【FDの考え】

日常の、些細な事柄から心の琴線にひっかかったコトについて書き綴ってみようと思います。

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これから、する側もされる側も責任重大っす・・・。

Yahoo!ブログからのお知らせ


リアルの世界が・・・正直かなり忙しくなった状態で、しかし新しいPCが自分のデスクに配置され、ウキウキでいつものように皆さんのブログを巡回・ROMだけしようと思ったら・・・。


遂に・・・転載機能が変更されましたね・・・!懸案であったデフォルト「可」が「不可」に・・・そして、本来の転載元からしか転載できなくなりましたね。




これで・・・いよいよもって、デフォルト「不可」を「可」にする意思、そして実行・・・さらには「転載してください!」と推奨する行為の責任が重大になった訳です。・・・言い訳がきかなくなりました。




・・・というよりも・・・これでおそらくは・・・転載機能は機能として・・・意味をなさなくなりますかね・・・。転載機能の最大の魅力(?)とされていた頒布のスピードが(二次転載不可能により)今回の機能変更でなくなり、いわゆるネズミ算式な広がりは見込めなくなった訳ですから・・・。




さらに・・・転載機能の有無に関わらず、他のブロガーさんの記事を持ってくる行為・・・法律や道義的な面において注意を要するのは当然なのですが・・・今回の機能変更で「転載する側」にもそれが大きく問われるような気がしますね。




改善要望・撤廃要望を出された多くの皆様・・・お疲れ様でした。



あと・・・最近、コメントレス・・・遅れて大変申し訳ないです。ごめんなさい。
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書き手・読み手は各々「○○流」の師範だったのです・・・。

一歩後退、二歩前進のトンコさんが・・・

「別の通りすがり」は阿風氏ではないか?

・・・という記事を書かれました。(トンコさんは、普段はYahoo!ブログをメインにしています。メイン・ブログはこちら今回は、ミラーブログであるFC2にTB希望ということなので、それに沿いました。)


まず・・・トンコさんが書かれた事柄に言及する前に・・・。書き手・読み手の「○○流」という話を一つ・・・。



ブログ、というものに触れる前から、人は多くの文章を読み、更には自分で書いているかと思います。幼稚園や保育園の頃から、大学・・・そして、社会人になって・・・勿論、文章を書くことへの好き嫌いがありますからその物量は人によって千差万別です。そして、文章を読むことも当然物量の差というものはあるでしょう。


更には、「どういったものを読み込んできたか?」「どういったものを書いてきたか?」という・・・バックボーンとでも言うのでしょうか・・・そういったものも違いとなって表れるかと思います。


そして、そういった「書き込んだ量」「読み込んだ量」「何を書いてきたか?」「何を読んできたか?」をバックボーンとし・・・そのバックボーンには人それぞれ違いがあるという前提で・・・ブログに話を戻します。


ブログはどんなスタイルで運営されたっていい・・・それがたとえ絵画や写真など、文章によって構築されるものでなくたって・・・とはいうものの、多くの方々が自身の文章を根っことし、ブログを作り上げています。例えば、音楽紹介ブログ・論説ブログ・批判ブログ・真摯に対応するブログ・日記ブログ・・・ジャンルというものはあれど・・・構成されるのは、言葉であり文章・・・。更にはブロガー同士のコミュニケーションといえば・・・コメント、そしてこのコメントを構築するのは・・・文章な訳です。



僕は、文章というものは・・・その時その時の書き手のスタイルを表している・・・いわば、それぞれが「○○流」というものを持っていると思っています。そして、それぞれが「○○流」という見えない看板を背中に背負った状態で、今度は「読み手」として、いろいろなブログを回る訳です。



最近・・・ちょっとだけこの【FDの考え】で洋楽談義が始まっています・・・そして、以前の記事で僕はギタリストの手クセの話を出しました。僕は・・・書き手にも手クセというものは存在していると思っています。



例えば僕のブログ・・・改行というか、空白を多用しています。Yahoo!ブログを開設した当初は、この空白は多用しませんでした。最近は何故か多用しています。そして「・・・」も多用します。話し言葉口調にしたい場合や、考えを巡らせている感を出したい時に使用したりします。また、僕は殆ど顔文字を使用しません。使用するのは「(笑)」「(涙)」「^^」「^^v」「^^;」くらいですかね。(一時期は(爆)も使用していたのですが・・・もはや流行ではないのですかね?)顔文字の変換データを入れていないので、全て手入力・・・だから知ってる引き出しが少ないのです(笑)


一時期は「」も多用していました・・・が、とある方がよく使われるようになったので、あまり使用しなくなってます(笑)そして、「~である」口調は使っていないです。「~です。~ます。」口調ですね。html もそれほどの量を知らない・・・太字・引用・打消し・・・その程度でしょうか・・・。



