【FDの考え】

日常の、些細な事柄から心の琴線にひっかかったコトについて書き綴ってみようと思います。

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多くを学んだ一年でした・・・

この【FDの考え】というブログ・・・集客やアフィリエイトという目的は一切排除し、色々な考えを表明し、また教えてもらう目的のために存在しています。



色々な方々から色々な考えを教わりました。また、自分には書けないような表現方法・・・視点など、嫉妬・・・悔しいという思いもしました。



そんな中、著作権法という、今までの自分にはない引き出しを作るキッカケにもなりました。やっぱり僕は自分自身が(リアルで)所属しているこの業界が好きだなと実感・・・自分の中には存在していなかった新たな法律に・・・今もなお、くいついています(笑)




一方で、「やれやれ・・・いくら表現をかえて伝えても、伝わらないか・・・」と思うような事も・・・。以前の記事から何度も挙げていますが、僕は自分の考えが相手に伝わらないのは、まず自身の能力を責めよと思っています・・・ですから、自分の能力の低さを感じた一年でもありました。




さて・・・もう明日は来年・・・突発的な事象がない限り、普通に寝たら新年です。





来年は・・・前述の著作権法から・・・もう少し引き出しを広げたいなと思っています。受けても何の飯のタネにならないような検定にも挑戦したいし・・・(実は資格・検定マニアだったりして・・・笑)





最後に、色々なキッカケで知り合った皆様・・・皆様との出会い・・・画面を通じてのものですが、本当にありがたいものと思っています。ROM者で滅多に皆様のブログでは発言しない僕ですが、ブログをお持ちの皆様の記事は殆ど読ませてもらっていますし、これからも触発されてTBもうちます。




来年も、この【FDの考え】・・・痛快なブログにはなれない、やわらかブログですが、できる限り記事を投稿していきますので、遊びにきてやってください。




宜しくお願い致します。

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テーマ:今年最後のご挨拶。 - ジャンル:日記

声なき声を大事にしたい・・・

僕の仕事は企業や個人事業主だけが取引先ではありません。一般の市民が集まった集団・・・任意団体のようなもの・・・が取引先としてあります。




そういった集団・・・属する者同士というものは本来、公平であるハズなのですが、やはり個人個人によって差が生じてきます。




例えば、いわゆる「声の大きい人」・・・その人の意見に対して異論を唱えようものなら、指を指しながら「あなたの意見ですがっ!○○な点が△△で、□が×になって・・・」と、まさしく物理的に大きな声で、更にまくしたてる・・・異論を唱えた人の全てが理論武装されている訳ではありません。なかには「詳しくはよくわからないけど、素人だけど違和感を感じる」という理由で異論を発する場合だってあります。



この場合の「声の大きい人」・・・仰る意見には正論も当然あります。しかし・・・いかんせんやり方がまずい・・・。今、記事として準備していますが、「白と黒の間の世界」というか・・・教科書のように正論だけで通じない部分・・・正論と正論がぶつかった場合の中間地点の定め方など・・・正論という鎧をまとうものの、実戦慣れせず、相手に猪突猛進する将校あがりの隊長さんのような感じ・・・。その団体の活動に対し熱心であることが、逆に災いしてしまっているのですね。




そういった場に赴いた場合、僕は・・・逆に言えば「声なき声をかかえている人」に注目します。「声の大きい人」の対極に位置する人です。今まで言いたいことが沢山あったのに、「声の大きい人」に気圧されて・・・または「声の大きい人」にたたみかけられるのが怖くて黙っている人です。



勿論、「声の大きい人」にも配慮します。元々、よかれと思って行動されていらっしゃる訳ですから・・・。



何パターンか、「声なき声をかかえている人」が仰りたいようなパターンを僕と「声の大きい人」との間でやりとりします。会話の最中・・・大抵、僕の意見に賛成される「声なき声をかかえている人」は、「ウンウン」とうなずいたりします。


時に「声の大きい人」と激論になる場合もあります。しかし、別に喧嘩をしている訳でもありませんし、知識合戦になればなるほどこちらの立場の方が有利・・・。




すると、大抵・・・突然、「声なき声をかかえている人」が発言をします。




本当に勇気を振り絞っていらっしゃるんだよな・・・と思うのが、発言をしようとする際、テーブルの下の手がハンカチをギュッと握り締め震えているから・・・。



「声の大きい人」は、まず、思わぬ発言にビックリします。そして、いつものように論破しようとたたみかけます。しかし、いつもと勝手が違って「声なき声をかかえている人」の意見には僕がやんわりと援護射撃・・・。




会社のような組織では、上の者の意見は・・・的な部分はあるでしょう。しかし、今の話はあくまで組織を構成する人達はイコール・・・ですから意見については声の大きさとか、権力の大きさとかは全く関係ない・・・その意見が本当に組織全体に資するものであるかどうか?他の皆が納得するものであるかどうか・・・。




時に、年配の男性と、若い主婦が激論を交わすこともあります(笑)そして、時々、本当に喧嘩な・・・全く議論と関係のない要素が持ち込まれそうになることもあります。そんな時は軌道修正・・・。



時に・・・やはり個人個人・・・立場は平等でも悲しいかな・・・話す技術や伝える技術には・・・格差があります。そういった時も、なるべくそういった技術の差で意見が封じられないように軌道修正・・・。





そして時々・・・僕がブチ切れることも・・・(笑)




そして僕は、会議の終わりにいつもいつも・・・謝ります(笑)そして、皆さんもこの場の激論は他の付き合いに持ち込まぬようお願いをします(笑)




最近・・・感じるようになったのは・・・この「声なき声」の方々の意見は・・・的をしっかりとえているということ・・・。ですから、非常に大事にしたい・・・。




そして・・・「声の大きい人」・・・大きく荒げているその声は、必ず誰かの小さな声をかき消しているということ・・・そして、その声の中には、自分が気付かない大きなヒントが隠されているということ・・・です。




ブロガー同士のやりとりにおいても・・・時に「声の大きい人」のようなブロガーが闊歩することがあります。そして、その大きな声の裏側には・・・必ず「声なき声」というものが存在・・・。





そんな「声なき声」を感じ取りながら・・・そして・・・「声なき声」を有する人達が、画面は噛み付かないことを理解し、少しでも発言できたら・・・などと思ったりする今日この頃です・・・。

テーマ:聞いておくれ。 - ジャンル:日記

OYAJIさん、お願いを聞いてもらえますか?

先週末から高熱を出し、拷問ともいえるクリスマスを過ごし・・・役所の仕事納めに各種申請を間に合わすべく集中・・・そのため、満足なROMが出来ていない状態でしたが・・・。



やれやれ・・・泥沼じゃないっすか(涙)



ちょっと前・・・正直に言って本気で徹底的にOYAJIさんに対して取り組もうと思っていました。完全仕事モードでしたよ。



でも、やめました。




私の対応姿勢については、反省するべき点も多く教えて頂きましたのでそれについては「危険予見」も含めてもっともっと考えて行きたいと思います。その件の丁寧なアドバイスについては心より感謝申し上げます。
(【FDの考え】内「閑話休題・・・意見・・・聞かせて欲しい・・・」部分OYAJIさんコメントより)




それより前にもらっていたOYAJIさんの内緒コメントは、正直に言って「自分は悪くない・何故自分ばかり?」の色が非常に濃いものでした・・・が、僕は上の引用部分を、最後にOYAJIさんが入れられたので・・・おしとどめました。




ところが・・・あまり変化の兆しが・・・ない(涙)




児島の仙人さんの転載記事の件に関しては、OYAJIさんの怒りの部分・・・分からなくもないです・・・(もう、これは記事として8割できていますので近日中に投稿します)。



しかし、OYAJIさん、いわゆるOYAJIさんに対して反論ないし異論を唱える者を全て同列でとらえるモード・・・いわゆるOYAJIさんの悪い状態・・・に陥っているような気がしますよ。




OYAJIさん、人の考えは十人十色、立ち位置の違いや価値観の違いによって勿論違いがあるのはわかるのですが・・・こうも様々な箇所から同様の反論が出る事実は・・・しっかりと向き合った方がいいっす。




OYAJIさん・・・冒頭で僕は僕個人の判断で徹底的にやるモードになりそうになったという話をしました。今・・・逆に今度はどんどん周囲がそんな雰囲気になりつつあります。それぞれがOYAJIさんの言質をチェックし、矛盾をあぶりだし、ぶつけてくるでしょう。



十人十色な考え方が、一つの方向性を示した時・・・そして、この一ヶ月以上のやりとりで僕が痛感した点・・・ブログ間の議論が泥沼になった場合、落としどころがないという点・・・この点を考えると・・・示された方向性はどうなっていくのか・・・?



「僕個人で完全徹底・仕事モード」の際に考えた決着・・・それを想像したのも、やめた理由の一つです。



仕事で受けた場合、争いには必ずどこかで決着がつきます・・・こちらの要望が完全に受け入れられる場合もあれば、半分半分という場合もあります・・・時にはまさしく「肉を斬らせて骨を断つ」場合も・・・。


僕は、個人の判断でいけましたから止められました・・・が、これが集団になった場合・・・わかりません(涙)歯止めがきかないからです。





とりあえずOYAJIさん、2~3点、頼みを聞いちゃくれませんか?


お願い その1
しばらく記事の転載は控える。また、極力、自身の記事も転載不可とする。

今になってOYAJIさんの転載機能に関する考え方を・・・などとは思っていません。ただ、今のOYAJIさんは何をやっても裏目に出る状態になってます。


お願い その2
日常記事の投稿に関する自身の「Go サインハードル」と反論記事や意見記事の投稿に関する自身の「Go サインハードル」の高さをかえる。その差はかなり違うもの・・・後者に関してはおそらくいつものOYAJIさんからして「う~む、ちょっと心配しすぎじゃないのかな?」くらいなハードル。


お願い その3
「揚げ足取り」と「堂々とぶつかってくる反論」との違いを理解する。その違いを理解するためには・・・相手の発言を読む・・・読む・・・読む・・・PCの画面に穴が開くくらい・・・読む。




このお願いだけ留意して頂ければ、目玉焼きの記事を書こうがなんだろうがよいと思います。特にこれからは年末年始・・・イベント週間です。普通の記事を書くこともあるでしょう・・・いいですか、イチイチ揚げ足を取ってくる方と、論理的に反論してくる方を、絶対に同列で見ない・・・ROMしてれば、その二種類・・・容易にわかりますよ。それをOYAJIさんは全て同列に扱い、同列に対応している・・・だから、沈黙を守るROM者次々とその沈黙を破り、意見してくるのです。



これはお願いです、命令ではありません。PC知識は乏しく、そういった技術のHow toは教えることはできない僕ですが、やわらかなブログの運営に関しては、ちょっとだけわかります。



よろしくお願い致します。



本当にお願いしますよ、OYAJIさん(涙)(OYAJIさんは、あんまり泥沼と思ってない気がするからなぁ~「騒いでるのはあなた達」と、また言いそうです・・・あ!くれぐれも、この記事へのレスでそんなこと、書かないように!笑 思ったことを正直に書くことばかりが誠実というものではありませんからね。)



また年末年始・・・じっくりとやわらか言葉で各種の意見記事、出しますから・・・(出せるかな?)・・・よろしくです。



最後に追伸・・・とある方へのメッセージです。(これはOYAJIさんあてのものではありません)


良き師匠は、良き弟子を育てます・・・。そして、良き弟子が、良き師匠を育てます・・・。師匠の姿は、弟子が育てたものといってもよいかもしれません。弟子は師匠の姿に、己の・・・弟子としてのあり方を省みる材料となりえます。師匠の恥は弟子の恥、弟子の恥は師匠の恥と思うべき・・・。


一緒に独立した仲間・・・組織上は僕の上の、尊敬すべき友人が、どこからか引用してきた話です。「自分は組織のトップとして、お前(僕)に『あなたの社長ってさ・・・』と言われる訳にはいかん。そして、常にお前(僕)を注意できるよう模範を示せていないといかん。FDよ、俺が独善的な時は必ず言うように・・・。そして、お前は逆に自分の部下に対しては、常に模範を示せ。部下からの苦言には必ず耳を貸せ。そして場合によっては躊躇なく頭を下げろ。もっとも、頭を下げる機会がないように常に模範を示せばよいのだがな。」と言われています。


