【FDの考え】

日常の、些細な事柄から心の琴線にひっかかったコトについて書き綴ってみようと思います。

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ひっそりと転載機能を考えてみます・・・その1

本当は、前回からの記事の第二弾を書かなくてはならないのですが・・・機を逸した形になってしまったので保留に・・・。




わたりとりさんのあぶないブロガー11Y!B 天災機能という一連のシリーズを読み、また触発されたのであらためて僕も書いてみようと思います。


さらに、トンコさんへ宿題とさせてもらっていた点も重複する内容になるかと思います。ですから、トンコさんにもTBをしようと思います。トンコさんのブログはこちら→一歩後退、二歩前進



まず・・・正直に言います・・・。僕は著作権という権利について、あまり特別視していません。数ある色々な権利の中の一つという程度です。




色々なものを表現するブログで何をそんな・・・と思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。少し語弊があったかもしれません。もう少し言い直してみましょう。




著作権に絶対的な優位性を持たせていない




という感じでしょうか。




思ったこと・・・感じたこと・・・という記事でも書きました。世の中には色々な権利が存在し、自由が存在し、時に権利と権利、自由と自由がぶつかる・・・そんな時は、色々な観点から天秤にかけられて判断がくだされるということ・・・。




著作権は表現者に与えられた権利、闘うための武器だけれど・・・その権利があらゆるものに対して絶対的に通用するとは限らない。そういった意味で僕は冒頭で特別視しない、としたのでした。




前振りが長かったです・・・。でも、この前提を記述しておかないと、次がないので・・・。では、転載機能・・・考えてみます。




契約社会、と呼ばれるようになった昨今・・・色々な場面において契約契約契約契約・・・離婚の取り決めすら契約です。本来、「契約自由の原則」というものがあり、更には契約書自体もその契約そのものの成立の必要条件になっていません。極端な話、口約束でも問題ない訳です。



ところが、言った言わないの水掛け論になっては駄目、ということで契約書を交わし、お互いの義務・権利を確認しあう訳です。



今回、Yahoo! ブログにおける転載機能に関してはそういった契約というものはありません。転載される側としては「転載を可とするか、否とするか」のみの判断を与えられ、転載する側としては、転載ボタンが存在していたら、転載するか否かの判断をするだけ・・・いたってシンプルです。転載された記事を転載(再転載)したって構わない訳です。そういった仕様になっているのですから・・・。




ここで覚えておくことができました。


覚えておくことその1 
転載される側は「転載の可否」を選択するのみ
覚えておくことその2 
転載する側は転載ボタンの存在の有無を認識し「転載するか否か」の選択をするのみ
覚えておくことその3
仕様により、どこの記事から転載することも可能
覚えておくことその4
現在の転載機能においては、前述のその1~その3までしか、統一した約束事がない




非常にシンプルになっている分・・・色々な解釈ができてしまう訳ですね・・・。





さて、では次回、このシンプルな流れに対してどういった解釈を加えるかを考えてみたいと思います。






う~む・・・二番煎じの記事みたいになってしまった・・・おまけに著作権法をちゃんと勉強(仕事レベルまでという意味)しなくてはいけないかも・・・。
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心の中の天秤、「記事とコメント」

楽しむYahoo!ブログの作り方♪のOYAJIさんが・・・

自殺する子供の想いと親について(FDさんへの返事【1】)


という記事を書かれたので・・・OYAJIさんの記事の趣旨とは反するかもしれませんが、返事の記事を書こうと思います。




「もう、OYAJIさんに対して記事を書く事はないかな・・・」と・・・前回の転載機能の騒動の際、思っていました。だからトラックバックもせずに記事を書いていました。しかし・・・また縁ができましたね。




ここ数日、仕事に追われていたので、ROMはできていたのですが、記事作成やコメントはできませんでした。ただ、ROMをしていたおかげでボンヤリながらもOYAJIさんに感じたものが僕の頭の中で構築されつつあります。