読み手として様々なブロガーさんのブログを拝見していますが・・・結構、その人の手クセなどがわかったりするとおもしろいなぁ~と思っています。



更に・・・こういった手クセというものは・・・日々、進化・変化していくものとも思っています。例えば影響を受けるブロガーが変わったり・・・好きな作家が変わったりすると、その人のエッセンスが書き手に注入される・・・そして化学反応を起こす、といった感じでしょうか。




さて・・・僕なりの、書き手・読み手の文章に関する感じ方を述べさせてもらいました。ここで、トンコさんの記事への言及です。




えっと・・・僕のブログに登場しているのは・・・難解さん、管子さん、傍観者さん、別の通りすがりさん・・・かな、トンコさんの指摘されたのは。



結論から先に言うと・・・上に挙げたそれぞれの方々の文章に対する読み手としての僕の感想は、「非常にアプローチが似ている」です。そして、トンコさんの仮説を踏まえて感じたのは・・・「もしそうなら、何故そういったことをする必要があるのかな?」です。


阿風さんのブログ運営・・・ずっと拝見してました。僕にはできないアプローチを展開し、厳しくも優しい気付きを初心者ブロガーに与えていたと思っています。ご家庭の事情で運営をやめざるをえない状況に至った・・・当然、ブログよりも大事な訳で・・・でも、読み手としては寂しい限りでした。



そして、その後、様々なHNの方々の登場です。読み手としての僕は・・・「うん?似ているな・・・文章の表情が・・・。」とは感じていました。先程の手クセと同様・・・人が書いた文章というものは、表情を持っています。鋭さであったり、優しさであったり、いやらしさであったり、嫌味であったり・・・。



上の方々に共通して感じた表情・・・それは「憤」でした。手クセとともにそういった表情を感じていました。まぁ・・・向けられた相手が同一人物という点も、共通項ではあるのですが・・・。


この中で、最もコミュニケーションをとらせて頂いたのは別の通りすがりさん・・・彼(彼女?)のおかげで僕自身の過ちに気付くことができました。自らが知らずに人を傷つけていた事実です。紛争に対する自身の処し方については、今もなお僕自身の考えは変わっていませんが、僕自身が発した言動によって期待をさせてしまった点・・・そして、その後の僕の判断、そしてその判断に至るにあたって僕がしっかりと意思を伝えなかった点・・・その点について、彼(彼女?)は教えてくれました。感謝しています。そして、相手の方には申し訳なく思っています。


おそらくは・・・阿風さんを含めた上の方々・・・僕が見出した「憤」・・・それも「義憤」で動いていらっしゃるのではと思っているのですが、ここでトンコさんが述べたネット界における暗黙のマナーの部分がひっかかりました。


ネット界においては、複数のハンドルネームによって展開することは、好ましいことではないのですね。僕自身、他でブログを運営しており、そこでは「FD」というハンドルネームは使用していません。その代わり、この【FDの考え】を通じて交流のある方々の前では、向こうのブログのハンドルネームは一切使用していませんし、向こうでも同様です。


そういったネットにおけるマナーが暗黙の了解として存在しているのであれば・・・もし、トンコさんの仮説が本当のものであったとしたならば・・・阿風さんの功績が功績なだけに、非常に勿体無い!ということになる訳で・・・。



そういった行為をせずとも・・・よいのではないかなと思う・・・今日この頃です。



(この話題は、今後の展開によって連載します。取り急ぎ、今回はこの辺で・・・)


関連記事
「別の通りすがり」は阿風氏ではないか?(一歩後退、二歩前進)
問うのは、やはり整合性(てんさい よりももっといい)

テーマ:ひとりごとのようなもの - ジャンル:日記

「できるのだからやってよい」という線引き・・・

「板一枚下は地獄」・・・僕が属する業界では、こういった言葉がよく使われます。



更に・・・「黒と白の間のグレー・・・この領域に、どこまで入り込むか?プロとして・・・どこまで黒に近づけるか?」という言葉もよく使われます。



こういった言葉は、それぞれ皆さんが属する領域でもあるかと思います。




「ひっそりと・・・」シリーズを書いていた当時、今から振り返ると・・・一点、僕の記述で不足していたものがありました。それは「ここで論じていることを、実際に運用するにはあまりに冷徹過ぎる。できる・できないということと、やっていい・悪いは別の話」というものでした。


冒頭で出した二つの言葉・・・いつも僕の目の前に横たわっています。



「これ以上やると・・・若干リスクがあるよな・・・果たしてすべきか・・・?」
「これ以上の踏み込みは・・・もう相手との血みどろの戦いになることを意味する・・・するべきか?」
「この決断は・・・自らの美学に合っているのか?」