「FD、お前が俺のもとから離れる時は俺に魅力がなかった。そして、お前の部下がお前から離れる時はお前に魅力がなかった。常にそう思っておく。」とも言われました。


答えになっていないかもしれませんが・・・。



以上です。

テーマ:_ノフ○ グッタリ・・・・ - ジャンル:日記

当事者が言う場合と、第三者が言う場合によって大きく雰囲気が変わる言葉・・・

仕事柄・・・これは特に年配やその仕事に関する資格に挑戦している方にその傾向が顕著に表れるのですが・・・時折、知識合戦を挑まれることがあります。



こちらはお客さん(この場合は個人ではなく、法人や任意団体の場合が多いです)の要請を受け、目的を達成すべく臨むのですが、そのお客さんを構成する個々人は千差万別で、その中にそういった方がいらっしゃる訳です。



別に僕に知識合戦に勝ったところで、その資格の試験に合格できる訳でもないし、ましてや独立できる訳でもない(笑)まぁ、おそらくは腕試し的な要素があるのだろうと思ったりもします。



名前が売れれば売れる程・・・おそらくこういった機会は増えていくのでしょうか・・・はたまた、まだまだ僕がそういった挑戦を挑まれる=簡単に叩き伏せられる・・・という雰囲気しか持ちえていないのでしょうか・・・(涙)




ともあれ・・・知識合戦を挑まれる僕の側は大変です(笑)「知らないことは罪ではない」とか「人間、完璧ではないよ」とか「コンピューターみたいに完全に知識を保存など、できません」とか・・・思わず口にしたくなってしまいます。




ところが・・・上で述べたような発言は、その場においては死んでも言えません。相手は僕のことをプロとして見ています・・・。




それよりもなによりも・・・上で述べた発言は、完全なる自己弁護・責任回避や言い訳にしかとられないからです。上で述べた発言を当事者である僕が発した途端、非難噴出です(笑)




仮に・・・お客さんの前で間違ったことを言ってしまったり、してしまった場合は・・・もう、間違いに気付いた時点で即座に謝罪し、被害が発生していた場合は最小限にそれを食い止め、場合によっては賠償を負う・・・しかないと考えています。




逆に・・・友達や仲間が同様の失敗をした場合・・・その人に対しては慰めや励ましの言葉で「しょうがないよ、人間は完璧じゃないよ。知らないことや間違って覚えていることもあるよ。」と使ったりします。そして、この場合、この言葉を使った僕には非難が生じることは少ないです。(当事者じゃないからそんな気軽なこと、言えるんだよ!とは言われる可能性はありますが)



同じ言葉なのに・・・発する主体の状況が違うだけで・・・これほどその人の格を変えてしまう・・・言葉というものは、おそろしいものです。



僕は以前の記事で、言葉を綴ったり発したりするのは技術であり、鍛えればどんどん良くなるということを書いたことがありますが、こういった立場・状況で保有している語彙・表現を使わないこと、そしてその判断も大事だなぁと思います。





色々なブログを見ていて・・・僕が見苦しいと感じる一つが、こういった光景です。




その行為をしている当事者が、自分を庇う書き込みをしてしまっていること・・・(なんで周囲の人がそれを言わないのかな?と思ってしまいます・・・。)




あぁ・・・見苦しい・・・。




「知らないことだらけだよ。気にしない気にしない。今回のコトで覚えていけばいいのだから・・・。」は、間違いに気付き、過ちに気付き、それに対して一生懸命に対応する姿を見て周囲が言うこと・・・。それを自らが言うとは・・・。




「それは私が(ブログに関して)プロじゃないから・・・」などと言われるかもしれません。





・・・それって・・・プロもアマも関係・・・ないでしょう?(笑)「人として・・・どうなの?」という問題じゃない?(笑)





そんな大人にはなりたくないな・・・と思ってしまったのでした・・・。(もう、実年齢的には十分な大人なのですが・・・笑)

テーマ:ひとりごと - ジャンル:日記

つぶやき・・・

いつも、僕は調べ物をする際、複数箇所・・・できることなら、意見の色合いが違う箇所を調べるようこころがけています。これは書籍・ネットに限らずです。


特にインターネットの場合、(当然、僕も含めて)個人が自分で調べたことを公開している場合も多いので一箇所だけの事柄をもって判断しないようにしています。そういう点においては、僕の「ひっそりと・・・」シリーズに関しても、もし僕自身が僕じゃなく、このシリーズを読む読者であったら、僕自身の記事のみをもっては判断してないと思います。



調べ物だけでなく、個人間の紛争に関しては尚更です。



第三者の立場になればなるほど・・・その事実が発生してから僕自身が知るまでに時間が経っていれば経っているものほど・・・その是非をコメントする場合は慎重になってしまいます。



ネット間での紛争も同様です・・・。




曖昧模糊な状態では、何も言えない・・・(涙)





・・・といいつつ、こんな曖昧模糊な記事を書いてしまったのでした・・・。

テーマ:ひとりごとのようなもの - ジャンル:日記

異文化交流は、本当に大変です・・・。

唐突なのですが、僕は現在、外国人との交流をしています。



三十路を迎えて一念発起、英語を勉強しよう!と決めた僕は、考えうるあらゆるテを使って今、勤しんでいます。ネット上においてもそういったコトをしています。(このブログとはリンクされていないブログで継続中)


そしてできた友達・・・色々と話が深まります。



しかし・・・本当に本当に・・・自らの能力不足に辟易・・・!



普通に日常会話をする分にはいいんです。反復して体に染み込ませた表現が出ます・・・。しかし・・・話すテーマが深くなればなるほど・・・自らの語彙力・表現力・返しの能力の低さが露呈・・・(涙)



そして、日本語であれば例えば「あ、これはきっと相手に誤解を与える言い回しだから、こう変えよう」とか「この表現はストレート過ぎる。もっと婉曲にしよう」と推敲もできます。



ところが、英語の場合はそうはいかない・・・なにせ、語彙力がない、表現力が乏しい・・・。




「推敲をしようにも、過ちに気づくことができない。そして、気づいたとしても、それに代わる表現の引き出しを持ちえていない」



・・・という訳です。




きっと・・・「FD・・・ひどいこと言うなぁ!」と相手に思わせたこと、多々あると思います(笑)




逆に、日本語を覚え始めた外国人の日本語に傷つくこともあります(笑)僕が英語に関して感じていることを相手も感じている訳です。




更に、文化・風習も違う・・・。時には日本人の美徳とされる謙虚さも、足を引っ張ることも・・・。




異文化交流は・・・本当に難しい・・・(涙)




なぜ、僕がこんな記事を書いたかというと・・・




今回のいじめ記事に関するやりとり・・・ブログ・サービスの違いなのか・・・色々見させて頂いて感じたから・・・。同じ日本人同士、母国語としている日本語でやりとりしているのに、こうも相互の意思が通じないこともあるのかと思ったからでした。



国籍などに限らず・・・異文化交流って・・・難しいんですね・・・。



(ただ、本音としては、あんまり「区分け・ジャンル分け」って好きじゃないんですけどね)

テーマ:ひとりごとのようなもの - ジャンル:日記

「私であれば・・・」と、それに当てはまらない場合の許容範囲・・・

楽しむYahoo! ブログの作り方♪のOYAJIさんが・・・

相手へのアドバイスの是非について(sen_nin_kiyamaさんへ)


・・・という記事を書かれました。

きっかけとなっている記事・・・(参考にしてください。以下、この記事において「参考記事」とします)
あなたの善意の転載で自殺予告の子供を救って下さい!!




今回の一連の転載騒動に被せた形ではなく、思うところがありましたので、記事にしてみたいと思います。



まず、前提①・・・


前提① 転載にまつわる騒動は、これがはじめてではないこと

僕はOYAJIさんと、もう幾度となく交流をさせてもらっています。ですから、少なくとも約一年間のOYAJIさんにまつわる騒動を見させて頂いてました。ですから自信を持ってこの前提が書けます。この前提を書いておかないと「いや、こういうパターンははじめてだから・・・」という展開になりそうなので・・・。


さらに、前提②・・・


前提② 過去の転載問題から現在にかけて、様々な危険性が意見としてだされていること

個人的に色々な意見が出るのは自由です。人の脳内まで支配することはブログ記事ではできません。しかし、自分とは異なる意見を、他のブロガーの記事を読み取ることによって「あぁ、こういう意見もあるのだ」とインプットすることは可能です。過去の転載記事問題から、現在に至るまで、転載機能に関する問題点は出尽くされているかと思います。


そして、前提③・・・


前提③ 解釈はどうあれ、転載された記事は自分のフィールドの外に出てしまい、相手のフィールドに入ること

著作権法がどうとか、そういった小難しい解釈は、あくまで概念のやりとりであって、現実問題として転載機能によって転載された記事は「自分のブログ内、自分がコントロールできる範囲内から、他人のブログ内、その他人がコントロールする範囲内に移動してしまい、自分のコントロール範囲から外れるもの」となってしまいます。



これらの前提を踏まえ、今回の記事から感じたことを・思ったことを書きます。




感じた結論①:「危険予見が低い」

毎回毎回・・・騒動が起こる度に僕が感じていたことなのです・・・「OYAJIさんは、自分が選択したアイデア・行動が、周囲にどういった余波を与えるか?また、その選択したアイデアや行動に対して、どんな批判が返ってくるのかを考えてないのかな?」といったものです。


ブログは思ったこと感じたことを綴るツールです。ですから、究極は本人の好きなように書けばいい・・・しかし、脳内で発表されることと違い、記事として投稿した途端、誰もが見ることができる状態となります。


当然、異なる意見や反論が出ます。


「もし、このアイデアが世に出た場合、どういった余波が出るのかな?どういった反論が出るのかな?」


・・・という予測は、あってしかるべきだと思うのですが・・・。その予見をしていらっしゃらないのでしょうか?


今現在、僕が覚えている限りの「僕がOYAJIさんの立場に立った場合における危険予見」は以下の通りでした。


「善意の転載の記事」関連・・・
○ティッカーなどの部分は、「宣伝だ!」と思われるかもしれない・・・
○いつものように、二次転載以降のお願いは、記事内容と矛盾した行為と指摘されるかもしれない・・・
○転載によって拡がってしまった場合、万が一記事に誤りが発覚した場合、大変になるかもしれない・・・
○拡大してしまった記事に関して、悪い展開が発生するかもしれない・・・
○自分が思った善意が、否定されることになるかもしれない・・・
○他の転載記事と同様、二次転載以降へのお願いは、自らの善意を否定されることになるかもしれない・・・


これは危険予見ですから、「良い展開」は省略してあります。更に「善意の是非」、「いじめ問題の是非」や「転載されるメリット」を話している訳ではないのでそれを材料とし反論しないでくださいね。



そして、冒頭で紹介した記事のやりとりです・・・



該当の「善意の転載記事」がどういった意図で転載されたかはわかりません。本当の大元の記事を転載不可に変更したOYAJIさんは、転載された先にいつものようにお願いに行き、アドバイスをされました。


そして、転載をした当人及び周囲の方々から反論を受けました。


その後、OYAJIさんのブログ内で泥沼なコメントのやりとり・・・正直、ここは僕も見てて見苦しいなと感じました。(これはOYAJIさんだけを指していません)




感じた結論②:「アドバイスの範疇を超えている」

過去に僕も記事で示したように「転載元の著作者が後で転載を不可にしても、二次転載をとめられない」ことは周知の事実だと思います。


OYAJIさんはおそらく「自分は著作者だから、転載を不可にしてあっても、自分が転載する分にはいいだろう」という判断で他のブログにあった記事を自分のブログ内に転載してきました。


ここでも危険予見の低さが出ています。「紛争の大元となっている記事を、自分が自分でブログにひっぱってきた場合、どのような展開が予想されるか?」という点です。


やはり、予想どおり、転載されました。


ここで正直に告白しますが、僕も自分が持っているYahoo!ブログに転載をしました。OYAJIさんのとこにあった記事と、他ブログにあった記事の二つです。ちょっとした理由があったので・・・。しかしやめましたがね。


