自殺する子供の想いと親について(FDさんへの返事【1】)
という記事を書かれたので・・・OYAJIさんの記事の趣旨とは反するかもしれませんが、返事の記事を書こうと思います。
「もう、OYAJIさんに対して記事を書く事はないかな・・・」と・・・前回の転載機能の騒動の際、思っていました。だからトラックバックもせずに記事を書いていました。しかし・・・また縁ができましたね。
ここ数日、仕事に追われていたので、ROMはできていたのですが、記事作成やコメントはできませんでした。ただ、ROMをしていたおかげでボンヤリながらもOYAJIさんに感じたものが僕の頭の中で構築されつつあります。
3つの記事のタイトルが浮かびました。そして、その記事の趣旨はこういったものです・・・。
心の中の天秤、「記事とコメント」
考えさせる記事を書く度に、何故紛糾するのか?を考えてみました。
大いなるテーマに頼るべきか?
ブロガー同士の意見交換におけるアプローチを考えてみました。
まずは己を責めよ。
上の二つを踏まえた上での総括的な内容です。
一度に三つの記事は完成できませんので、まずは最初の「心の中の天秤、『記事とコメント』」について記述していきます。
ブログ上の善意で人の命を救った事実という記事のコメント欄でOYAJIさんは、僕にこうつぶやきました。
ブログって感情を出して書いてはいけないのでしょうか?それは記事の種類に拠るのだったら構わないのでしょうか?それとも感情をいつも押し殺して書かなければならないものなのでしょうか?
2006/11/15(水) 午後 8:47 OYAJIさんのコメントを一部引用
日記、創作小説、エッセイ、自作品の掲載・・・ブログのスタイルは本当に十人十色です。表現した結果がどういったものであっても、そこに原作者の気持ちが込められます。
ですから、ブログに感情を込めるのはなんら問題ない訳です。喜怒哀楽・・・そして葛藤などといったものを自分の言葉で表現する・・・それこそブログの真骨頂だと思います。
さて、この辺りで「じゃあFDさん、好きなように書いていいのに、なんでこんな展開になっちゃうの?」などという疑問がでてきそうですよね?僕はOYAJIさんのブログ記事に関するアプローチを、読者の立場で眺めるとこんな印象をもっています。(解説記事は除く。)
記事:コメント = 2:8 (記事の割合「2」という数字は、記事内の注意喚起文・宣伝なども含む)
です。
「そんなことない!」と既に、コメントの返事をうつ準備をしていらっしゃるかもしれませんね・・・(笑)
コメントそのものを否定するのではありません。記事の発展としてコメントのやりとりがなされれば・・・。しかしながら、コメントを記事の後付け説明や違った題材を持ってきて相手にぶつけるものに多用した場合・・・記事そのものが薄れてしまいます。記事とコメントが乖離したような形になってしまう訳です。
おそらく記事とコメントの理想系とはこういった形ではないでしょうか・・・。すみません、画像に関する技術がないので、物凄くチープなものしかできません(涙)その辺は御容赦ください。
記事とコメントの関係(ひろがりの線はコメントをイメージ)

あるテーマが記事にて投げかけられ、それに対して、賛成・反対・・・または「こうしたらどうか?」などのアイデアが記事を中心軸として拡がりをみせる・・・。
しかし・・・OYAJIさんの記事に対する僕のイメージは、こうです・・・。

記事で伝えたいことがあり、読者はその記事を読み、コメントをしてくるのに対してOYAJIさんは色々な題材を持ってきてコメントを長文で形成する・・・。
これでは、記事を中心にした発展は望めません(涙)
「仕方ないですよ。Yahoo!ブログは文字数も限られているし・・・。」という意見も出そうです。
仕様の問題ではありません。OYAJIさんの記事に対する姿勢の問題なのです。
「2:8」で示した数字・・・これは物理的な文字数だけの比率ではなく、OYAJIさんの気持ちの重さの比率ではないかと考えます。直線的な表現をするならば、「記事でしっかりと考えを書くべきものを、第三者からのコメントに呼応して、後付けで補完している。」訳です。ですから気持ちとしては記事のウェイトが少ないのです。
通常、あるテーマで記事を書こうと思った場合、様々なコトを想像します。自分の思ったこと・感じたこと、そして、文章の構成(起承転結など)、自分の意見に対して異論が出た場合はどうするか、などなどです。
勿論、人の考え方は十人十色ですし、書き手の文章能力の問題、読み手の読解能力の問題もあります。ただ、書き手の責任としては、考えうる要素を全て盛り入れ、記事に注入します。ですから、記事にしっかりとした軸ができるのです。
多分、OYAJIさんは、この段階での作業をかなり飛び越して掲載・投稿ボタンを押しているのでは?と感じるのです。
賛成・反対・異論・反論・・・読み手の反応は様々です。自分の考えに100%合う人の方が少ないと思った方がいい・・・でも、自分の考えを公にするにあたっては、やはりそれなりの準備を必要とします。