違法性の有無、さらには違法性の度合い、相手や周囲への余波・・・そして・・・己の美学・・・物事の決断は、本当に色々な要素によってなされます。それは・・・必ずしも「できるからやってよい」に当てはまらない場合もあると思います。



児島の仙人のきまぐれメモの児島の仙人さんが、転載可となっているとある記事を転載した時、僕は正直に言って、「あぁ、争いが一歩、ブロガーの意見のぶつけ合いの領域を超えたな」と感じました。



ブロガー同士の意見交換から、大人の喧嘩に一歩近づいた、ということです。





僕は、今でも転載機能のボタンの表示は、「転載してもいいですよ」という意思表示と解釈してよいと考えています。しかし・・・だからといって、それを徹底し、ボタンがあるから転載をしまくってもいいとは思いません・・・何故なら、転載をするボタンの先にはブロガーが存在しているためです。



記事の内容、転載される側の性格、更には置かれている状況・・・そして、転載した側の状況・・・そういった状況を鑑みると・・・「???」な訳なのです。



きっと・・・僕が変な理想をブログに持っているからでしょうか・・・激しい議論のぶつかり合いは、いわばスポーツ・・・議論者お互いが、それぞれ美学を持ち、相手のことを慮り、でも闊達に意見をぶつけ合う・・・それが終わったら、互いに礼をし、颯爽と引き上げる・・・。次に出会う時には、当時のギスギスは・・・なし・・・。



空手などの格闘技の凛とした立ち合いをイメージ・・・。



対して大人の喧嘩・・・これはもう、ドロドロしています・・・相手の急所を徹底的に突っつき、弱らせる・・・行き着くところはどちらかが・・・大人の喧嘩という言葉が適切でないのならば・・・戦闘と言い換えてもいい・・・。お互いの存在意義をかけた・・・ルール無用のバーリ・トゥード・・・。禁じ手というものが存在しない世界です・・・。




スポーツから戦闘の領域に入る時・・・そこには相当な覚悟が必要と、勝手に思っています。まだこのブログでは使わず、PCの画面の前で独り言で使っている言葉なのですが・・・。スター・ウォーズの「フォースの暗黒面」になぞらえて、「ブロガーの暗黒面」と・・・僕は使っています。




反面、その後大いに着目した点が、児島の仙人さんの行為に対して、それまでOYAJIさんに対して批判をぶつけていた各ブロガーさん達が児島の仙人さんに対して苦言を呈したこと・・・僕はそこにブロガー同士のバランスをみました。(まぁ・・・その後のOYAJIさんの抗議の表現方法がああいった形だったので・・・何がなんだかわからない展開になってしまいましたが・・・)「あぁ・・・自浄作用とはこういうものかな・・・バランス感覚の鋭い方が多いな」と思ったのでした。




ただ・・・決して無頼・無礼な相手に対して泣き寝入りする必要はない・・・意を決し、覚悟を決めた時には・・・自らの信念に基づき戦えばいい・・・。しかし、その覚悟は安易に・・・安売りをしてはいけないのではないかなと・・・思うのでした。


この記事を書き上げる途中、児島の仙人さんがご自身の行為に関し、その当時の心境などを述べられています。どうやらそこまで児島の仙人さん自身、展開を深刻には考えていらっしゃらなかったご様子・・・。決して僕自身も、児島の仙人さん自身の善悪を言及してません。気を悪くされたら、ごめんなさい。







う~む・・・ちょっと自分は大袈裟に考えすぎかな・・・(笑)

テーマ:どうでもよくないこと - ジャンル:日記

方向性が変わってきたような気が・・・

東京へ講習を受けにいった余波で、色々と忙しかったFDです。こんばんは。


山手線の外回りと内回りで、危うく目的地まで遠回りしてしまいそうになりました(涙)やれやれです・・・。夜、少し遊ぶ時間があったので遊んできました。楽しかったぁ・・・。



・・・と、ここまではこのブログでは珍しく日記のような書き方・・・。忙しいと言いつつもROMはそれなりに・・・。う~む・・・OYAJIさんの・・・


真摯な対応


・・・において、皆が「FDが・・・」「FDへの配慮が・・・」と言っているのを見て・・・そこでのやりとりに関して、少々言及をしておく必要があるかと思いました。このブログにおいて、僕が放った一言に対する責任もありますしね。