OYAJIさんは、他でもやっているように参考記事に対して「お願い」にあがりました。そのお願いの理由は、ご自身の転載機能に関する解釈が根拠となるものでした。



ここで前提②とからみます。「転載機能に関する解釈は、絶対なものではない」という点です。



「絶対なものではないから、『可能性がありますよ♪』というお願いなのですよ。」と言われそうです。



百歩譲って、(実際にはここにも異論があるのですが)このお願いはよしとしましょう。しかし、二グループ目のコメント群から言葉が与える印象が様変わりしてきます。



削除される可能性を示してあげてるのに、それをお伝えすることが酷いことなのかという疑問と、それを知らなかった場合はお礼の一言もあってもよいのでは?というコメントをされています。



もう、この時点でアドバイスの範疇を超えているのです。



アドバイスをするのは自由です・・・が、それを相手が受け入れるかどうかはわかりません。OYAJIさんは「アドバイスは、完全に受け入れるべきもの」という考えであり、さらに「お礼の一言もすべきもの」というスタンスでいます。




感じた結論②:「アドバイスの是非ではなく、私の是非」になってしまっている

上の二ブループ目以降、展開はおかしくなってしまいました。「転載元が不可にしてあったって、転載できるのだから」「著作者が自分で転載したものを転載したって」「善意で転載しているのですよ?」・・・などなど、様々な反論が出始め、それに対してOYAJIさんが反論・・・


結果、言及記事である「相手のアドバイスの是非について」という記事に・・・



「こうこうこういう理由で、アドバイスをしたのに、逆襲されてしまった。私のアドバイス内容はダメなの?」的な記事ですが、前述したようにアドバイスの範疇を超えてしまっています。そして、自身のアドバイスを相手に受け入れさせるために何度もコメントを行っています。


アドバイスをする行為そのものは、さして悪いことではないと思います。しかしながら、その内容・状況・表現方法によっては否定される、そして、そのアドバイスを受容するかしないかは受けた人次第ということを覚えておく必要があると思います。



「自分は、著作者で著作者人格権及び著作権を有している。だから言う権利があるのです。」という言われ方もされそうです。



それは、前述したとおりOYAJIさんの解釈であり、絶対的なものでないです。だからこそ、先程の最初のお願いについて僕は「百歩譲って」と記しました。


ですが、それ以降のコメントのやりとり・・・当然、そういったコメントにもコメント者の人格がでます。そういったもの全てを包括し、「その人のアドバイスは、受け容れられるに足るか否か?」がアドバイスをされた者より判断されます。



アドバイスという行為そのものは、誰も非難はしないでしょうが・・・アドバイスの内容・状況・時期・その後の言動に関しても判断されます。そういったもの全てを総合して「良いことでしょうか?悪いことでしょうか?」と考える必要があるかと思います。




結論③:「私であれば・・・」が当てはまらないことがある。そして、それを踏まえなくてはならない。

今まで、OYAJIさんと結構な時間、お付き合いさせて頂いてますが・・・こう感じました。



「私であれば・・・」を非常に強くうちだしている。それに当てはまらないことに対して外にうってでる。



です。



OYAJIさんは、前述の「お礼の一つもあって・・・」発言でもあるように、更には自分の予想に反しない反応に対して非常に過敏に反応をされます。



「私であれば・・・」で、相手は支配できない。相手の考えを変えることはできない。当てはまらないことがある。
「私であれば・・・」で、自分の行為を正当化することはできない。何が正しくて何が正しくないかは、外部に表現した時点で色々なものと関連し、判断される。



人の性格・気質は千差万別です。逆に「私であれば・・・」が通用しないことの方が多いと思っていた方がいいです。これは、差別でも性悪説でもなんでもない。「人が人として、個体を持つ以上、不変なこと」です。



結論①「危険予見が低い」でも述べたとおり、多分OYAJIさんは「最初のコメントで転載しないでと入れておけば誰もしないだろう」という予見をしました。「私であれば、これを転載しない」です。

しかし、意に沿わず転載されました。転載先にお願いをしに行ったら、周囲も含め逆襲をされました。「私であれば、お願いは受け入れる」にも関わらず、です。「お礼の一つでも・・・」が象徴されています。

そして泥沼のコメント応酬・・・

「私であれば・・・」のOYAJIさんは、最終的に「私がしたアドバイスって悪いこと?」と・・・「私であれば、アドバイスは甘んじてうけるもの」です。


いじめ問題を扱った善意転載記事にしたってそうです。誰もいじめ問題自体を茶化していない、転載機能による記事の頒布に対して危惧して意見記事しているのに、「私であれば、いじめ問題を扱っている記事の転載行為に批判はしない」というスタンス・・・。



「私であれば・・・」は、様々な局面において「自分だったらどうする?」と自問自答するツールとしては絶対に必要なものです。常に自分を顧みて、反省して次に生かす・・・しかし、相手の考えを変えるためや反論としてツールとして使用するには・・・危険です。


ネットの匿名性というものは、時に危険なものですが・・・逆にその人が持つ背景や肩書きを抜きに、純粋にその人の意見だけで勝負されます。


その人の意見が正しいのか、納得できるものなのか?を純粋にその人の(ネット上での)意見や行動から判断されます。


「私であれば・・・」の多用が、どういった反応になるか・・・これは、既に出ているものと思われます。




感じた結論③:「転載機能の現状の仕様・多様な解釈、低い危険予見性、私であればの気質を合わせるとOYAJIさんは転載機能を以後、使うべきでないのではないか?」

過去に示してきた転載機能の現状の仕様、そしてそれにまつわる多様な解釈・・・そして、この記事に前提としてあげた事項・・・。考えとしては・・・


転載機能は、トラックバック以上に相手の懐にもぐりこむもの


になります。


なにせ「自分の記事が相手のブログで公開されてしまう」ものなのですからね・・・。



そこにOYAJIさんの低い危険予見性が付加されます。「・・・たら」「・・・れば」をあまり考えていない(ように見える)・・・。
例「自分の純粋な善意を、転載記事で広めたたら、揶揄されないか?」



そして、予想される「・・・たら」「・・・れば」に対する対処法も、準備していない(ように見える)・・・。
例「転載記事を何らかの事情で、転載不可を余儀なくされたら、どうする?」



極めつけは・・・「私であれば・・・」です。


この気質が故に、「相手の懐に飛び込んでしまった転載記事」に対して「相手のブログでアドバイス」をする・・・その数も増える・・・アドバイスを受け入れないことに対して「私であれば・・・」です。


いくら綺麗な言葉でお願いしても、反発を食らうこともあります・・・。そして反発を食らった場合・・・更にそれに対応・・・。




泥沼です・・・(涙)




「私がどう言われようと気にしないですよ♪」とも大いに矛盾しています。どう言われようが気にしないのであれば、異論・反論に噛み付き続ける必要なありません。そして、「私がどう言われようが気にしないから相手にコメントし続ける」というのも違います。



転載機能が相手の懐に記事が行ってしまうものであり、更に色々な危険性が含まれているものであり、且つ「私であれば・・・」というスタンスを持ち続ける限り・・・。絶対にOYAJIさんは衝突します。



相手の懐に潜り込む転載機能、「私がどう言われようが気にしない」にも関わらず相手のブログに行き「私であれば・・・」的発言、反発された際に更に相乗・・・。




僕は「もう、OYAJIさんは転載機能を使うべきではないのではないか?」と思ってしまったのでした。




締めの言葉・・・皮肉なものです。


皮肉なものです・・・孤軍奮闘するOYAJIさん・・・僕自身、OYAJIさんを今でも嫌ってはいないです。しかし、いつも不思議に思います。あれだけ多数の支持者(ファン?)を得ていながら、こと騒動に関しては殆どの人が意見記事を発しない。また、明らかにOYAJIさんの言動・行動におかしな点があっても、誰も苦言を呈しない(とわさんくらいですかね?第三者にも分かるようにしているのは。)


ある意味、初心者の危険予見なのですよ。「OYAJIさんに苦言を呈すると、思いっきりコメントされてしまう。」という・・・。



そして、参考記事・・・これも皮肉なものです・・・。


OYAJIさんのところから転載されてきてますから・・・ちゃんと転載元が「楽しむYahoo!ブログの作り方♪」になってます。外見上は、著作権侵害になってないのですよ・・・。よっぽどその他の善意で転載された二次転載記事以降の記事の方が著作権侵害という点では問題です。


「著作者の意に介しない」にしたって、立証が大変です。原作者(著作者)の元にある記事を、設定されている機能で転載してきたのですからね・・・。前提①で示した過去の多くの議論から、危険性は理解しているハズなのに・・・という話になります。一応、転載した本人は「善意で」と言ってますし・・・。




本当は、僕はいじめ問題に関する善意転載記事問題には関与しないつもりでいました。しかし、最近、ぐちゃぐちゃになって訳が分からない状態にあります。だからこそ、もうケリをつけたいなと思い、この記事を書きました。



この記事は、僕なりのOYAJIさんへのアドバイス・お願いです。OYAJIさんが仰るとおりアドバイスすることは悪いことではありません。そして、僕はOYAJIさんのように僕のアドバイスをOYAJIさんに全部聞き入れさせようとは思いません。コメントで粘着もしません。


ただ・・・どこかで・・・どこかのタイミングで・・・OYAJIさんの色々な点を改める・・・いや、語弊があります・・・現在OYAJIさんが有している常識に、もう少し何かを足しておかないと・・・この転載機能に限らず、トラブルは絶えないような気がします。


睡眠時間を削って対応されているOYAJIさんに対して、大変だ・・・と思ったので記事にしてみました。




追伸:現在、OYAJIさんのブログでコメントしまくっていらっしゃる方々・・・そのコメント内容そのものに異論はありません。むしろ、賛同できます・・・が、コメントしまくってる行為そのものは、第三者の立場から見て賛同できません。皆さんが揶揄される粘着コメントと同じ土俵に立ってしまっています。伝えようとする考えが正当なものでも、伝えようとする行動がおかしいと、その考えそのものがくすんでしまいます。それは、「善意の転載記事」で論じられたこと(いじめをなんとかしようとする善意が、チェーンメールのような行為によってくすんだこと)と同じになりませんか?

ブログを持っていらっしゃらない方はコメントしか表現することができないので仕方ないにしても、ブログを持っていらっしゃる方は是非、記事にての応酬を提案したいです。

そして、OYAJIさんも、やったらやりかえすで嫌味たらたらのコメントをすべきでないっす。汚い言葉・罵る言葉は使っていなくても、文章という形になった際、嫌味・皮肉になることはあります。そして、それが引こうとした相手の気に障ることになります。自分の言葉で自分の首を絞める形になっています。

現在、双方ともコメントの悪い点(発言を精査する時間がなく、感情におもむいたものになりやすい点)だけが露出しちゃってます。


是非、ご一考ください。

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ひっそりと転載機能を考えてみます・・・その8

Yahoo! ブログの転載機能著作権法を中心とした法律の観点から考えたこのシリーズ、前回の時点でサービス提供者である Yahoo! に対して物申す!という話になりました。


その話は、他の方々と歩調をあわせながら進むとして・・・



誰かが転載可とし、誰かがボタンを押すから発生する転載記事・・・今回の件に限らず、今までに見させて頂いた騒動から感じたことを記事にし、一旦シリーズのシメとさせて頂こうと思います。



このシリーズの冒頭・・・僕は著作権を特別視しない、という表現を使いました。著作権はあくまで数ある中の一つの権利であり、他にも色々な権利が存在する、だから、いくらブログという表現する媒体だからといってその象徴である著作権だけを特別視し、絶対視したくないという考えです。




「権利をしっかりと主張したいのなら、それに値するだけの責任を果たせ」





最近は、「権利権利と主張ばかりして、義務を果たしていない者が多すぎる」などと、評論家が発しているのを耳にします。



僕は、無から有を生み出す才能・・・文章にて創作をする才能はありません。ただ、ある事象を文章にまとめる仕事をしています。そういった意味ではすごく広い意味で「物書き」のはしくれかもしれません。そんな僕が自分が生み出す文章に対して一番大事にしているのは・・・著作権という他人に対して主張する権利ではなく・・・文責という自分が他人に対して与える責任です。