3つの記事のタイトルが浮かびました。そして、その記事の趣旨はこういったものです・・・。


心の中の天秤、「記事とコメント」
考えさせる記事を書く度に、何故紛糾するのか?を考えてみました。


大いなるテーマに頼るべきか?
ブロガー同士の意見交換におけるアプローチを考えてみました。


まずは己を責めよ。
上の二つを踏まえた上での総括的な内容です。




一度に三つの記事は完成できませんので、まずは最初の「心の中の天秤、『記事とコメント』」について記述していきます。




ブログ上の善意で人の命を救った事実という記事のコメント欄でOYAJIさんは、僕にこうつぶやきました。



ブログって感情を出して書いてはいけないのでしょうか?それは記事の種類に拠るのだったら構わないのでしょうか?それとも感情をいつも押し殺して書かなければならないものなのでしょうか?
2006/11/15(水) 午後 8:47 OYAJIさんのコメントを一部引用






日記、創作小説、エッセイ、自作品の掲載・・・ブログのスタイルは本当に十人十色です。表現した結果がどういったものであっても、そこに原作者の気持ちが込められます。



ですから、ブログに感情を込めるのはなんら問題ない訳です。喜怒哀楽・・・そして葛藤などといったものを自分の言葉で表現する・・・それこそブログの真骨頂だと思います。




さて、この辺りで「じゃあFDさん、好きなように書いていいのに、なんでこんな展開になっちゃうの?」などという疑問がでてきそうですよね?僕はOYAJIさんのブログ記事に関するアプローチを、読者の立場で眺めるとこんな印象をもっています。(解説記事は除く。)



記事:コメント = 2:8 (記事の割合「2」という数字は、記事内の注意喚起文・宣伝なども含む)



です。




「そんなことない!」と既に、コメントの返事をうつ準備をしていらっしゃるかもしれませんね・・・(笑)




コメントそのものを否定するのではありません。記事の発展としてコメントのやりとりがなされれば・・・。しかしながら、コメントを記事の後付け説明や違った題材を持ってきて相手にぶつけるものに多用した場合・・・記事そのものが薄れてしまいます。記事とコメントが乖離したような形になってしまう訳です。




おそらく記事とコメントの理想系とはこういった形ではないでしょうか・・・。すみません、画像に関する技術がないので、物凄くチープなものしかできません(涙)その辺は御容赦ください。




記事とコメントの関係(ひろがりの線はコメントをイメージ)
記事のイメージ1





あるテーマが記事にて投げかけられ、それに対して、賛成・反対・・・または「こうしたらどうか?」などのアイデアが記事を中心軸として拡がりをみせる・・・。



しかし・・・OYAJIさんの記事に対する僕のイメージは、こうです・・・。
記事のイメージ2





記事で伝えたいことがあり、読者はその記事を読み、コメントをしてくるのに対してOYAJIさんは色々な題材を持ってきてコメントを長文で形成する・・・。




これでは、記事を中心にした発展は望めません(涙)




「仕方ないですよ。Yahoo!ブログは文字数も限られているし・・・。」という意見も出そうです。





仕様の問題ではありません。OYAJIさんの記事に対する姿勢の問題なのです。





「2:8」で示した数字・・・これは物理的な文字数だけの比率ではなく、OYAJIさんの気持ちの重さの比率ではないかと考えます。直線的な表現をするならば、「記事でしっかりと考えを書くべきものを、第三者からのコメントに呼応して、後付けで補完している。」訳です。ですから気持ちとしては記事のウェイトが少ないのです。



通常、あるテーマで記事を書こうと思った場合、様々なコトを想像します。自分の思ったこと・感じたこと、そして、文章の構成(起承転結など)、自分の意見に対して異論が出た場合はどうするか、などなどです。



勿論、人の考え方は十人十色ですし、書き手の文章能力の問題、読み手の読解能力の問題もあります。ただ、書き手の責任としては、考えうる要素を全て盛り入れ、記事に注入します。ですから、記事にしっかりとした軸ができるのです。



多分、OYAJIさんは、この段階での作業をかなり飛び越して掲載・投稿ボタンを押しているのでは?と感じるのです。




賛成・反対・異論・反論・・・読み手の反応は様々です。自分の考えに100%合う人の方が少ないと思った方がいい・・・でも、自分の考えを公にするにあたっては、やはりそれなりの準備を必要とします。







そしてコメント・・・です。



軸ができている文章に対しては、当然反論される方もそれなりに構えてコメントされます。しかし、軸ができていない文章には、コメントする側も難しい訳です。ですから、抽象的な反論コメントになってしまうこともあります。