まず「消せ!」と僕がコメントした理由についてですが・・・(当時のコメントはこれです。


まず、僕はあのタイミングで、そしてあの内容がまず気に入らなかった。ですから「消せ!」の第一順位はあのコメントそのものでした。「出直してこい!」というものです。


「何故か?」という理由はもう語りません・・・(といっても、水に流す訳じゃないっす)。いずれにせよ、OYAJIさんが僕に対し礼節・デリカシーに欠ける行為をしたということです。最近流行りの(流行っているでしょうか?)「真摯」という点で言うならば、あのコメントには真摯のかけらも感じていません。



そして、サブブログの件ですが・・・


コメントでもあるように、ブログを何個持とうがその人の自由ですし、現に僕も複数のブログを運営しています。現在、実働しているのはこの【FDの考え】を含め二つ・・・全く毛並みの違うブログです。


ただ・・・元々色々な事象が、OYAJIさんの本家本元のブログである「楽しむYahoo!ブログの作り方♪」から起こったが故に・・・いくら別の通りすがりさんに対して真摯な対応を取るために、とはいえ・・・切り取って分家させるのは非常に違和感を感じたのでした。コメントでしたように、状況が悪くなった場合・・・例えばコメントを沢山削除する姿や、様々な事実があからさまになっていく展開になった場合・・・本家で他のカテゴリーを見に来る閲覧者もそういった姿を見せることになる・・・それを恐れたのかなと思ったのでした。


僕は、この【FDの考え】で失態を犯した場合(実は一度、起こしていますが・・・)、この【FDの考え】においてその責を負う・・・もし、実働している他のブログや、「贖罪のためのブログ」などを別に開設しても、その当事者は許さないだろうし、周囲もそれを潔しとは思わないだろうと思っています。それが真摯な対応を目的としたものであっても同様ではないかと・・・。


逆に、今までの紛争で、問題となっている記事や事柄以外の事でOYAJIさんの揚げ足を取るような行為をする人や、関連のない記事に対してチャチャを入れる人に対しては、僕はあまり・・・というより逆に「みっともない」と思っていたのでした。そういうことをしだすと、お互いが「どっちが聖人君子ぶりが発揮されてるか?」の話になってしまいます。人間・・・そんなに清廉潔白ではありません。僕だって、汚れまくってますし(笑)


以上が、コメント当時のサブブログに対しての感想です。いわばサブブログは、第二順位にあたりました。ブログを消すということよりも、ああいったブログを開設する矜持の問題の方が大きい、と言い換えてもよかったかもしれなかったです。



そして・・・それから今現在に至っています・・・。



サブブログを開設したOYAJIさん、そしてそれを非難する方々の双方が「FDさんへの配慮・・・」を口にされる状態です・・・。そして「真摯とは?」という・・・ここの記事が発端となった当初の内容からかけ離れたものになっているような気が・・・。しかも・・・個々の事柄への踏み込みは一切なされていないし・・・。



正直な話、個々の事柄への踏み込み・・・なかなかできないような気が・・・そんな気がします。個々の事柄・・・当事者でない僕ですら、容易にどの事柄か想像できるものがあります。しかし、今現在、僕はそこに踏み込んでいません・・・。何故かな・・・。やはり・・・と、ここでストレートに書くと、OYAJIさんがそれを自己防衛のために活用しそうだからやめておこう(笑)




今回・・・はじめてOYAJIさんに関する紛争で、当事者の気分を味わうことができました。とはいうものの、僕の場合は些細な事柄・・・もっと大きな紛争に巻き込まれた方々・・・本当に大変だと思います。(あえて現在形にしておきます)その中でも、誇り高く対応されている方々には・・・本当に頭が下がる思いです。




しかし・・・本当にOYAJIさんは未だに「何故?」がわからないのかな・・・もし、わかっててあんな行動をしていたとしたら・・・案外、違った才能を持っているなぁ(笑)



次回は、もうちょっと毛並みの違う記事を書こう!(一体、誰に宣言しているんだろう・・・笑)

テーマ:管理者日記 - ジャンル:日記

配慮という名の・・・大義名分・・・。

昨日、今日と法定講習や会議など、なかなかPCの前に座れない日々が続いています。(ちなみに、明後日も東京に・・・田舎者なので不安 笑)

その間、コメントを頂いた皆様、ありがとうございました。一つ一つ返すよりも、記事してお返ししたいと思います。(一つ一つ返事をしている間に、またまたその返事に対してレスがつきそうですし・・・。)



さて・・・今の気持ち・・・。



あぁ・・・なんでこんな些細な事、わからないのだろう・・・。日を追うごとに「何故、怒ったか?」を言い出しにくいじゃないか・・・。こっちが些細な事にこだわっている小さな人間みたいだ・・・。