そしてコメント・・・です。
軸ができている文章に対しては、当然反論される方もそれなりに構えてコメントされます。しかし、軸ができていない文章には、コメントする側も難しい訳です。ですから、抽象的な反論コメントになってしまうこともあります。
そこにOYAJIさんのコメントが加わります。
人間、誰しも自分の意見に対して毛並みの違うものが出てくると、反応してしまうのは仕方ありません。それは僕だって同じです。
「大いなるテーマに頼るべきか?」という記事で詳細は述べますが、OYAJIさんのコメントに関する僕の印象は「基本スタンスが、異論に対して勝ち負けの線引きをつけたがる習性」「記事テーマよりも大きなものを引っ張ってくる習性」があるように感じます。そして、前述したようにOYAJIさんのコメントには総じて後付けによる補完説明の種類のものが非常に多い気がします。
ここでは、後付けによる補完説明の部分のみ言及します。残りは別のテーマで言及します。
何かしら読み手からのアクションがあり、それに対して「いや、こうなのですよ」という後付け説明・・・僕自身もあります。誰しも完璧ではありません。・・・が、OYAJIさんはそれが多い・・・。
原因は、記事に対する姿勢・・・投稿ボタンを押すまでの準備不足ではないかと思います。そして・・・それが何故起きるのか?・・・それはOYAJIさん、「ブログ作業のうち、他にかける時間が多い」のだと思います。更に「そういったことを意識していない」のだと思います。
二次・三次転載の件で、OYAJIさんはお礼とマナー啓蒙のために東奔西走しました。重い Yahoo!ブログ・・・一つ一つ処理していくには相当の時間を要するでしょう。そして、初心者からの質問・・・トップページに「いじめ」という重いテーマが掲げられているにも関わらず、「自称・初心者」はどんどん質問してきます。そしてその処理・・・。
一日24時間、という一人に与えられた時間は限られています。上記のような作業をしつつ・・・記事作成をする・・・。とても記事推敲にかける時間など、ないように思えてしまいます。
推敲、という言葉は、決して誤字脱字だけをチェックする作業ではありません。文章構成、自分の考えはうまく表現されているか?自分の考えに対して異論・反論が出た場合の対処、場合によってはその意見を想定しての文章挿入・・・。
テーマが重い内容であればあるほど・・・その作業は慎重に行なうべきものです。
僕は、いじめ問題について記事を書きませんでした。書けませんでした、という表現の方が正しいかな。簡単に口にできないテーマですし、書き始めた途端、筆がとまったんです。
でも・・・そのおかげで色々と考えましたよ。そして、そういうコトが大事ではないでしょうか?
「記事が大事。まず記事ありき。」と、色々なところで言われるこの言葉・・・。僕は、記事として公に発信するのは結果であって、この言葉は、記事として公に発信するまでの間、考え、思い、悩み、大切な自分の時間を使うその過程が重要である、ということも含まれていると思っています。
OYAJIさんがそういったことを全く思っていないなどとは思いません。・・・が、扱うテーマにしては、安易な感覚(テーマそのものではなく、記事作成に対してですよ)で記事掲載しているのではないかなと感じました。そして、それは・・・コメントで付け加えるクセが身に付いているが故にそうさせているのではないのかな?と思いました。
書物などの発行と違って、ブログはコメントがありますから読み手からの反応がダイレクトに書き手に伝わります。それがブログの良いところだと思いますが、僕は記事掲載にあたっては「コメントで追加補完しないもの。新聞や本を出版する感覚で。」と思ってしまいます。
・・・といっても、喜怒哀楽を持つ人間が書くことですから、間違いはあるのですがね・・・。怒りにまかせて記事を書くことも、沢山あります(笑)このブログでは、じっくり腰を据えて記事を書きますが・・・もう一方のブログは、メチャクチャっす(笑)
「FDさん!そんなことない!私はたっぷり時間をかけて記事を練っている!心外だ!」
というお叱りを受けるかもしれません。ごめんなさい、書き手のOYAJIさんはそう思っても、読み手の僕には・・・。自分の仕事が、書類を作成して相手に理解をさせる仕事である関係上、書き手が、その意思をしっかりと伝えたいのならば、読み手に期待をするな、己の技術を磨けと思ってしまう習性があるので・・・。
OYAJIさん、一度、今現在OYAJIさんが有しているブログにかける時間のうち、記事作成・推敲にかける時間配分割合をちょっとだけ増やしてみたらいかがでしょう?そして、色々なコトを想い廻らせるのです。そうすれば、自分の感情を思うまま、変な軋轢なく書けると思いますよ。
そして・・・その意識を強く持てば持つ程・・・文責だとか転載に関して、色々な意見が理解できるようになると思いますよ。
さて、第一話が終わりました。次は第二話「大いなるテーマに頼るべきか?」です。さて・・・いつ完成するのでしょうか・・・(笑)