そこにOYAJIさんのコメントが加わります。




人間、誰しも自分の意見に対して毛並みの違うものが出てくると、反応してしまうのは仕方ありません。それは僕だって同じです。




「大いなるテーマに頼るべきか?」という記事で詳細は述べますが、OYAJIさんのコメントに関する僕の印象は「基本スタンスが、異論に対して勝ち負けの線引きをつけたがる習性」「記事テーマよりも大きなものを引っ張ってくる習性」があるように感じます。そして、前述したようにOYAJIさんのコメントには総じて後付けによる補完説明の種類のものが非常に多い気がします。



ここでは、後付けによる補完説明の部分のみ言及します。残りは別のテーマで言及します。




何かしら読み手からのアクションがあり、それに対して「いや、こうなのですよ」という後付け説明・・・僕自身もあります。誰しも完璧ではありません。・・・が、OYAJIさんはそれが多い・・・。





原因は、記事に対する姿勢・・・投稿ボタンを押すまでの準備不足ではないかと思います。そして・・・それが何故起きるのか?・・・それはOYAJIさん、「ブログ作業のうち、他にかける時間が多い」のだと思います。更に「そういったことを意識していない」のだと思います。




二次・三次転載の件で、OYAJIさんはお礼とマナー啓蒙のために東奔西走しました。重い Yahoo!ブログ・・・一つ一つ処理していくには相当の時間を要するでしょう。そして、初心者からの質問・・・トップページに「いじめ」という重いテーマが掲げられているにも関わらず、「自称・初心者」はどんどん質問してきます。そしてその処理・・・。



一日24時間、という一人に与えられた時間は限られています。上記のような作業をしつつ・・・記事作成をする・・・。とても記事推敲にかける時間など、ないように思えてしまいます。




推敲、という言葉は、決して誤字脱字だけをチェックする作業ではありません。文章構成、自分の考えはうまく表現されているか?自分の考えに対して異論・反論が出た場合の対処、場合によってはその意見を想定しての文章挿入・・・。




テーマが重い内容であればあるほど・・・その作業は慎重に行なうべきものです。




僕は、いじめ問題について記事を書きませんでした。書けませんでした、という表現の方が正しいかな。簡単に口にできないテーマですし、書き始めた途端、筆がとまったんです。



でも・・・そのおかげで色々と考えましたよ。そして、そういうコトが大事ではないでしょうか?





「記事が大事。まず記事ありき。」と、色々なところで言われるこの言葉・・・。僕は、記事として公に発信するのは結果であって、この言葉は、記事として公に発信するまでの間、考え、思い、悩み、大切な自分の時間を使うその過程が重要である、ということも含まれていると思っています。



OYAJIさんがそういったことを全く思っていないなどとは思いません。・・・が、扱うテーマにしては、安易な感覚(テーマそのものではなく、記事作成に対してですよ)で記事掲載しているのではないかなと感じました。そして、それは・・・コメントで付け加えるクセが身に付いているが故にそうさせているのではないのかな?と思いました。




書物などの発行と違って、ブログはコメントがありますから読み手からの反応がダイレクトに書き手に伝わります。それがブログの良いところだと思いますが、僕は記事掲載にあたっては「コメントで追加補完しないもの。新聞や本を出版する感覚で。」と思ってしまいます。




・・・といっても、喜怒哀楽を持つ人間が書くことですから、間違いはあるのですがね・・・。怒りにまかせて記事を書くことも、沢山あります(笑)このブログでは、じっくり腰を据えて記事を書きますが・・・もう一方のブログは、メチャクチャっす(笑)





「FDさん!そんなことない!私はたっぷり時間をかけて記事を練っている!心外だ!」





というお叱りを受けるかもしれません。ごめんなさい、書き手のOYAJIさんはそう思っても、読み手の僕には・・・。自分の仕事が、書類を作成して相手に理解をさせる仕事である関係上、書き手が、その意思をしっかりと伝えたいのならば、読み手に期待をするな、己の技術を磨けと思ってしまう習性があるので・・・。




OYAJIさん、一度、今現在OYAJIさんが有しているブログにかける時間のうち、記事作成・推敲にかける時間配分割合をちょっとだけ増やしてみたらいかがでしょう?そして、色々なコトを想い廻らせるのです。そうすれば、自分の感情を思うまま、変な軋轢なく書けると思いますよ。



そして・・・その意識を強く持てば持つ程・・・文責だとか転載に関して、色々な意見が理解できるようになると思いますよ。



さて、第一話が終わりました。次は第二話「大いなるテーマに頼るべきか?」です。さて・・・いつ完成するのでしょうか・・・(笑)