・・・です。


正直に言いまして、先日OYAJIさんのコメントに対して怒った時、僕は二手目のコメントまで予想してました。事務所に向かう車の中・・・「怒りの文章に対して真っ先に『いや、私はこう思った』という弁解をするだろうな・・・」というものでした。


予想は見事に的中・・・今までOYAJIさんが起こしてきた問題のほぼ全てがダラダラと続く理由が、一つ明確になりました。




実際の話・・・「何故、怒ったか?」という理由は些細なことなのです。些細なことが故に、今更言い出しにくくなってます(笑)「えぇ~?FD!そ、そんなことで怒ってたの?」と言われそう・・・(笑)そんな些細なことなのにも関わらずOYAJIさんは「明確でないからわからない。私はFDさんに配慮している。」の一点張り。



本当に、この記事(ブログコミュニケーションで心に留めておきたい事♪)を書いた人と同一人物なのか???と思ってしまっています。




OYAJIさん、僕に配慮ってよく使われてますが・・・いわゆる「されている側」としての僕は、な~~~んも配慮されてる感覚「あぁ、OYAJIさん、僕のこと、配慮してくれてる♪ありがとう♪」というものがありません(笑)。「私(OYAJIさん)が配慮している」からオッケーなのでしょうか?それは違うでしょう?ブログコミュニケーションで心に留めておきたい事♪の「4.こうであって欲しいという自我をなくして考えてみる」に合わないじゃないですか。配慮をしたと判断したOYAJIさんがオッケーを出すのではなく、配慮をされた僕がオッケーかどうか決めるんじゃないんです?(決して、僕が偉いとかじゃないっすよ。この件に限ってのみの話です。)



もう一つ・・・読解能力の部分で低いと言わざるを得ないOYAJIさんに厳しく言わせて頂きます。この件に関する「僕への配慮」は、配慮という言葉を使っていながら、その実体は大義名分です。そして全て「後出し感満載」なのです。そして、その大義名分とは・・・「自らに向けられた批判への反論を書き込むための大義名分」です。「後出し感満載」というのは・・・「そう思ったのだったら何故最初のコメントにそう思えるようにしっかりと書かない?」というツッコミで片がつくからです。



あのコメントを入れた時、おそらくOYAJIさんの頭の中は別の通りすがりさんへの反論のことしかなかった・・・このブログに対しては、「別の通りすがりさんがここでコメントした」ことくらいしか思っていなかった。そこにFDという存在はなかった・・・あったとしても、とても軽い存在であった。まるで本当に無人の・・・管理人のいない掲示板に書くがごとく・・・あのコメントを書き込んだ。文面から見ても、そうとれます。


当時、僕は別の通りすがりさんにも「言いすぎです」と釘を刺していました。おそらく別の通りすがりさんは、それ以後、追加してコメントすることはなかったでしょう。あったとしたら、僕も同様に釘を刺したでしょう。そして、同じようにOYAJIさんにも釘を刺した。OYAJIさんは、この釘ははじめてではない。過去にも、僕が知る限り・・・難解さんという方とのやりとり、おやさんとのやりとり、そして今回、3回目です(先ほど、ざっと過去のコメントを読み返したら・・・もっとありました 笑)。前回までの間、何も学んでいない。・・・ってか、過去の2回で僕、答えを言ってると思うのだけどなぁ~・・・。そして、その時のOYAJIさんの大義名分(配慮)に対しても意見言ってるハズなのだけど・・・。



いかん・・・やっぱり今更明確にするの・・・こっちが恥ずかしい(涙)やっぱりご自分で考えてください。



あと、管理者としての削除権限を行使しないことに対する点について言及しておきます。(これはOYAJIさんだけに限った言及ではありませんからね)


僕は、基本的に人のコメントはよっぽどのことがない限り削除しないです。そして、釘を刺すという表現を使っていますが・・・色々な人の言いすぎな部分が出てきた時にだけ軌道修正をしてもらうように心がけています。言い過ぎたコメントを発した人が「(そのコメント相手に対して)言いすぎでした。ごめんなさい。訂正します。」を待っているといってもいいです。僕はブロガー及びブログを閲覧しにくる人達から自然に発生するバランスの妙を見てて嬉しく思うタイプです。管理者が強権を発動して作り上げる統制は、そういったバランスの発生を妨げる要因となると思っています。コメント者が強権発動を常に意識しないと発言できないのは、僕は嫌なんです。確かにちょっと甘いかもしれませんね。一記事に100以上のコメントがつく状態でバランスなどと偉そうに言えるものでもないかもしれません・・・(笑)

一点、管理者としての我儘を言わせて頂ければ・・・釘を刺すなどの牽制の時点で・・・理解して頂けると嬉しいっす(笑)○回目ですよ、とか・・・言いたくないっす(笑)