文責という言葉・・・辞書を紐解いてみると、実は違った意味があるようです。


Yahoo! 辞書「文責」


なるほど・・・例えば会議などの議事録・・・複数の人間が話したことを書記係の人がメモ、そして文章に起こす。その際、会議で話された内容をちゃんと表現しているかという意味で責任を負うという意味・・・といったところでしょうか。



僕はこの文責を、もっと普通に一般常識的に・・・「書いたことに対する自分の責任」としてとらえたいなと思います。



なにも難しいことはありません。「自分で書いたこと(コメントも含む)に自分が縛られることへの覚悟」・・・ただそれだけです。




「禁煙するぞ!」という記事を書きます。読者は「あぁ、FDは禁煙するんだ」と認識します。そして数ヵ月後「あれ?FDってさ、禁煙するって言ってなかった?」という質問が出ます。「おう!できてるよ!」「いや、無理だった・・・。」
→これだって、立派な文責です(笑)ただ、自分で禁煙すると宣言しておきながら守れなかったということ。

「僕は・・・○○というブログの△△さんが好きじゃぁ~!」という記事を書きます。結果、フラれます。周囲から「お前はバカか!」というツッコミが入ります。
→これだって、立派な文責です(笑)恋愛は・・・相手あってのものですし・・・。

逆に、ブログが縁の仲だって・・・ありえるかもしれません。こればっかりは、なんともいえません。(僕はチャットが縁で結婚した方を知ってます)
→これだって、立派な文責です。責任は、悪いことばかりではありません。頑張ったことが実を結ぶこともあります(笑)(ありえないってというツッコミはどうぞご勘弁を)

「○○さんの△△の記事に対して、僕は××だと思う」という記事を書きます。そしてそれに対して賛同意見だけでなく批判・反論意見だってでます。
→これだって、立派な文責です。津波のような批判を巻き起こす書き方をしたのは、あくまで自分です。

「法律解釈」という記事を書きます。その解釈が明らかに誤っていました。そして、指摘を受けます。また「FD!あんた!なんてこと書いたんだ!あなたを信じてあなたの書いたことを友達に言ったらバカにされた!」ということもあるかもしれませんし「FDの記事のおかげで助かったよぉ」となるかもしれません。
→これだって、立派な文責です。むしろ弁護士をはじめとした士業は、これを生活の糧にしている訳です。失敗した場合の責任は大きいっす。

「怒りにまかせた記事」を書きます。(過去に経験アリ)相手に対して失礼なことを言ってしまうこともあります。そして、月日が流れて冷静に自分でその記事を読み返した時、恥ずかしさを感じることもあります。
→これだって、立派な文責です。相手を傷つけることもあるし、そんな行動をとってしまった自分に腹が立つこともあるでしょう。

「FDってヤツは、○○(差別用語)で△△(差別用語)で××(差別用語)なヤツなんだよ!」という記事を書きます。その結果、名誉毀損で訴えられたりするかも・・・。
→これだって、立派な文責です。・・・まぁ、当たり前ですか。




・・・頭の中の、誰にも影響を与えない自由世界から実世界に表現が飛び出た以上・・・なにかしらの影響を周囲に与える訳です。良い結果を享受もできるし、悪い結果に立ち向かう必要もあります。「文責」と聞くと非常に重く大きなモノを連想するかもしれませんが、実世界と同じなんです。



さてさて・・・ここに転載機能をからめます。




著作権侵害だとか、そういった難しい事柄を抜きに・・・転載機能文責が拡がる機能です。そして、転載した人も全てではないにせよ、文責を負う機能です。前述したように、良い結果を享受できるかもしれませんし、悪い結果に立ち向かう必要がある訳です。





「いやいやいやいや・・・FD、僕が拡げる転載記事は人畜無害だから大丈夫」
「いやいやいやいや・・・FD、僕が転載した記事は人畜無害だから大丈夫」





なにをもって大丈夫なのか・・・その根拠はどこにあるのか・・・僕にはわかりません。



ポチッとな♪という安易な感覚で自分の手元に持ってきた転載記事・・・その転載記事にどんな要素が含まれているのか・・・「記事の目利き」ができればよいのですが・・・もし、自分にそんな能力がなかったら・・・。自分の言葉で綴った記事は、まだ自分で責任を負えると思うのですが・・・人からもらってきた記事に、それほど責任が負えるのかという問題もあります。安易に手元に持ってきた記事は、やはり安易な責任感しか生まないような気がするのです・・・。





自分しか見えない形での転載しかできない仕様などであれば、それほど気にならないこの転載機能ですが・・・転載機能の存在を知り、深く考えれば考えるほど・・・そして、様々なトラブルを目にすればするほど・・・。




あぁ・・・自分にはきっと(責任は)負えない・・・(涙)




・・・と思うと同時に・・・厳しい言い方ですが・・・




転載を可にした時点で、起こりうる全ての事象に対して・・・受け入れ立ち向かう覚悟がいる・・・。そして、そんな機能って一体・・・。



誤解のないように・・・僕は転載機能そのもののアイデアを否定はしていません。ただ、現状の仕様から鑑みて・・・更にはこれは自分自身の実感ですが・・・記事をしっかりと書くこと・読むことの楽しみを凌駕するほどの感覚がないのです。それよりも先に責任を連想してしまうのです。



すごく難しいことばかりの記事を書けなどとは言ってません。おもしろい話や日常のとりとめのない話でも・・・趣味の話でも・・・自分が撮った写真でも・・・まずは自分から・・・そして、ブログの記事だって実世界と同様に、楽しみと同時に責任もあるんだよと・・・その認識は持っておく必要があるのかなと思います。



あぁ・・・かなりムサくるしい論調になってしまいました(涙)こうして記事として挙げた以上、これもまた僕の文責・・・「FD!なんという記事の書き方しているんだ!文責文責と偉そうにのたまってたくせに!」と言われることのないよう、文章表現力に磨きをかけたいと思います。



とりあえず、この記事にてシリーズの区切りとしたいなと思います。「閑話休題」の記事にて、色々とトラックバックを頂いており、読ませて頂いた中に「転載機能を生かすとしたら、こういった使い方だろうな・・・」と思う部分も感じましたので、また別の機会に記事にしたいなと思います。



とりあえず・・・著作権法の勉強を継続しつつ・・・地下に潜ります(笑)



実世界においては「特定商取引に関する法律」の勉強っす・・・(涙)

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ひっそりと転載機能を考えてみます・・・その7

前回までは、転載機能の仕様を著作権法といった法律面から考えてみました。そして、現時点における考え方を述べさせて頂きました。



この機能・・・転載をされる人も、転載をする人もリスクがある機能ですよね。


もし・・・第三者の著作権を侵害する転載元記事を作成したら・・・そしてそれが転載機能により頒布したら・・・。この「第三者」と呼ばれる立場の人からしたら、転載機能だろうがなんだろうが・・・最初の転載元記事の時点で著作権侵害ですからね。転載をされた人(著作者)も、転載をした人も・・・責任の多寡はあれど、第三者の攻撃対象です。



「ねぇFD・・・それだけあなた、ギャーギャーと転載機能は危険って言ってるけど・・・サービス提供者の Yahoo! が設定しているのだからさ・・・。」




そう!それなのです!




天下の Yahoo!・・・僕は経済界の事情などには全くうとい人間・・・Yahoo! の企業としての規模はよくわかりません・・・が!インターネットという媒体を活用して商売をする以上・・・一定限度の善管注意義務・・・「善良なる管理者としての注意義務」が存在すると思います。




なのに・・・なのに・・・なのに・・・(涙)




セクションが分かれている弊害なのかよくわかりませんが、この転載機能システムを構築した時点で法務部といったセクションに確認を取っておく必要があるハズ・・・。しかも同じブログ業界において、過去の転載機能に似た機能の件で噴出した問題は把握しているハズ・・・。




自社のユーザーの質(PC知識やネット知識の程度)を、把握しているハズの企業なのに・・・危険性を想定できないとは・・・。




機能設定者として・・・ユーザーを混乱に陥れた(若しくは陥れる)Yahoo! の責任は・・・大きいと思います。





消費者契約法や特定商取引法、金融商品販売法などといった消費者保護に関する法律が雨後のタケノコのようにニョキニョキと発生しています。専門知識を持った側が、知識を持っていない側に対しての説明義務・・・そして円滑な取引を目指すという風土ができ始めている訳です。




そして企業ではコンプライアンス(法令遵守)という言葉が多用されるようになりました。(ここだけの話ですが・・・すごく身動きがしにくいです・・・コンプライアンス・・・涙。あ、ここだけの話ですよ。)





そのコンプライアンスは、当然、ブログサービスを提供するにあたっても備えておくべき精神です。なのに・・・現状の転載機能・・・。




Adan Kadan Blogの阿檀さんが、ピッタリの記事を作ってくれています。この記事をもって僕のこの記事「その6」を終わらせてもよいくらいです(笑)


コンプライアンスの時代にあって~敵は本丸《Y!B》にあり♪
ウィニー裁判:元東大助手の金子被告に有罪判決






目指すは Yahoo! !・・・と、なった訳です。




さて、Yahoo! に対して物申すにあたり、一点、引っかかる要素が・・・それは「著作者人格権の不行使特約」です。


Yahoo! JAPANに送信(発信)されたコンテンツについて
Yahoo! JAPANには掲示板など、ユーザーのみなさまが送信(発信)したコンテンツを不特定多数のユーザーがアクセスできるサービスがあります。このような不特定多数のユーザーがアクセスできるサービスに対してユーザーがコンテンツを送信(発信)した場合、ユーザーはYahoo! JAPANに対して、当該コンテンツを日本の国内外で無償で非独占的に使用する(複製、公開、送信、頒布、譲渡、貸与、翻訳、翻案を含む)権利を許諾(サブライセンス権を含む)したものとみなします。また、ユーザーは著作者人格権を行使しないものとします。
なお、この条項は、他のユーザーに対してYahoo! JAPANが当該コンテンツの使用許諾をすることを約束するものではありません。
(Yahoo! サービス利用規約より引用)




今までのシリーズで書いたとおり、著作者人格権は著作者に一身専属的に備えられる権利です。著作者が創作した著作物に対して、問題が発生した場合には著作者はその相手に物申すことができます。



反面、様々な局面(例えば新着記事表示やおすすめブログ)に取り上げられるたびに、ヘンに著作権法を振りかざされクレームを受けたら企業側としてもたまったものではありません。とはいうものの、ブログ内で物凄い傑作を作成、出版などに至った場合において「いや、著作者人格権を行使しないとなってるから」などと言われても、ユーザーとしては、たまったものではありません。上の規約を文理解釈した場合、ユーザーが創作した創作物を Yahoo! に利用許諾したものとされ、それに対してユーザーは著作者人格権の行使ができないとなります。(ちなみに、著作者人格権の放棄ではありません。不行使ですからね。意味が全く違いますからね。)



この著作者人格権不行使特約・・・おそらく実務の世界には往々にしてある行為ではないかと想像します。契約の当事者、しかも著作権を譲り受ける側の立場にたって想像してみてください。


契約後、何か起きる度に「著作者人格権侵害だ!」と言われたなら・・・いかがでしょう?