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回答・・・その2

続いて、安易さが象徴された、今回の転載・・・に頂いたコメント群です。


質問1
以前の転載論争で麦氏が
私がわざと文責を放棄した記事を
書いた時に猛然と反論したことがありました。
『自分の手元を離れた(=転載可とした)記事がどんな拡がりを見せようと仕方ない』
と考えることは、文責の放棄を認めている
と解釈してもいいのですか?
2006/11/14 17:09:17 OYAJIさんのコメント引用


【回答】
露ほどに思っていません。

【補足】
OYAJIさんが、僕からどんな言質を取ろうとし、また取った言質を何に活用しようとしているのかわかりません。この文章、こうは解釈できませんか?「文責を有しているからこそ、自分の手元を離れどんな拡がりを見せるかわからないのがこわい。転載可にして頒布を促すにはそう思っておくべきだ。」と・・・。

逆にこの質問・・・気になったのが、以前阿風さんとのやりとりで「転載記事でも著作権が・・・」という考えをOYAJIさんは持っていらっしゃったと思います・・・。


難解さんが代弁してくれていますが・・・OYAJIさんはご自身で「転載された皆様の善意を・・・」と仰りながら、こういった個人の有する権利・責任のお話に拘泥されていらっしゃるのですか?




質問2
お礼をするのは悪いことですか?良いことですか?
2006/11/14 17:25:31 OYAJIさんのコメント8行目引用


【回答】
純粋なお礼・・・じゃないでしょう。

【補足】
OYAJIさん、このコメントの構成・・・答えにくいっす(涙)


でも頑張って、質問に答える義務を優先します。上から順に「?」がついた疑問文を質問と考え、引用していきますね。このお礼は「転載行為の善意に対する・・・目的でした。」のお礼、ととってよろしいですよね?

今回の「自殺予告」に関する転載の展開は、頒布を目的としたもの・・・でしたよね?とするならば、「いじめ問題の啓蒙」が第一義にくるハズ・・・ですよね?その前提が誤っていたら話がおかしくなりますので確認です。

二次・三次転載されていらっしゃる方へ・・・OYAJIさん、「お礼」だけでしたかね?ご自身も書かれているとおり、「プラス、転載の危険性の話」もされていますよね・・・。


善意を基に行動された方々に、色々と要求されるのですね・・・。


「ありがとう」という言葉・・・感謝で集約された言葉でしょう?


予告日を過ぎたから、従来どおりの二次・三次転載への注意喚起も交えた・・・ならば、この「ありがとう」の重みは・・・と思ってしまいますよ。



だから、僕は「マナーに頼りすぎたツケ」と表現しました。OYAJIさんの仰るように、いじめ問題に対して本当に何かをするべき!と思うのならば・・・転載先を検索し、訪問する時間を他に活用できたのではないですか?




質問3
転載の危険性を理解してもらう事は悪いことですか?良いことですか?
2006/11/14 17:25:31 OYAJIさんのコメント9・10行目引用


【回答】
愚問です。過去にOYAJIさんと僕が交わした記事のキャッチ・ボール、忘れたのですか?(涙)

【補足】
考えの違いはあれど、過去に転載機能に関してあれほど意見を交わしたというのに・・・さも僕がひょこっと現れて、「転載はいかん!」と言ってる人みたい・・・(涙)

更に、この質問が愚問たらしめるのはOYAJIさん自身が「転載の危険性」と言ってる点です。OYAJIさんはよく「包丁の話」をなぞらえて、危険性を有する転載だが使い方によってはという考えを披露されますよね?

「殺人にも使える包丁、料理人が使えば・・・」

転載されるブロガーさんは、全員料理人クラスの方々ですか?