テーマ:いま想うこと - ジャンル:日記

沁みこんでいないから安易・・・薄い・・・。

楽しむYahoo!ブログの作り方♪のOYAJIさんが・・・


NEeDSさんへの返信


・・・という記事(最新の「真摯な対応」というブログ内の記事ではありません)の中の一節・・・ずっと気になっていたので考えてみたいと思います。



★私はどういう形のブログがあっても良いと思います。
絵だけのブログや写真だけのブログや動画だけのブログが
あっても良いと思います。
「自らの言葉で行なうべき」という狭量な考え方は
理解はしますが、あまり賛成は出来ません。
・・・しかし、私自身も自分の言葉で書いてますけどね。
他のワザを持っていないだけです。
NEeDSさんへの返信より引用)




物凄くお人好しなモードでこの一節を考えます。当時の記事が転載機能に関して派生して書かれた記事なので、百歩・・・いえ、千歩・・・いやいや・・・かな~り下がって解釈したとしてこんな解釈ではないかと想像します・・・。


「僕の想像」
転載機能などに頼らずに自らの言葉で記事を綴れという考え方は考え方として狭い、絵だけのブログや写真だけのブログがあったっていい、その中の一つとして他人の記事を転載して記事を構成したっていいのではないか・・・?


確かにブログのスタイルはどういったものであってもいいと、僕も思います。写真だけで訪問者を唸らせるブログ・・・自らの力で描き上げた絵で魅了するブログ・・・別に「活字」で勝負・・・創作小説を書いたっていい・・・毎日の、ほんわかな日常を書き上げたっていい・・・。そして・・・おそらくは NEeDS さんもそう思っていらっしゃると想像します。


スタイルはどうだっていい


・・・が・・・忘れてはならないのが・・・。


そのスタイルには「自らの~」であることは大事では?


・・・ということ。



当時、転載機能という「他の人の記事をボタン一つで持ってくることができる」という特質について話をしていた訳です。おそらく「自らの言葉で行うべき」には「自らの努力や苦労といった内からあふれ出るもの」を大事にすべき、という意味が込められていると想像します。それをOYAJIさんは、額面どおりまさしく「活字・文字でしか構成されないブログ」としてとらえた。だからああいった反論になったのかと想像します。(違う!という反論をされるのなら余程の材料を持ってこないと駄目です。まさしく自らの記事で自らの言葉で発言されたことなのですからね。)




実は、上の記事のこの一節、はじめて見た時、僕も非常に違和感を覚えました。他の人の記事をボタン一つで持ってくる転載機能に関して語っており、その中で転載機能のようにインスタントに人の記事を取り込むのではなく、自らの力で記事を綴るという意味で「自分の言葉で・・・」という表現を使っている(だろう)のに、何故ブログ運営スタイルの話になるのだろうか???と・・・。



言葉・・・言葉の選択、文章の言い回しを考えるのは本当に難しい・・・よく英会話学校で「英語をマスターしよう!」などと気軽に書かれていますが・・・「では日本語はマスターしているのか?」などと思ったりもする今日この頃です。大体、マスターってどんなレベル?ただ単に「読み・書き・話す」ができたってマスターとは言いません。(勿論、僕自身もマスターしたなどとは全く思っていません。)




OYAJIさんは「狭量」という言葉をチョイスした。狭量という言葉は、他の方はどう思っていらっしゃるかわかりませんが、どうもマイナスなイメージを彷彿させます。それを知ってか知らずか、使った。「コミュニケーションとは?」でプラスのストロークをうちましょうと言っているのにも関わらず、使った。こういうところが、嫌味なのですよ。



先程、僕は「ブログは自らの言葉で行なうべき」というものを「自らの努力や苦労といった内からあふれ出るもの」と解釈しました。もう一つ、ここに付け加えてみたいと思います。




PCの画面という材料しかない状態において、言葉はブログにまつわる者達のコミュニケーションに必要な最大のツールということです。




どんな形態のブログ運営をしていようが・・・言葉を使う場面は必ずと言っていいほど出てくるかと思います。中には自身の作品を公開し、それに対するコメントへの返信を一切行なわないというブログもあるでしょうが一般的には言葉は使用されます。



OYAJIさん自身も、「コメントは記事と同様、大事」という考えをどこかで発していたと・・・更にパクリ疑惑の際には記事の削除に関して記事から派生し展開したコメント群を盾に使った・・・。



