が高い」って事になるのでしょうか・・・。

>それを知らなかった場合はお礼の一言もあってもよいのでは?
というコメントについては、批判に対しての渦中の受け答えですし
相手先ブログに対しても懐疑的な部分が拭えませんので
ああいった対応になったのです。
スタンスの受け取り方が全然誤解されていますよ・・・。

>その内容・状況・表現方法によっては否定される、
>そして、そのアドバイスを受容するかしないかは受けた人次第
はい、それは理解していますし、注意する必要はあると思います。

「お礼の一つもあって・・・」という言葉は、言ってみれば
ケンカの際の「売り言葉に買い言葉」ですよ。
そんなもん、普段から相手にぶつけませんって;;
・・・って書いたら「正当化してる」って言われるのでしょうかね。

「私であれば・・・」の多用に関しては、それにより何か相手が
感じてもらえれば良いという判断からのコメントです。
価値観の相違からくるこのようなやりとりの場面で、
相手を批判せずに気付いてもらうようにするためには
今の私のレベルではそういう切り返し以外の方法が
実際思い浮かばないです(泣)
で、別な方法などの「結論」があるのかと思って
読み進めましたが結論的には
「危険だからその言葉は使わないほうが良い」なのですね。

異論・反論って、相手側からこっち側に向かって「噛み付いてくるモノ」
じゃないのでしょうか?こっちから行ってるわけじゃないですよ?
で、来るから対応するのであって、スルーしたらしたで、
「無責任だ!」って批判が来ることが充分に予測されるので、
スルーせずに対応するんですよ。

最後の「やったらやりかえす」部分には大いに反省点が
あるとは思っています。なかなか直らない部分ですね。
ただ、このエントリーでも「再転載してしまった人」を
どうしていくかについての解決案が見受けられませんでした。
現実問題としての進行形問題は置き去りなのでしょうか。
ともあれ、ありがとうございました。
何度も拝読させていただいて熟考し反省したいと思います。

  • 2006/12/16(土) 18:58:14 |
  • URL |
  • OYAJI #miF8IKPo
  • [ 編集 ]

そうですね。

「OYAJIさんは発信をされた。そこに脆弱性があったのでそれを改めて見直して改善をした。」これだけでOKです。恐らくはFDさんの記事を見て心の中で「そうだよなぁ」で最初はいいと思います。

FDさんのこの記事には全面的に賛成です。読む機会をくださって感謝デス!

  • 2006/12/16(土) 19:57:14 |
  • URL |
  • おや #-
  • [ 編集 ]

常に自らを責める・・・

OYAJIさん、こんばんは!

正直、今回の騒動、OYAJIさんにTBをうつのは控えていたのです。「いじめ問題」「善意」というとても大きなテーマで反論してこられたら、堂々巡りになるのが明白でしたので・・・。

・・・が、最近はそんな大きなテーマもどこかにいってしまった様子・・・それは、OYAJIさんだけじゃなく、周囲の対応も問題あると思ってます。もちろん、僕も含めてね。


今回の、この記事のOYAJIさんのコメ見て、「私であれば・・・」が如実に出てるのですよ(笑)前段の>それを知らなかった・・・のところまでです。(但し、「では自分でやってみて」の部分は除きます。それは別テーマでいつか記事にします。)


あれ・・・全て記事を読んだ読み手に依存し過ぎてるのですよ。僕は反論書とか、相手へのお願い文を作ることも仕事の範疇・・・そして相手がこちらの言い分を受けてくれることで、僕の依頼人は喜ぶという仕事なのですが・・・もし僕が自らの文章を鍛えることをせず、読み手への期待だけをかける方法だけを採っていたら・・・おそらく僕への仕事は無くなります(笑)記事にして公にする、自分の意見を世に出す、賛同者を増やすというのは、「常に自らを責めよ」なんですよ。


あと、これは嬉しい点!OYAJIさんが自らご自身が熱くなる点を認めてくださった点!・・・この点と、理想の高さともリンクするのですが・・・。


「いじめ問題」にせよ「善意の捉え方」にせよ「批判をせず肯定的な意見を」にせよ、物凄く高い理想ですよね?そして・・・ここで一番重要なのは「まず、自分が実践せよ」なんですよ。相手がケンカ口調できたって、こっちは絶対に自分が提唱している姿勢を崩しては駄目なんです。提唱していることだけが理想高く、でもイザちょっとでも波風が立ったら短気な自分が表れ、噛み付いてしまう・・・。ROMしてると・・・この矛盾、凄く感じます。


そういった意味ではOYAJIさんはメチャクチャなイバラの道を選んだかもしれません。僕もハッキリ言って短気です。正直、メチャクチャ言葉も荒いんですよ(笑)だから、僕は相手に対してあまりOYAJIさんの言うような理想をぶつけることができないんです(笑)「FD、そういうお前だって、やれてないじゃん♪」って言われるだけですから(笑)


だから逆に、「常に自分を責める」ようにしてます。自らの表現方法があまかった。自らの普及方法があまかった。危険予測があまかった。等々・・・。


もし、自分から離れる人が現れても、次、同じような状況になった時には同じ過ちは繰り返さないようにしよう・・・と考えていますよ。


文章・言葉の神様がいて、その能力が100%だとしたら、自分はまだ何%も達していない・・・それくらいに思っていた方が自らを向上させることができますって^^


その姿に・・・きっとOYAJIさんの賛同者は、今以上に応援をされると思いますよ。

  • 2006/12/17(日) 00:32:47 |
  • URL |
  • FD #rHC6qD16
  • [ 編集 ]

おやさん こんばんは!

おや さん こんばんは!

褒めて頂き、ありがとうございます!


おやさんの仰るとおり、「そうだよなぁ~」でいいっす(笑)


僕はOYAJIさんは、全ての物事に真正面に受け止めてしまう気質の方だと思っています。(OYAJIさん、OYAJIさん宛のコメントじゃないのに登場させてしまってごめんなさい)


だからこそ、冗談や皮肉、深読みしなければならない言葉や表現の全てに反応してしまう・・・。


・・・人生にスレてしまった(いや、疲れてしまった、という方が正しいかも)僕には、まぶしくみえます。

  • 2006/12/17(日) 00:59:05 |
  • URL |
  • FD #rHC6qD16
  • [ 編集 ]

OYAJIさんへ、追伸です

OYAJIさん、とは言うものの、やはり人間・・・喜怒哀楽はあり、怒りに体が震えることもあります。僕も短気ですからわかります。

そんな時は、いったんPCの画面から離れましょう。

それでも駄目な時は・・・秘密コメントでも僕にぶつけてきてください(笑)

  • 2006/12/17(日) 01:09:32 |
  • URL |
  • FD #rHC6qD16
  • [ 編集 ]

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このコメントは管理人のみ閲覧できます

  • 2006/12/17(日) 17:27:51 |
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今、敢えてOYAJIさんを擁護してみる。

様々な場所で批判の矢面に立たされ、孤軍奮闘しているOYAJIさんの姿を見るにつけ、ある種の「異常さ」を感じてしまうのは、私だけであろうか?そう、これはまさに「いじめの構図」だ。。「真面目だから」「みんなの言うことをきかないから」「自分だけ良い子になろうと

  • 2006/12/18(月) 21:01:21 |
  • 児島の仙人のきまぐれメモ

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