あまり人を疑うのは好きではないですが、逆に全員を盲信もできないでしょう・・・。



「転載した善意のブロガーへの冒涜だ!」などと噛み付かないでくださいよ(笑)今は、いじめ問題の話をしてません。「転載の危険性」の話をしているのですから(笑)


元々「転載機能、あっても使うべきではない」と思っている僕に、こういった質問を投げかける時点で・・・ナンセンスですよ(笑)




質問4
この質問に明確に答えないまま、別の話を切り出すおつもりはありますか?
2006/11/14 17:25:31 OYAJIさんのコメント11・12行目引用



【回答】
・・・。
OYAJIさん、確か大阪・・・でしたよね?ツッコミ・・・入れて・・・いいですか?「どれやねん!」(すみません、やはり本場の方みたいにはできません 涙)

【補足】
おそらく「上記のこれらの質問」のことだと思いますので、それを踏まえて・・・。


「別の話」が何の話かはわかりませんが・・・。ここで思ったのは、「最初から明確に答えられないような質問もすべきでない」でした。




質問5
転載先のコメント欄等で各種の有意義な意見交換が
されている事実を知っていますか?知りませんか?
2006/11/14 17:25:31 OYAJIさんのコメント16・17行目引用


【回答】
知っていますよ。そして、それは転載記事が頒布されなくとも発生しうる話題であると思っています。

【補足】
「転載記事が各種の有意義な意見交換を呼んだのだ!」などと思うのは、一種の驕りであり、「善意の転載者」を馬鹿にしています。上から見下ろしています。この質問は反対解釈すると「転載記事が無かったら、有意義な意見交換はなかったと思いますか?思いませんか?」的になると思います。それだけ・・・偉大な記事・・・なのですか?・・・そして、そんなこと、自分で言っちゃっていいんですか?

転載記事が有意義な意見交換の、一つの要素であったとしても、絶対的な必要条件とは思えません。

そして、原作者であるOYAJIさんが「俺の原作記事を転載推奨したおかげで、有意義な意見交換ができたのだ。」と、思ってもそれを想起させる発言をすべきではないですよ。

ブロガーさん達は、きっと自然発生的にこの話題・・・出すハズです。


なぜなら、よく「今、○○っていうテレビ見てるんだけど・・・」という記事・・・投稿されているからです。11日の特番に、くいつくブロガーさん・・・特にヤフーにおいては・・・多いと思いますよ。


だから転載記事はOKだ!という材料には・・・できませんよねぇ(涙)




質問6
『正直、ガッカリです。』・・・だからこそ、
自分の言葉で書くことの大切さを伝えることが大事なのですよね?
「私はそれを伝えてると思いますか?思いませんか?」
2006/11/14 17:25:31 OYAJIさんのコメント18~20行目引用


【回答】
全く思いません。これは断言できます。

【補足】
この質問、今回の転載活動の件に限らず、僕はOYAJIさんに対しては自分の言葉で記事を書いている啓蒙をされていらっしゃるとは思いません・・・残念ながら。

仮に「自分の言葉で!」という記載を今までに記事でされていたとしても、正直、その印象は非常に薄いです。毎日の挨拶記事からはじまって、OYAJIさんの言葉で綴られた箇所の記事内における比率は非常に少ないからです。


そもそも、この質問より上の質問で「転載」に関して動き回っていたのに、この質問が出る意味が理解できません(涙)


今一度・・・今回の件の記事を見直してきますが・・・まず題名からして「転載」とありますね・・・。そして、本文がきて、Yahooブロガーさんへのお願い部分・・・転載が太字で強調されていますね・・・。そして、はじめて「自分の言葉で記事」とあります。


そして、転載に関する諸注意・・・いわば「マナーに訴える部分・注意点」ですね。


言葉を選び、できましたら口調ですが、一番は転載を推奨してるじゃないですか(笑)更に、色々なところで、(このコメントでも)拡がりを優先してと仰ってますよね?


とても・・・「自分の言葉で書くことの大切さを伝えているか?」の質問に「はい」とは言えません(涙)



もしそうだとしたら・・・「いじめに関する諸問題を皆さんで記事にしてみませんか?」と大々的にアピールすると思いますよ。そして・・・本当に自分の言葉を大事に、更に書くことを大事にしていたら・・・転載機能なんて(今回に限らず)推奨してないはずですから(笑)




質問7
少ない可能性でも、救える機会があるかもしれないと思って
書いた記事で関係者が動いて、子供が苦境から脱するチャンスに
なる可能性はゼロだと思いますか?思いませんか?
2006/11/14 17:25:31 OYAJIさんのコメント23~25行目引用


【回答】
この質問こそが、皆さんが言う「善意の押し付け」という表現につながるかと。
答えは、当然、ゼロではないです。

【補足】
この質問、「自分がやった活動に、少しでも良いところを」というのがミエミエなんですよ。

どこかのブログでのOYAJIさんと、そのブロガーのやりとりでもありましたが、「OYAJIさんの活動によって、あの記事を見た、いじめる側の人間によって、子供が更に苦境に陥る可能性はゼロだと思いますか?思いませんか?」という質問ができあがります。


こんなこと、質問すること自体がナンセンスなんですよ。


OYAJIさん、今回の件に関して色々なところから発生した異論・意見に対して、一度「善意なのだから」という概念を取り払って読み直してみてください。そうすると見えなかったものが見えてくるのでは?