だからこそ、言葉の使い方には注意すべきだし、最も大事にするべき・・・そういった考えが「自分の言葉で行なうべき」にも入っていると思います。




やはり、OYAJIさんは「安易」です。「狭量」という言葉も、おそらくは安易に使用しただろうし、色々な考えを色々なところから簡単に引っ張ってくること自体も安易。そして、先日僕が怒ったコメントも安易。更に怒った僕へのコメントに対するコメントも安易。



もう少し・・・立ち止まった方がいい・・・他の人の記事を参考するにせよ、他の人の考えを読み取るにせよ・・・もっと考えた方がいい・・・「いや、私は考えている」という反論を出すのであれば・・・それはOYAJIさんの内世界だけの「考えている」であり、不十分だと思います。




今、OYAJIさんはサブブログである・・・


真摯な対応


の中の・・・


NEeDSさんへの返信


・・・で、トンチンカンな返事をされていらっしゃる。おそらくは、はじめて「狭量」という言葉を使った時も安易に使用・・・ただ単に相手への反論のためのものとして狭量という言葉を引っ張ってきたに過ぎないと推測します・・・何故なら、今現在、「自分の言葉で行なう」ということに対して物凄くトンチンカンな返事をしていらっしゃるから・・・。当時、軸がブレない自分の確固たる考えで冒頭の記事を書いていたならば、それほどトンチンカンなものは出てこないハズです。だから、安易なんです。



僕だって勿論、完璧ではありません。ですから自らが放った言葉を忘れることがあります。だからこそ、使う言葉は慎重に扱いたいし、軸がブレないように注意するべきと考えています。今回のOYAJIさんの件は忘れた忘れていないのレベルではありません。言葉を安易に拾い上げ、安易に反論をするが故に・・・身体に沁みこんでいない・・・そんな状態で軽々しく発するから・・・




薄いのです




その最大の理由はなにか・・・活字に触れる機会が絶対的に少なかったことも一因でしょうが・・・問題は・・・レスの速さだと思います。


質問してこられる初心者への対応が速い・・・OYAJIさんが既に蓄積し、OYAJIさんの言葉として存在しているものを駆使して相手に説明を加えればいい・・・しかし、他の分野は・・・そうはいきません。


そこに怒りという要素が加わるため・・・自らが提唱しているプラスのストロークすら守れない・・・薄い、自らに沁みこんでいない言葉を安易に使用・・・それも、色々なブログで繰り広げるため・・・もう、自分で自分が何を言っているのかわからなくなります・・・。




じっくり考えて、その考えを表明すればいいのです。スピードを重視しているのか、PCの画面の前にいる時間が沢山とれる弊害なのか、それはわかりませんが・・・その判断が仇になっています。



「この表現は、適切なものなのか?」
「この考え方には矛盾がないか?」
「自分のこの分野に関しての知識で記事を発表してもよいのか?」




言葉というものは・・・時に怖いものとなることを理解しておいた方がいいっす。

テーマ:つぶやき - ジャンル:日記

後か先か?勿論、要素の一つですが・・・。

自宅のPCモニターが不調なおかげで、瞬間の怒りをコメントに反映させずでよかった・・・。(といっても、いつも口調ではないですが)


OYAJIさんが出された反論の中身・・・その細かな部分は別の通りすがりさん(もはや通りすがりさんではなく、常連さんになっていますが)からの反応を待つとして・・・どうしても気になった点が一つ。



「私からは何もしていない。手(口?)を出してきたのは向こうだ。」



・・・という点、後か先か?の部分・・・いつも気になってます。



普段のように、じっくり考えてこの記事を書いている訳ではないので投げかけのみで終わってしまう可能性があることだけは御容赦ください。あと・・・さっきの名残りがまだあるかもしれません、御容赦ください。



当然、物事には原因と結果があります。ですから、何故そういったことが起こったのか?ということの原因はどこかにある訳です。勿論、僕だって普段の日常生活においても原因と結果の相関性をチェックしたりします。



OYAJIさんがことあるごとに使われる「相手が何もしなければ・・・」・・・これは、ごく一部を切り取った上での反論かと思います。



物凄く壮大な話になってしまい、更には僕の不勉強な知識で述べますので間違っていたらご指摘ください。原因と結果は、その原因そのものがまた何かの結果であり、その結果はまた何かの原因たりえる訳です。



Eという原因でFという結果がでた。このEという原因はDという原因が起こした結果であり、またFという結果はGという結果へつながる・・・これを因果律と呼ぶのかと・・・。(あぁ~・・・思いっきり自信がない!)