ですから、この特約はわからなくもない・・・。



こんな判例を見つけました。


法律解説書の著作権事件(参照:日本ユニ著作権センター)


著作者人格権不行使という約束があるにも関わらず一律に無効とせず、様々な事情を勘案して不行使を認めるかどうかを決定しています。(この場合、著作者人格権不行使特約があっても行使されています)そうなんですよね、契約の都度、全て「著作者人格権不行使」を完全に認めてしまったら・・・事実上、著作者に著作者人格権は存在しない、となっていまいます。



「ブログサービス」という「器」を与えるだけで、創作するのは各自のブロガーさん・・・その創作した著作物に対して何かをアクションするにあたり Yahoo! 側は「利用規約で謳ってあるから」の一言で対抗できるかどうか・・・。



皆さん、この部分、各自で考えてみてください。




では・・・Yahoo! に対してどうやって一石を投じるか・・・。





先に紹介した阿檀さんが、地下に潜る宣言をされましたので・・・ここで述べるのはやめておきます。(おい、FD!実はネタが無いんじゃないか?というツッコミは・・・勘弁してください)




投じる一石が、単に水面を揺らすだけの木の葉のようなものとなるのか・・・はたまた大きな波を作ることができるものなのか・・・どうなるかわかりませんが、チャレンジしてみたいなと思っています。





さて、次回・・・「著作権よりも文責」にてこのシリーズを一旦区切りたいと思います。

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ひっそりと転載機能を考えてみます・・・その6

過疎ブログのここと異なり、以前ほどではないにせよ、各地で転載機能に関して色々と意見がぶつかっています。


ここはここのペースで進めていきます。



引き続き著作権法を勉強しているのですが、どうしても「無体財産」という観念がしっくりきていません。法律というものは、どの法律も一定の法則というか、クセというものがあると思います。そして、そこに上乗せする形でその法律が持っている呼吸というか理念のようなものがあると考えています。優秀な弁護士があまり本分としていない法律を扱う事例に出くわして、でも短期間の間にその法律を習得するのはそういった呼吸を沁み込ませる能力に長けているのではと思います。


あるアーティストが有している著作権をレコード会社が譲り受け、CDを制作・・・店頭に並んでいるCDを僕が購入・・・そして、コピー・・・そのコピーを友人にあげます。所有していたCDを、僕は中古屋さんに売ってしまい、手元にはコピーだけ・・・そして友人はコピーを元に頒布・・・。CDという具現化しているモノでなく・・・どのような著作権がどのように推移しているのでしょう?



著作者に専属的に発生する著作者人格権と異なり、いわゆる「著作権」とされる各種の権利は本当にイメージをするのが大変です。



僕はどうしても、著作権が具現化した(と錯覚してしまう)CD(有体財産)に着目してしまいます・・・(涙)



CDを「転載された記事」に当てはめてみると・・・実際に活字として表れているモノに著作権がついているのではなく、目に見えないモノ・・・記事が実際に動くというコトではなく、「転載可とする・しない」「転載する・される」という行為に着目すると・・・色々な見方ができるのかなと思ったりもします。



ちょうどタイムリーというか、事例を記事にしようとしている今、例として挙げようとした事項が実際に発生しました。



(今から示す事例及び解釈は、あくまで僕の解釈であり、裁判所などが示す判決とは異なります。絶対的なものではないことを承知しておいてください。)

【検証例】
AというブロガーがX1という記事を書き上げ、投稿、その際、転載を可としました。それをBというブロガーが転載しました。転載された記事をX1-1(一次転載)とします。その後、CというブロガーがBから転載、CのブログにはX2-1(二次転載)という記事が存在しました。同じ記事ですが、当然訪問する方々の気質は異なり、発生するコメントも異なります。X2-1記事では批判を伴うコメントが大発生しました。そこでAは今後一切転載することをやめ、「可」としていた選択を「不可」としました。それでもX1-1記事やX2-1記事からは転載者が絶えません。Aは「不可」とした以降に各所の転載記事から転載したブロガーに対して著作権法を根拠に削除を請求できるのでしょうか?

要約
1.元記事を書き上げたのはA(著作者)
2.投稿時、転載「可」としたのはA自身
3.Bが一次転載 転載記事X1-1発生
4.Cが二次転載 転載記事X2-1発生
5.転載記事X2-1にて批判コメント続出
6.Aが元記事の転載を「不可」にする
7.以後、Aは各転載記事に対して削除のお願いをする。削除要請の根拠は著作権法。
8.転載の手段は、全て転載機能を使ってのものである。



転載をしたことのない方も、転載をした方も、された方も、Yahoo!ブロガーでない方も、「自分だったらどうかな?どうするかな?」と考えてみてください。



【著作権侵害を根拠に削除要請できるか?】
「転載されてもいいよ」という意思表示の象徴である「転載可」・・・そして、途中、「やっぱり転載や~めた」と「不可」にしても・・・現在の仕様では魔法のように過去に転載された記事が消える訳ではありません。



先程のCDと同じ話・・・著作権は目に見えるモノにピッタリつく「有体財産権」ではなく、目に見えない「無体財産権」・・・。




僕が「再転載以後の複製権まで許諾してしまう」と解釈した点・・・そして、わたりとりさんが「複製権の放棄」という言葉を連想した点・・・。



転載可とした時点で、著作権侵害をもって削除要請はきびしい・難しいと考えます。



現状の転載機能に関しては、既にその詳細は知られているところです。「事実上、中身がそっくり移設される機能(氏名表示を除く)」です。転載を「可」とした時点で、その危険性については著作者も理解しているものと考えます。よって、以後「不可」にシフトチェンジしても、それ以前に行なわれた「可」の意思表示に遡って取消となるものではなく、以後「元記事からの転載ができない」という意思表示になる訳です。僕は前回の「その5」という記事で、契約書として作成して思ったのですが、転載機能により転載された時点で、転載した人もまた「転載機能によってのみ複製を許す権限をもつ著作権者」になるのではないかと考えます。だからこそ「再転載も許諾」という表現につながったのですが・・・。



Yahoo! が表明しているYahoo! ブログをお使いの皆様へのお願いの中で「無断で著作物を公開するなど、第三者の知的財産権を侵害したり、侵害を助長することの禁止」が謳ってあり、それを根拠に削除要請はできないのか?という意見もあるかと思います。


僕は、この記載にある無断という言葉に着目したいなと思います。これはまさしく「著作者に許可を得ないで、勝手に」という意味・・・右クリック&コピペなどに象徴される行為です。ところが転載機能による転載は・・・機能上認められている行為なのです。


「だったら著作者の意思は全く反映されないのかっ?!もうこれ以上、転載されるのは嫌なんだぁ~!!!」


・・・と思われる方も、いらっしゃるかもしれません。でも・・・このシリーズの「その1」で示したとおり転載機能で定められた約束事には・・・そういった事項は・・・ないのです。



事例が異なりますので完全に同じと解釈はできませんが、著作者人格権に関する判例で「やっぱりブスが好き」事件というものがあります。種々の事情を勘案し、原告が要求する著作者人格権侵害を権利の濫用として否定した事例です。参照:日本ユニ著作権センター


このシリーズの冒頭で、僕は「著作権を特別視しない」という書き方をしました。著作権は唯一無二の権利ではなくこの世に存在する様々な権利の単なる一つであるという意味です。要求する側にも権利はあるのですが、要求される側にも権利がある・・・一定の約束事をふんで行なった転載行為を無断と論じるには・・・あまりに著作権者に天秤が傾いている・・・それは法律の要求するバランスではない・・・そう考える訳です。




【では、その他の理由を根拠に削除要請できない?】
考えうる可能性としては・・・。著作権法第113条6項といったところでしょうか・・・。


名誉・声望保持権
著作権法第113条6項
著作者の名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為は、その著作者人格権を侵害する行為とみなす。



著作物の内容が改変されていなくても、侵害行為とみなす条文です。




しかし、なんでもかんでも当てはまると思ってはなりません。安易に考えてはなりません。(これくらい念押ししとかないと・・・)




こういった判例があります。(「運鈍根の男 古河市兵衛の生涯」事件参照:日本ユニ著作権センターでは民法上の名誉毀損とこの著作権法に定める名誉毀損とは種類が異なる旨の内容が記載されています。更にこの条文は「該当する著作物の利用態様に着目して名誉や声望を害するおそれがあるか?」で決まるものとも述べられています。



Yahoo!ブロガーが、そのブログの中で普通にボタンを押して転載した・・・利用態様としては・・・どうでしょうか?転載される前の元記事・・・当然「ブログの中の一つの記事」です。そして・・・転載機能によって転載される記事も・・・「転載先のブログの中の一つの記事」となります。利用態様に大きな変化は・・・ありませんよね?



「ならば、普通に(民法や刑法の)名誉毀損などすればいいじゃないか?」



・・・という疑問もあがりそうです。



そうなった時点で「著作権法を根拠としないもの」になりますが・・・ちょっと想像してみます。例えば、とある映画(音楽でもいいです)の批評をする記事が作成されました。その映画(音楽)の映像を写真として掲載し、批評・・・その中身はとても辛辣なものでした。


「駄作!」「見る価値なし!」「趣味わるっ!」「さいてー!」(およそ皆さんが想像しうる罵倒の言葉を連想してください)



名誉毀損は・・・



これは・・・名誉毀損を実務として非常にこなしている方に是非意見を頂戴したいのですが・・・ケース・バイ・ケースで非常に難しいと思います。そもそも批判というものに対して批判的(うん?表現として正しい?)なこと自体、その人自身が批判を使っちゃってる訳で・・・。



更に、「名誉毀損だ!」「名誉毀損だ!」ととめどなく相手にぶつけ続けることも・・・Yahoo! ブログをお使いの皆様へのお願いに抵触する危険がありますし・・・相手にストレスを与え、逆に相手から同様に反撃される危険も・・・。




「批判と誹謗中傷」に関連して、別記事で up しようと試みたのですが際限なく話題が拡がってしまうくらい・・・。


(余談:実は、この記事に先立ち・・・県警、検察、法務局人権擁護局及び知り合いの弁護士に電話で名誉毀損の突撃取材を敢行しました・・・「FD、ヒマなんだな」というツッコミは勘弁してください。記事として出す以上、適当なコトは書けませんから。やはり実際に事件として進めるには、色々なハードルがありますね。そりゃそうでしょう・・・相手にだって色々な権利がある訳ですからね。場合によっては、人一人の人生を大きく変える訳ですから。)



さらに、ここは僕自身も大いに自戒するべき箇所ですが・・・転載された先で批判が生じる、ということは・・・記事そのものの質・内容に問題がある可能性だってある訳です。


この「ひっそりと転載機能を考えてみますシリーズ」・・・もし、Yahoo!ブログで記事として掲載し、転載されたとします。その転載先で「ねぇ、このFDってヤツの文章、読みにくくね?」「なんか、こいつムカつく」「偉そうに!」って言われるかもしれません。でも、これって・・・転載元(自分のブログ内)でだって言われる可能性・・・あるのですよね・・・。




著作権法を根拠にできず、可能性としては名誉毀損・・・しかも、記事の扱いではなくコメント欄の誹謗中傷を主たる対象・・・記事削除は二次的な要請・・・




可能性としては、これくらいしかないかなと思います。後の可能性は・・・錯誤による無効・・・くらいでしょうか・・・。




【じゃあ、どうする?】
Yahoo! ブログをお使いの皆様へのお願いガイドラインに記載されている通り、おそらく当事者間同士の紛争に関しては Yahoo!は積極的に関与することはなく「当事者同士で適切に対処してください」の姿勢は今後も崩さないと思います。


これは、Yahoo!が面倒なことに巻き込まれるのは困るという牽制という要素、と、更には僕達ブロガーの保護の要素もあるかと思います。



名誉毀損の部分とも重複しますが、状況・原因・発言した人・発言した内容・・・同じ言葉を入力しても、意味合いが全く変わる場合がありますし、更には受け手の側の問題もあります。



それらを全て「誹謗中傷だ!」と一括りにして、Yahoo!側が判断、削除などを一手に引き受けたら・・・おそらくYahoo!ブロガーさん達は、自由闊達な表現ができなくなると思います。いつ削除されるかわからないとビクビク震えながらブログを継続していかないとならない訳です。




「だからYahoo! ブログをお使いの皆様へのお願いにあるように双方が誠実に話し合うのでしょう?」




誠実に話し合う=決着が必ずつく・・・でしたら、世の中には訴訟という言葉は消えてなくなるでしょうね。しかも声高に「ガイドライン違反だ!」と相手に詰め寄ることを誠実と見るか・・・更には片方からしたら自分の主張が通った場合が誠実なのか・・・それこそ、人によって十人十色でしょうね。





話が逸れました。転載された記事の削除に戻します。




結局・・・平に平に頭を下げ、削除して頂くことしか・・・ないように思えます。それでも相手が断固として拒否をし、且つ自分自身の著作者として許し難いと判断するようなものであったなら・・・。



しかるべき措置を粛々ととっていくしかないように思えます・・・。




ふぅ・・・おそらくこの一年間でこの話題は既に出ている内容だと思いますが、あらためて自分で記事に起こしてみて「やっぱり転載機能って、危険だなぁ」と感じてしまいました。