【自分の記事・そして、OYAJIさんへ・・・】
いいですか、とりあえず・・・お待ちくだされ。という記事で、僕は「いじめに対する善意」を否定した記述がありますか?ありませんか?という質問を書きました。




「OYAJIさん・・・人が書いた記事・・・ちゃんと読んでいるのかな?」と思わずにはいられない質問群でしたよ。




他のブロガーさんが書いた記事で、OYAJIさんがどう思われたか知りませんが、少なくとも僕自身のこのブログの記事内・・・いじめ問題を思う人達を批判した記述は一切ないと思いますが・・・?



あくまで、純粋に、一定の事柄に対して感じたことを綴っているかと思います。




それを一切合切ひとまとめにして「善意を・・・」のルートにもってきて、そして、最後の質問・・・。




僕の記事を・・・完全に読みきって頂いていない・・・OYAJIさんの言葉を借りるならば「書き手の意図を汲んでない」です。記事を読んで質問する礼節すらないのでは?と感じましたよ。


今回、僕はその礼節の有無を語ってよい立場だと思います。僕のブログで、僕の記事に対して質問を投げかけられたのですからね(笑)






今・・・OYAJIさんは、例のごとく「寄らば斬る!」状態・・・自分の考え・行動に対して少しでも異論が発生した場合、質問をたたみかけ相手に嫌気を発生させる。




自分でやってることは、また更なるOYAJIさんへの批判の因子を生み出していること・・・わかりませんか?




問題の種類は違えど・・・OYAJIさん、僕が知る限り、OYAJIさんはその気質のために3回、自ら色々と招いていますよ。




OYAJIさん自身が書かれたコミュニケーションに関する記事・・・そして、とわさんの記事・・・敢えて厳しい言い方をさせてもらいますね。OYAJIさんは全く実践できていませんよ(涙)



書いて満足、では駄目です・・・。大人は、実践してナンボ・・・。ほら、OYAJIさんも言ってます。子供は、そんな大人の背中を・・・見ているのですよ。




OYAJIさん、頑張ってくださいね。





追伸;現実を打破したうえで、理想を語りたい・・・。現実を打破する強さを教えたい・・・。で出された質問・・・忘れてました(笑)


回答は・・・「答えようがない」です。質問の意味・・・全く理解できません、ごめんなさい(涙)あの記事、とある評論家から端を発した記事・・・OYAJIさんのコトを指していませんよ。それとも、OYAJIさんの悩みを僕に投げかけてくれたのでしょうか?そうだとしても・・・曖昧すぎて理解不能です。

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回答・・・その1

ブログって・・・対等と思ってたのですが・・・(涙)に頂いたコメント群からいきますね。


質問1
彼女は私に対して
はてブを利用したほうが
より効果的に広く知らせることが
できるとした記事をトラバしてきました。
FDさんは、彼女がその行動をしていたのを
どこかで見ましたか?
2006/11/14 16:57:31 OYAJIさんのコメント引用



【回答】
見ていませんよ。


【補足】
この質問、ひょっとして僕が「見ていない」と回答すると「実際に行動を起こしてもない人間にとやかく言われることじゃない!」と切り返すご予定ですか?


僕は記事にも書きましたが、僕自身、記事にもしていません。「いじめ問題」そのものに関して必ず記事を書いて行動する必要はないと思っています。各々が各々のフィールドで考えることが大事だと思っています。「~してるから偉い」という尺度で意見の正しい・おかしいを決めること自体、ナンセンスだと思いますよ。


あと、らぶさんは記事の中にも「もし、」という記載をされていらっしゃるかと思います。更にあの記事は、いじめ問題そのものを否定した記事ではないと思います。ただやはり、OYAJIさんが転載推奨された記事のレイアウトを見させて頂くと、誤解を生じさせやすいものは多いと僕も思いました。