前述のOYAJIさんの言・・・もっと前の、自分の記事は?自分の発言は?自分の行動は?という部分が一切ないのです。だから、周囲はいつも「???」となる・・・。時に危険予見性であったり、時に配慮の足りなさであったり、時に不遜な言葉遣いであったり・・・。そしてもっと具体的な、パクリ疑惑(敢えて疑惑としておきます)や同一性保持権侵害であったり・・・。そういった事象を抜きにして、その後から切り取って「何かしたのは相手」・・・。そりゃ、周囲は「自分は悪くない」という評価になりますわね・・・何せ、事の発端の部分を棚上げした形にしてしまっているのですから。



そりゃあ・・・少々いびつです。



僕はね・・・OYAJIさんの「安易さ」を気にします。「記事や言葉を軽く扱う」と言い換えてもいい。だからこそ、パクリ疑惑が出たり同一性保持権侵害・・・いえ、法律用語でオブラートにくるんではいけないな・・・相手が要望していない勝手な添削・・・こういったことにつながるのではないかと・・・。これもまた原因と結果です。



加賀教授も言ってます。安易に因果律を語ってはなりません・・・とね。




最近、僕自身が一つ、大いに反省をするべき事柄と重なったので述べておきます。

テーマ:いま想うこと - ジャンル:日記

キーワードは・・・「安易」?

はじめてギターを手にした時から、有名なギタリストは全てマネをする対象でした。


リッチー・ブラックモア、イングヴェイ・マルムスティーン、スティーブ・ヴァイ、ジミー・ペイジ、ジェフ・ベック、エリック・クラプトン、ポール・ギルバート、ランディー・ローズ、ヌーノ・ベッテンコート・・・数え上げたらキリがありません(笑)


とりあえず、最初の動機は「うまくなりたいっ!カッコよく弾きたい!」というだけ・・・彼等のライヴでのプレーや、ギターソロ・リフなどをよく模倣しました。



そして・・・自分達で曲を作り、人様の前でお金をもらい演奏をし出した時・・・こういった形に変化しました。新しい曲を作り、スタジオ入りし、他のメンバーに聞かせた時・・・



「なぁ、FD・・・そのギターソロってさ、リッチーのパクリっぽくね?」
「なぁ、FD・・・そのリフ・・・クレージー・トレインのパクリっぽくね?」



こんなことを言われた時・・・僕は即座にそのアイデアを捨て去っていました。



他の楽器パートの人の気質はよくわからないのですが、ギタリスト同士の会話で「パクリといわれるとムカつく!そんな時はそのフレーズは捨てる!」という話がよく出た記憶があります。


そして未だに自分でも完全に理解できてないのは「~風だね。」「~な感じのソロだね。」という批評は受け入れられるということ・・・。



何が「模倣」で、何が「パクリ」で、何が「~風」なのだろう・・・。



当然、誰もが最初は模倣するでしょうね。多くのギターソロをコピーし、朝から晩まで練習練習・・・何故コピーをするのか?前述のうまくなりたいも当然ですが・・・そのギタリストが好きなのですよね・・・。そして、その模倣は「手クセ」となっていきます。



ギターバトル、というかソロのかけあいなどやることがありました。ブルースの3コードを延々と継続し、二人のギタリストがソロを何小節かで交代する・・・そんな時はそのギタリストの背景・・・「手クセ」が非常にでます。かけあいが終わった後、「君は、○○っていうギタリストの影響、受けてるでしょう?手クセで凄くわかるよ。」などという話が出たりします。

しかし・・・そういった背景をそのまま自作曲・ソロに反映させると・・・。「そのままやん!」というツッコミから・・・パクリに発展することが・・・。



う~む・・・どうやら、「模倣」と「パクリ」、「~風」の線引きは・・・そのあたり?


(模倣先・パクリ先・~風先の対象をA、模倣をする側・パクる側・~風とする側をBとしてみます。)



Bの自身の作品に対するBの努力・工夫・・・そういったものがしっかり入る・・・ということかな。



もう一つ、言い換えると・・・Bの内部に、しっかりと影響を受けたAが血となり肉となっているか・・・。よくAへのリスペクトと言われますが・・・。



安易にもってきた題材は・・・やはり取ってつけたように見える・・・そういうことなのかな。



ふむふむ・・・キーワードは「安易」な気がしてきました・・・。



ふと思いました・・・逆に言えば・・・模倣をしている間は、まだまだ究める道を入り始めたばかり・・・そして・・・「~風」と取られずに、「パクリ」と呼ばれるのは・・・ある程度のポジションに到達しているにも関わらず安易・・・にしちゃう人・・・という見方・・・はいかがでしょう?



「立場」というのもキーワードになるのかな?



英語の勉強・・・まだまだ模倣しかできていない僕は・・・全然道を進めていない・・・ダメダメ状態・・・という訳なのでした。

テーマ:ひとりごとのようなもの - ジャンル:日記

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