もし僕が、「それでも(現状の仕様のまま)転載機能を活用するためには、初心者に対してどうやって言う?」という問いかけを受けたならば・・・こうやって説明するでしょうね。




「転載機能は、可とした時点でどこまで記事が転載されていくかわかりません。もし・・・もし、将来、『やっぱりもう転載させたくない』と思った場合や『やばい!記事にヘンなこと書いちゃった!』と思った場合には、今までに存在している転載記事は、相手にお願いして削除してもらうしか方法はありません。削除するしないは、相手次第です。そういった手間がかかり危険が潜在する可能性がある機能ですから、承知のうえ使ってね。転載可として問題が発生しても、僕は一切責任負えませんからね。」




・・・でしょうか。冷たいかもしれませんが、安易にはおすすめできません。「○○で△△な処置をしたら、転載は大丈夫!」と言っても、イザ紛争に発展した場合は何も助けることができないからです。知り合ったブロガーさんが、「FDが大丈夫って言うから、転載可にしたし、私も転載して記事をもらってきたのに」と言われるのが想像できます。



初心者であればあるほど・・・その記事の内容がどういったものになるかの危険を予知できない人であればあるほど・・・僕は使うべきではないと思います。




仕方ないじゃない・・・既に機能として存在していて、否が応にもボタンが見えてしまうのだから・・・有名なブロガーは転載してくださいって言ってるし・・・。



こんな声が聞こえてきそうです。




少々厳しい言い方ですが・・・「皆がやってるから」「そこにボタンがあるから」という判断基準は捨てた方が賢明かと思います。ネットの世界に限らず、実世界においても、安易に考えていて大きな痛手を被ることはあります。その時、「知らなかった」で済めばラッキーという展開もあるでしょうが、そうでない・・・非常に不幸な展開になる場合もあります。



知らないことは恥ではありません。「知らないこと」を知った時、しっかりと学べばいいのです。しかし、「知らなかった」ではすまされないこともあるということも知っておく必要はあると思います。
(誤解のないように!僕自身だって、全知全能ではありません。知らないことだらけです。間違いだらけの人生を送っています。)




「皆がやってるから」「そこにボタンがあるから」じゃなく、「転載をしてもされても責任が負えるか」という判断基準で転載可とする、転載ボタンを押す、というものにすべきと思います。







しかし・・・こんなにモメる要素満点の機能を・・・何故 Yahoo! は搭載したのでしょうかねぇ・・・。






次回は、Yahoo! の責任に言及したいと思います。さて・・・いよいよ・・・本丸です(笑)

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閑話休題・・・意見・・・聞かせて欲しい・・・

現在、「ひっそりと転載機能を考える」シリーズを展開しています。




このシリーズは、あくまで現状の転載機能の仕様を著作権法をはじめとした色々な法律観点から解釈を試みる、というものです。ですから、マナーやマイルールなどによる機能の欠点補完に関しては論じることなくきました。そういったマナーで補完できるから転載機能は継続してもいいのだという主張はして欲しくなかったためです。




そして、ここまでの間、転載機能に関して「いや、法律的にみても問題ないのだ!」という意見自体は表明されていないのが現状です。(僕が知らないだけで、他では存在しているかもしれません。そういった意見がありましたら、是非教えてください。)転載機能に対して色々な解釈が出つつも、帰着する結論としては・・・「転載機能は危険」というものになってしまっています。




過去、いくどとなく転載機能に関してトラブルがありました。今もなお・・・継続しているものもあります。





それでも・・・なお・・・転載機能を活用する理由はなんなのか?





「機能として存在しているから」
「転載機能で、こんなことができた」
「転載可とする理由は・・・」
「転載する理由は・・・」
「別に・・・理由はないよ・・・」
「自分のブログで読みたいだけ」






人は、行動を起こすのに際して、なんらかの理由があるかと思います。「なんにも考えずに押した」にしたって、「なんにも考えてない」ことが理由になるかと思います。





僕は、ずっと不思議に思っていました。これだけ転載機能に関して議論が活発になっているのに、「転載機能、使おうよ!」的な意見がほとんど出ない・・・。ずっと交流させてもらっているOYAJIさん・・・そして、とわさんくらいかな・・・拝見したのは。





今後、この「ひっそりと転載機能を考えます」シリーズの後、今度は転載機能を使う人達の心理を考えてみたいとも思っていますので、是非、「私が転載機能を使う理由」「何故、あの時、あの記事を転載したのか?」といった法律解釈でない部分にまつわる意見を教えて頂けませんか?もちろん、「私が転載機能を嫌う理由」といった反対意見でも結構です。



そこで数点、お願いがあります。


お願い その1
記事にしてトラックバックしてください。コメントは自由なので、コメントで意見発信でもよいのですが・・・できましたらで結構です。

お願い その2
今継続しているシリーズ後に、頂戴した意見を参考にさせてもらい記事にしたいと思っていますので、しばらくの間は、頂戴したままとなってしまいます。そういった点、ご了承ください。

お願い その3
法律解釈に関する意見記事は、現在の「ひっそりと転載機能を考えてみます」シリーズへトラックバックして頂いて結構ですが、そうではない意見記事に関しては、本記事にあててお願いします。判断のラインは「転載機能を法律解釈したものか、そうでないか」です。


これはあくまでお願いですので、強制的なものではありません。




是非是非・・・お願い致します!

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ひっそりと転載機能を考えてみます・・・その5



前回、前々回の記事では大変失礼致しました。そして、色々と勉強になりました。





さて、今回は、事例の研究に行く前に、『黙示の許諾』と『無断転載』という言葉を少しだけ解剖し、更に現状の転載機能の仕様から逆算した形で「複製権の利用許諾契約書」を作成してみようと思います。



黙示(Yahoo!辞書)

許諾(Yahoo!辞書)


有斐閣の法律用語辞典には「黙示の許諾」という言葉そのものはありませんでしたが、「黙示の意思表示」というものがありました。
【黙示の意思表示】
言葉や文字によっては表示行為があったとはいえないが、行動や周囲の事情を総合すれば、一定の表示行為があったものと判断されることをいう。明示の意思表示に対する。



「黙示・・・」という言葉で僕が真っ先に想起する言葉は「黙示の更新」です。賃貸アパートにお住まいの方、ご自身の事務所を賃貸されていらっしゃる方は、お手元に賃貸借契約書がありましたら、ペラペラとめくってみてください。「黙示の更新」という名前の条文があるかと思います。契約期間の一定期日を迎えるにあたって賃貸人・賃借人双方からの解除の意思表示がない場合、本契約と同一の内容をもって更新するものとする、という種類の文章が書かれているのではと思います。

もう少しひらたくすると・・・「貸した側も借りた側も、更新の期日までにな~んにもお互いに言わなかったら、同じ条件で継続するね」という意味です。


「黙示」はイメージできましたか?では「許諾」です。これは有斐閣の法律用語辞典に載っていました。
【許諾】
要求を聞き入れ、許すことで、「承諾」とほぼ同義。例えば、国会議員の不逮捕特権について、「会期中その院の許諾がなければ逮捕されない」(国会33)などのように、一般に禁止されていることが許諾によって可能になるという場合に用いられる。




ふむふむ・・・「禁止されているものが可能となる」・・・という部分がミソのような気がしてきました。そうすると、黙示の許諾というのは「許諾する人は毎日毎日『許諾します!』とは言っていないけど、状況・状態を総合的に判断したら、許諾しちゃってる。」・・・という意味ですね。



基本的に著作物は無断転載禁止です。右クリックで画像保存・コピーして自分のブログで公開したら、それは著作権法に抵触する行為です。無許諾転載、無許可転載という言葉をかえてもなんら変わりありません。ちなみに、無断転載禁止!と書いてあってもなくてもこの行為は抵触しますので・・・「無断転載禁止って書いてないから黙示の許諾だと思った・・・」は駄目です。基本的に著作権法の著作権の複製権に抵触するかと思います。



言葉の問題で「いや、無断転載ではなく無許諾転載だ」という主張も通用しませんのでご注意ください。





では・・・Yahoo!ブログにおける転載機能がなぜ、前述の無断転載行為に該当せず黙示の許諾という概念がシックリくるのでしょう・・・。




それは・・・著作権者(及び著作者)、すなわちブログ管理者が転載を可としているからなのですね。




前述の「右クリック・コピペ」と「転載を可とする」・・・比較してみてください。ブログ管理者の意思の有無はどうでしょうか?前者は管理者の知らないところで行われています。それに対して後者は・・・記事投稿の前提として・・・管理者さんが可としていますね。



「でもさ・・・不特定多数の人々に許諾してる訳じゃないじゃない?『ください』というお願いに対して『承諾し、許可する』のじゃないの?」



転載をしていくYahoo!ブロガーさん達が「転載させてください。(の後、おそらく転載ボタンをポチッ)」「(転載ボタンをポチッと押した後で)転載させて頂きました。」というコメントをする風土があるからかもしれませんが・・・申し出る人がいて、それで許可するイメージを連想されるのでしょうねぇ・・・。しかし、それはあくまで挨拶だとかマナーの範囲の話であって「転載可の選択により出現しているボタンをYahoo!ブロガーならば押せる」という機能上の観点からいくと、個別の申出・個別の許諾は全く必要としない訳です。



巷では、この「黙示の許諾」に類する行為・・・沢山、あります。自動販売機・・・「売買」という契約を根底に、タダでは売らない(禁止)状態で・・・でも、一定の行為(お金を入れ、選択してボタンを押す)を行う者に対しては売る(許諾)・・・。「お金を入れてボタンを押す」という条件がついていますが・・・これも「黙示」ですよね。世の中にはこういった契約がいっぱいなのですね。



インターネット上での売買行為などもそうですよね。「カートに入れる」というボタンを運営者側が設置しておく(ここで運営者側が売るという意思をボタンの設置によって表現する。)そこに購入希望者(不特定多数)がボタンを押す(購入の意思を示す)、条件が満たされた場合、売買が成立する。





Yahoo!における転載機能の転載成立は、著作者&著作権者の転載可の意思、そして転載したい人の意思のみで成立するものなのですね。




ちなみに・・・先程の二つ(「転載させてください」の後ボタンをポチッ、ボタンをポチッの後「転載させて頂きました」)も「転載させて・・・」というのは双方ともに管理者(転載される側)の正式な許諾(いいですよっ!と明言)がない状態で転載が完了します。この場合「明示の許諾(どうぞどうぞ、転載してください♪という意思表示)」は、また挨拶・マナーの範囲なのです。機能上、転載ボタンが存在している限り、転載は可能・・・なのです。




転載機能は、「転載可」とし、それを公に発信した時点で「黙示の許諾」である点は、おそらく異論のないことかと思います。




僕は前回・前々回の記事で、それを「複製権の利用許諾」としました。(前々回は許可という表現でしたが・・・)






そして、ここが大きく意見が分かれる箇所になるかと思うのですが・・・。




転載された記事を再転載した場合、その転載先には転載されたブログ名が表示される点の解釈です。「複製権の利用許諾」の範囲・・・二次転載だけでなく、三次以降の転載まで許諾することになるのか?



Aというブロガーが作成したXという記事を、Bが転載しました。BのブログにはXという記事の末尾にAのブログ名が記載されます。(転載元:Aのブログ)



ところが、Bのブログ内のXという記事を転載したCのブログには、同じXという記事なのに末尾にはAのブログではなくBのブログ名が記載されます。(転載元:Bのブログ)



著作権法を勉強された方は、もうここで「えっ?!」となるでしょうね。現状の転載機能は、この時点で「著作者人格権の氏名表示権」と衝突しているのですね。



更に機能上、転載された記事については、投稿の際、「転載可・不可」の選択ができません。やろうと思えば、二次・三次・四次・・・永久的に転載が可能となり・・・「一体、原作者は誰?」状態になる訳です。


(「だから、そういった欠点をTB通知などのマナーで補完するのです」という反論は、この段階では勘弁してください。今の段階は、転載機能が純粋に有している仕様で解釈を試みているので・・・)






この二点・・・著作権法上・・・どう解釈するのか・・・。




「氏名表示権との衝突」は解釈として氏名表示権の侵害の何物でもないとしか、解釈のしようがないように思えます。問題は、「二次・三次・四次・・・以降の転載も、原作者(元記事)が「転載可」としている時点でそれを認めてしまっているかどうかという点・・・。





現在の機能だけを判断材料に逆算して解釈すると・・・僕は「認めてしまっている」という解釈になってしまいます。




「複製権の利用許諾」によって、転載をした転載者のブログに掲載される記事・・・それは自動的に転載「可」となる。・・・それって・・・転載者も「著作権者(複製権の許諾権限のみを有する)」になる?????そんなことって・・・あり????
(だからこそ、あぶないブロガー11の、わたりとりさんは「複製権の放棄」という表現に結びついたのでは?と想像します)




でも・・・これはあくまで「現状の機能から見つめなおすとできる解釈」であって、僕の願望ではないです・・・。なぜなら・・・怖いですから・・・。




転載機能は、転載された記事が独り歩きする機能です。途中、転載した人が、「ブログやーめた」や「この転載記事、削除しよっと」となると、転載元と転載先のつながった鎖が切れてしまいます。更に、転載元記事に重大な誤りがあったりした場合・・・転載元記事作成者として文責を果たすことも難しくなります。



う~む・・・。





ここで、現在の転載機能から逆算して・・・「複製権利用許諾契約書」を作ってみました。ここはおそらく、皆さんツッコミどころ満載だと思いますので、ツッコミまくってください(笑)



複製権利用許諾契約書




著作者A(以下「甲」とする)及び転載者B(以下「乙」とする)は、下記著作物(以下「本件著作物」とする)に関し、以下のとおりの約定により著作物の複製権利用許諾契約に合意した。


【著作物の表示】
記事名「ひっそりと転載機能を考えてみます その1」
記事掲載先【FDの考え】


第1条(複製の目的)
甲所有のブログ内に存在する本件著作物をYahoo!ブログが搭載する転載機能(以下「転載機能」とする)を利用することのみにより、乙所有のブログ内に掲載、公開することを目的とする。

第2条(複製の方法)
乙は、本件著作物の複製につき、転載機能を利用することのみにより複製することができるものとする。また、甲は転載機能の利用のみにより複製されることに対し許諾をする。
2 前項の転載機能により複製される同意は、乙による本件著作物の複製のみならず、複製後乙のブログ内で掲載されたことにより発生する以後の複製希望者による複製(以下「再転載」とする)も、甲は許諾するものとする。

第3条(複製した本件著作物の公開方法)
本件著作物に対する公開方法は、乙所有のYahoo!ブログ内のみとし、当該Yahoo!ブログ内における公開場所は、乙の随意とし、甲はそれに対し指定をすることはできないものとする。

第4条(公開期間)
複製された本件著作物の公開期間は、乙の随意とする。

第5条(本件著作物の改変等)
乙は、本件著作物の改変等は一切できないものとする。

第6条(氏名公表)
乙は、複製した本件著作物に対し、著作者の氏名(本契約にあってはブログ名)を公表するものとする。
2 本契約において、乙によって複製された本件著作物が再転載された場合は前項の限りでない。

第7条(責任)
甲は本件著作物の内容については、一切の責任を負うものとする。
2 乙は本件著作物を複製したことにより生ずる責任を負うものとする。
3 甲乙の有する責任は、放棄できないものとする。

第8条(本契約の成立時期)
本契約の成立時期は、乙が甲所有ブログ内の転載ボタンを押すことにより、成立するものとする。

第9条(その他)
本契約に定めなき事項あるいは変更を要する事態が発生した場合は著作権法その他一切の諸法令に準拠し、甲乙共に誠実をもって協議し決定するものとする。




以上です・・・。



これが、二次転載となった場合、上の契約でいう乙が甲の位置に、そして、二次転載者があらためて乙の位置に入り転載されます。






ツッコミどころ・・・満載なのでは???




こうしてみると・・・甲(記事作成者)の権利って・・・殆どないのですよね・・・。「乙次第」という色合いが・・・。甲は、「転載可としちゃってる」時点で、乙の言いなりみたいなところが・・・そして、乙は「転載しちゃった」時点で、それを更に再転載する人達には、何も言えない・・・。




これは、あくまで現在の転載機能の仕様から逆算して作成したものです。著作権法の理念などに基づいて作成したものではありません。おそらく実務上・・・こんな契約は結ばないと思われます。




さて、みなさん・・・ツッコミ・・・入れちゃってください(笑)




もう、この辺りで現状の転載機能の仕様については解剖がなされたのではないでしょうか・・・?




いよいよ・・・(本当にいよいよ、です)色々な事例を考えていきたいと思います。





・・・と、その前に、次回の記事では閑話休題・・・このシリーズ(純粋な法解釈)以降のシリーズのためのキッカケ記事をupしたいと思います。

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ひっそりと転載機能を考えてみます・・・その4

ごめんなさい!


世の中の転載騒動とは一線を画す・・・というより、色々な要素が混在しないように・・・現在、転載機能に関して考えています。




今朝、一歩後退、二歩前進のトンコさんが、転載機能に関しての記事を掲載されました。




ここで一点、「ごめんなさい」と言わなくてはならないコトが一点・・・いや、二点。



1.著作権法第63条(著作物の利用許諾)を誤って解釈していた点
2.そのため、「許諾」に代わる言葉として「許可」を使用した点



この二点、訂正します。



1.著作権法第63条(著作物の利用許諾)を誤って解釈していた点
僕は「その3」の記事まで「使用許諾」「使用許諾」という言葉を使用してきました。先にJASRACの使用許諾の書類から見たためだと思います。そして、そのままこの著作権法第63条(著作物の利用許諾)を誤って解釈していました。

第63条を「著作物の使用」とだけ解釈してしまっていました・・・。



違うのですよね・・・この条文って・・・。



著作権法第63条(著作物の利用許諾)
著作権者は、他人に対し、その著作物の利用を許諾することができる。
2 前項の許諾を得た者は、その許諾に係る利用方法及び条件の範囲内において、その許諾に係る著作物を利用することができる。
3 第一項の許諾に係る著作物を利用する権利は、著作権者の承諾を得ない限り、譲渡することができない。
4 著作物の放送又は有線放送についての第一項の許諾は、契約に別段の定めがない限り、当該著作物の録音又は録画の許諾を含まないものとする。
5 著作物の送信可能化について第一項の許諾を得た者が、その許諾に係る利用方法及び条件(送信可能化の回数又は送信可能化に用いる自動公衆送信装置に係るものを除く。)の範囲内において反復して又は他の自動公衆送信装置を用いて行う当該著作物の送信可能化については、第二十三条第一項の規定は、適用しない。




この第63条の解釈・・・僕は・・・著作権を有体財産のようにとらえて解釈してしまっていました。でも、今一度基本に立ち返ってみると・・・著作権って無体財産権・・・違うのですよね(涙)


判例におきましても著作権は相対的な権利である債権ではなく、世の中のだれに対しても主張できる準物権的な性質があるとされています。しかしながら、著作権は有体物が対象である所有権に対して、無体物・・・しかも「権利の束」とよばれている程、様々な態様(利用権)があります。




63条で定義する「利用許諾」は、複製権の許諾も含む





まず、一点目の訂正です。ごめんなさい。






2.そのため、「許諾」に代わる言葉として「許可」を使用した点


1.で示したとおり63条を使用許諾に限った解釈でいた僕は、そうでない解釈を模索しました。そこででた言葉が「複製権の許可」でした。



この部分、もともと著作権者が有している複製権をあらためて発生させた、という意味ではありません。もともと著作権者が有している複製権を、権利を有していない第三者(転載機能の場合、Yahoo!ブロガー)に対して許可する、という意味です。



トンコさんのブログで、o_K_nigel さん(以下、nigel さんと呼ばせて頂きますね)が許可の概念を行政法の概念だと仰られました。その通りです。その概念を僕は類推しました。行政法に民法(私法)の概念を入れることは、かつては否定されていましたが最近は法関係の実質によって適用法規が判断されるようになったことや、許可の他にも代理などの私法の概念が行政法に活用されている部分があります。その逆(私法に行政法の概念を持ち込む)も良いのではと判断しました。もう一点、記事を作成するにあたり、許諾と混同してはいけないという理由もありました。



転載使用をしようとするYahoo!ブロガーは、当然著作権者ではないから複製権を有していない。有していないのに(無断)転載した場合は、著作権(複製権)の侵害となる。禁止されている状態ですね。これを複製権を有している著作権者が「許可」することにより、許可された第三者Yahoo!ブロガーは複製することができる・・・という意味です。決して元々複製権を有している著作権者が誰かから許可を受けて・・・という意味ではありません。




ここまできて既に賢明な皆様は・・・おわかりかと思います。




じゃあ・・・許諾と変わらないじゃん




・・・です。ただトンコさんの記事と nigel さんのコメントを読む前の僕にとっては大きな違いだったのですよ・・・この「許諾」と「許可」の違いは・・・。(ちなみに、再転載も含めたトンコさんの僕の考えの記述は変わらないです。あくまで許可を許諾と読み替えて頂くだけで結構です)




すべては僕の不十分な勉強によるところです。ごめんなさい。




ここで今一度整理・・・






著作権法第63条は使用許諾のみならず、他の著作権(利用権)まで視野に入っている利用承諾であること。





本当に申し訳ないです(涙)恥ずかしい・・・(涙)でも・・・扱ってる内容が内容ですし、間違ったことは早めに訂正しないと・・・。





記事を書き、投稿し、色々な人に見てもらっている以上、どんな影響及ぼすかわかりませんし、責任がありますからね(涙)






大変失礼致しました。





気付かせてくれましたトンコさん、nigel さん、ありがとうございました。

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ひっそりと転載機能を考えてみます・・・その3

う~む・・・記事をupしたばかりですが・・・


先日、この連載の「その2」を掲載したばかりで申し訳ないのですが、Yahoo!ブログの転載機能の解釈・・・少々、変えないといけないかもしれません。


前回の記事で、僕は転載機能は「著作権の放棄」ではなく「使用許諾」じゃないかという結論を出しました。



しかし、ありがたいものです。その後、僕の考えがまだ及ばないという点をコメント欄のやりとりで気づくことができました。


あぶないブロガー11のわたりとりさんとのやりとりでした。


やはり生兵法はケガのもと・・・自分自身の勉強不足・認識不足を思い知りました。





わたりとりさんは、転載機能を「複製権の放棄」という解釈をされました。



著作権法第21条(複製権)
著作者は、その著作物を複製する権利を専有する。




転載機能は転載するブロガーがYahoo!ブロガーでないといけませんから、ある意味「一部放棄」若しくは「限定条件下による放棄」という解釈ができるかと思います。



むむむ・・・!な、なるほど・・・!と思いました。



そこで、自分のアイデアと、わたりとりさんのアイデアの両方を斬るつもりで考えてみました。この場合の「斬る」は批判という意味ではなく、「そのアイデアをふくらましていくにあたって、どのような解釈ができるか?」という意味です。(わたりとりさん、ごめんなさい)


まず「使用許諾」・・・
「使っていいよ。」という意思表示(転載可)、そして「使わせて頂きます。」という意思表示(転載ボタンを押す)で使用が成立します。そこにJASRACのような使用料は発生しません。

著作権という財産権の処分・移転などの移動を民法を主体に考えてみたいと思います。

お金が発生してその著作物を使用する・・・これは民法第601条の「賃貸借」という考えを流用できるかと思います。それに対して無償で物を使用させること、これを民法第593条の「使用貸借」というものに当てはめてみます。

「使用貸借」とは、日常生活における「タダで貸す」行為です。皆さんは普段の生活において使用貸借という言葉は使っていずとも、使用貸借を頻繁に利用している訳です。

(つい先日、とある試験を勉強している友達にDVDを貸したところ、『これは使用貸借でいいんだな?お前が返せって言ったら即返すんだよな?あ、でも俺が中身を見てなくて目的を達していなかったらいいのかな?』と、早速覚えた言葉を活用されていました。)


では、この転載機能に「使用貸借」という概念を当てはめることができるか・・・という問題です。


ここで、僕の考えはある矛盾にぶつかりました。


矛盾その1・・・
完全に使用貸借といえないこと・・・モノの移動がなく、転写されている点。

使用貸借は要物契約といって、モノが実際に移動(貸し借り)することによって成立します。(その他、意思によって成立する諾成契約というものもあります)転載機能によって転載された記事・・・これは移動というのか?という点。

矛盾その2・・・
転載された記事は・・・二度と転載元に戻ってこないということ。転載先のブログに存在している転載記事を消してもらうには「お願い」しかないこと。

使用貸借の場合、期間を定めた場合はその期間満了の時、又はそのモノによって目的を成し得た時が返還時期とされています。そして契約期間や目的を定めていない時、この場合は貸した側はいつでも返還を請求できると定めてあります。ところが、転載機能によって転載された記事は・・・そんな制度はありません(涙)僕自身が記述したとおり、転載機能の約束事は「その1~その4」までしかないのです。


JASRACなどの使用許諾に限らず、著作権法に定義されている「使用許諾」に関しても、条文をそのまま解釈した場合、使用期間が終了等(許諾に該当する条件が終わったなど)は、著作権者は使用者に対して著作権を根拠に回収の要請や無断使用を非難することができるように思えます。


・・・ところが・・・転載機能は・・・そんな定義がない・・・(涙)仮に最初に「転載可」としていて、後から「転載不可」にしても、遡って転載された記事が自動的に削除される訳でもありません。ほとんど「あげた(贈与した)」に近い態様なのですよね・・・。



う~む・・・使用許諾のアイデアではないのかな・・・(涙)



では、次にわたりとりさんに示して頂いた「複製権の放棄」について考えてみたいと思います。



著作権法第21条(複製権)
著作者は、その著作物を複製する権利を専有する。




ある意味、著作権とは?の根幹を成す条文ですよね・・・これ。自分の作ったモノを勝手にパクるな、自分自身はオッケーよ♪という意味ですよね。


転載機能はYahoo!ブロガーのみができる機能ですから、「(Yahoo!ブロガーのみに対して)複製権を放棄しますよ。」という解釈になるかと思います。


このアイデアで一つ思ったのが・・・「放棄することを後からやめる」ということができるか?ということでした。



有斐閣「法律用語辞典」によれば「放棄」とは・・・
投げ棄て省みないこと。法令において、主に権利、利益について、これを行使せずに投げ棄てる行為の意味に用いられ、権利、利益の消滅原因となる。例「入漁権者は、何時でもその権利を放棄することができる」(漁業46)「期限の利益は之を放棄することを得」(民法136条2)

とあります・・・。



当初、「転載可」としていたものを、後日「転載不可」とした場合、放棄したものを戻すイメージが・・・。少々、僕にはしっくり来ません。(相続における放棄の撤回が許されないというコトが身についているせいかもしれません)




元々、「どうぞ転載(複製)してください」とオープンにしているという点(転載ボタンの設置)もひっかかります。道路にコピー機をどんと置き、「僕の文章、欲しかったら言って。コピーできるから。」と自らの複製権において複製しているイメージが、ふつふつと僕の中で沸いています。




う~む・・・。





無理矢理な解釈ですが・・・「複製権の限定許可(限定条件:Yahoo!ブロガーに限る)」という解釈しか・・・ありませんか・・・(涙)しかし・・・こんな解釈・・・よいのでしょうか・・・ありえるのでしょうか・・・。この解釈ですと、後日「転載不可」とした場合も、「複製権の許可を撤回した」と将来に向かって転載させないという解釈も可能です。(ちなみに、法律上、取消は遡及効・・・過去に遡りますので現在の転載機能には表現として合わないと思いました)



しかも・・・この「複製権の限定許可」というアイデア・・・「二次複製限定許可(再転載)」も含めてしまっているのですよねぇ~・・・。




「転載を可」とした場合、著作権者は「Yahoo!ブロガーに限って自由に複製していいよ♪」という意思表示をすることとなる。機能上、転載された記事を複製(再転載)することも許していることと扱われる・・・。
(二次転載先の転載元表示が転載先のブログ記載になる点は、次回の記事でツッコミを入れます。著作者人格権を理解された方は予想できるかと思います。)




・・・いかがでしょう?





う~む・・・ちょっと自信がありませんが・・・とりあえずこれで一段落させます。じゃないと先に進めません(涙)では、いよいよ次回、今までに起こった僕が知る限りにおけるYahoo!ブログにおける転載機能にまつわる騒動を著作権やその他の法令にからめて解釈していきたいと思います。



わたりとりさん、僕のアイデアの穴を検証するキッカケを与えてくださり、ありがとうございます。そして、勝手にわたりとりさんのアイデアをお借りして検証してしまってごめんなさい。新たに出したアイデアへの意見、またお待ちしています。

ひっそりと転載機能を考えてみます・・・その2

知識補完のつもりが・・・


現在、あらためて転載機能について記事を書くべく準備をしている最中・・・記事を進めるにあたり、どうしても著作権法のことを勉強しないといけないと思い、著作権法の森に入ることにしました。



条文・判例・論文を読み始めた途端・・・「あぁ、このアイデアは?」「これもいいな♪」と・・・。しまいには弁理士試験の問題まで到達・・・(笑)



「無知であった自分」と「間違っていなかった自分」と出会いました。



トンコさんのブログの著作者と著作権者という記事にもあるように、色々なところで著作権(及び著作権法)に関する記述を見るのですが、意外に総じて「著作権法違反・著作権侵害」と括られているのですよね。




著作者人格権・・・
「ヒト(自然人・法人)」に生まれる権利・・・だから一身専属(ちなみに、著作人格権ではない。『者』がつきます)
著作権・・・
「モノ(著作物)」にくっつく、又は派生する権利・・・財産権、だから譲渡などができる
著作物・・・
著作権の対象となるモノ




この部分を理解しておかないと、後から仕入れる情報でグチャグチャになりますね。「ヒトにつくのかモノにつくのか」という点、争いとなる箇所との関連で変わってくる訳です。「著作権法違反(または侵害)だ!」と色々なところで目にしますが、「著作権法の○○の権利違反(または侵害)だ!」の方がよりよいでしょうねぇ。





そして、「ホッ」と思った点、それが僕が記事に挙げた著作権も数多くある中の一つの権利に過ぎないことが間違っていなかったというコト・・・。





ブログという表現媒体ですから、著作権が非常に大切にされる傾向はあって当たり前でしょうが、僕自身はあまり特別視をしていませんでした。ただブログの記事で見かける著作権に関する記述に「そんなものなのかなぁ~そんなに大事なのかなぁ」という気持ちで眺めていました。(実はむしろ、僕は著作権より文責を大事にしています。この文責についてはおそらくこのシリーズで最後に書くこととなります。)




法律や規約というものは、その法律が有する独特のクセというか方式みたいなものがあります。僕は学者ではないので、条文から法体系を紐解くパターンではなく、手続きや判例からその法律が持つ理念を理解する手法をとっています。今回も同じアプローチをし、最後に正式に条文を読み、「あぁ、普通の財産権と同じでいいんだ。(数多くある中の権利の一つじゃないかという)自分の勘は間違っていないんだ。」と思ったのでした。



著作物というモノにつく著作権、通常の売買で所有権が移転した場合、売った側の所有権は消滅します。それでは著作物を創作した方の権利が完全に保障されません。売った後で色々いじられ、最初のモノとは大きく変わったモノになっては元も子もありませんからね。だから著作権法は、最初に著作物を生み出したヒトにつける権利と、生み出されたモノそのものにつける権利に分けたのではないかなと想像します。



そして、著作権は・・・所有権などと同様、財産権の一種と扱われます。・・・ということは、放棄や譲渡といった行為(契約)が可能となるのです。勿論、「私の著作物、使っていいよ。」という使用許諾も含まれます。


参考条文
著作権法第61条(著作権の譲渡)
著作権は、その全部又は一部を譲渡することができる。
2 著作権を譲渡する契約において、第二十七条又は第二十八条に規定する権利が譲渡の目的として特掲されていないときは、これらの権利は、譲渡した者に留保されたものと推定する。

著作権法第27条(翻訳権、翻案権等)
著作者は、その著作物を翻訳し、編曲し、若しくは変形し、又は脚色し、映画化し、その他翻案する権利を専有する。

著作権法第28条(二次的著作物の利用に関する原著作者の権利)
二次的著作物の原著作物の著作者は、当該二次的著作物の利用に関し、この款に規定する権利で当該二次的著作物の著作者が有するものと同一の種類の権利を専有する。

著作権法第63条(著作物の利用の許諾)
著作権者は、他人に対し、その著作物の利用を許諾することができる。
2 前項の許諾を得た者は、その許諾に係る利用方法及び条件の範囲内において、その許諾に係る著作物を利用することができる。
3 第一項の許諾に係る著作物を利用する権利は、著作権者の承諾を得ない限り、譲渡することができない。
4 著作物の放送又は有線放送についての第一項の許諾は、契約に別段の定めがない限り、当該著作物の録音又は録画の許諾を含まないものとする。
5 著作物の送信可能化について第一項の許諾を得た者が、その許諾に係る利用方法及び条件(送信可能化の回数又は送信可能化に用いる自動公衆送信装置に係るものを除く。)の範囲内において反復して又は他の自動公衆送信装置を用いて行う当該著作物の送信可能化については、第二十三条第一項の規定は、適用しない。




例えば僕がブログで創作小説を作成しました。(この時点で著作物の誕生、僕が著作者となり、著作物には著作権が発生。)
その小説を目にした出版社が小説を出版。(僕と出版社の著作権譲渡契約。出版社も著作権者となる。)

例えば僕がオリジナルの曲を作成。(この時点で著作物の誕生、僕が著作者となり、著作物には著作権が発生。)
その曲を耳にしたレコード会社がCD化。(僕とレコード会社の著作権譲渡契約。レコード会社も著作権者となる。)
レコード会社はJASRACと著作権の信託的契約をする。使用許諾事務を任せる意味合い。(だからブログでの音楽使用の申請はJASRACが申請先となる。そういった点においてはJASRACも著作権者となる。)
その曲をブログで流したい場合やCMで活用したい場合は、JASRACに対し使用の許諾の許可を受ける。


手元にある著作権譲渡の契約やJASRACの使用許諾申請書など目を通しましたが、やはり・・・かなりの条文で使用に関する条件などが書かれています。当然ですよね、契約なのですから。


すなわち、著作者が譲渡するにあたって自らが受ける恩恵を法律によって保障されていると同時に、契約によって条件を納得した以上、著作権者となる相手に自らの著作者人格権を我儘には使えないという訳です。



さて・・・Yahoo!ブログにおける転載機能・・・著作権の譲渡とみるか?使用許諾とみるか?著作権の放棄とみるか?




僕は以前、転載機能は著作権の放棄じゃないか的な文章を書いたかもしれませんが、今回、著作権法を読んで、転載機能は「著作権の使用許諾」に該当するのではないかと考えに変化しました。



理由としては・・・
1.転載記事を訂正追加する権限が転載元にしか存在しない。
2.転載してもいいという可否の判断を、常に転載元者ができること。
・・・です。



もっとも、これはあくまで僕の考えですので、違った考えもあるでしょう。なにせ判例がない訳ですからね。



「FDさん!もしFDさんの言うとおり『著作権の使用許諾』だったなら、自分の意に沿わない転載記事の活用に関して、著作権者として転載先に文句言えるじゃないか!」



・・・という意見が出てきそうです。ところが・・・問題はそんなに簡単ではないのですよね。




何故なら、現状の転載機能の仕様は前回の記事で示したとおりの約束事しかないからです。




前述したとおり、JASRACの使用許諾申請書には、使用者に対し様々な「しばり」を与えます。それに対して転載機能は前回の記事で示したとおりの「覚えておくこと その1~その4」までしか存在していません。



著作権法でカバーできる部分は著作権法で、そして、著作権法でカバーできない部分、すなわち財産権に関する契約の部分においては財産権に関する上位に位置する法律・・・すなわち民法で処理をする形になるかと思います。




そして、いよいよ現状の仕様を前提として、転載機能を考えていきましょう。

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