質問2
その「辛辣」さや、相手の事を思い遣らない言葉が
「いじめ」につながる可能性を否定出来ますか?
否定出来ないのであれば、
それによって自殺する児童が出るかもしれない
可能性は否定出来ませんよね?
2006/11/14 17:05:11 OYAJIさんのコメント引用



【回答】
内容・対象・状況によります。

【補足】
「YES・NO」で「どうなんですか?」というOYAJIさんのこの質問口調、どこかであらためないと僕はまずいと思いますよ。

OYAJIさんとらぶさんの間には、今回の記事だけじゃなく、過去に本当に色々とありましたよね?以前、OYAJIさんが阿風さんとの転載記事の件で書かれた顛末書で僕、「こんな因子の話を出して・・・」とたしなめましたよね?過去にOYAJIさんが色々な人を巻き込んだ所業・・・「いじめた側・いじめられた側」の話じゃないですけど、お互いにかなり傷として残っていると思うのです。


質問1でも回答しましたが、僕はらぶさんの記事、内容そのものに関しては誤った指摘ではないと思っています。表現がストレートだったから「辛辣」という表現を使いました。ただ、それだけです。おそらくらぶさんは、僕の言わんとするところは既に理解をされていらっしゃると思います。


相手の事を思い遣らない言葉が・・・などとはOYAJIさんも、あまり他人の事を言えないですよ。直線的な酷い言葉は使っていなくても、皮肉・嫌味のような言い回しの匂いを感じます。それも、ある意味イジメにつながる可能性ですよ・・・実際の世界でやってたら。「どの記事にあるか示してください。」などという反論はナシです(笑)今回の件で、「親」というカードを既にひいているのですから。ですからこの質問はYESNOでは回答できません。


前にもOYAJIさんに伝えたじゃないですか・・・「格がでますよ。」って・・・。




【自分の記事について】
記事の本文にも入れてありますが、いじめ問題に関して、「僕もいじめに遭ってました」とか、「我が子がいじめに遭ってます」という記載・・・必ず出さなくてはならないものじゃないのでは?と僕は思っています。そういう経験がないと語れない訳でないと思うのです。また、今回の騒動に対して何をしたか?についても、前述のように「~したから口出せる」というものでもないし、逆に言えば、おかしいと思ったものを意見として出すコト自体・・・大事なコトなんじゃないですか?



そういえば・・・僕、傍観者さんというブロガーさんにも「FDさんは、今回のことで何か活動していらっしゃるのですか?」という質問を頂戴しました。似てますね・・・。あの方は女性・・・OYAJIさん、ご兄弟は?





何故、らぶさんがあの記事を書くに至ったか・・・。それを今一度考えたいなと思いますよ。



あと、この記事に関する質問は・・・。難解さんは、OYAJIさんに対する質問ですからよろしいですかね?



よし・・・では、次の記事への質問に行きます・・・。



また今から記事にしますから・・・しばしお待ちを。




できればこの記事シリーズの最後にまとめて記事にしてトラックバックをしてくれると嬉しいです。というのは、先程ザッとOYAJIさんの質問を見させて頂きましたが、各記事で対応しなくても問題ないようでしたので・・・。





僕が記事を書き上げるまでの間、ご飯でも食べてリラックスしておいてください。お腹が空いていては・・・文章を読む眼が曇りますからねっ!

テーマ:ちょいと聞いてくだせェ(*´ー`)ノ - ジャンル:日記

とりあえず・・・お待ちくだされ。

事務所に戻ったら・・・これまた・・・(笑)



僕はまだ独身で、「人の親」ではないけれど、仕事上、「子供の将来を左右する事柄」に出会う仕事をやっています。



たまたま、今日も今さっきまでその打ち合わせをしていました。




(本当はこんなことブログで書く内容じゃないのですが・・・)





戻ってみてあらビックリ(笑)






「思いますか?思いませんか?」「良い事ですか?悪い事ですか?」





のオンパレードが・・・。






しばしお待ちください・・・。コメントがまるで、記事のようになっております。僕としても適当にお答えはしたくありませんので・・・熟読の上、また記事にしますね。





ただ、「私の質問に答えてませんね?」などと言われたくはないので、先に述べておくと同時に、前提としてお聞きしておきます・・・





全ての行為が「善意」を根拠に行なわれているからといって、「ALL OK」になる訳ではない。
また、「白か?黒か?」などと断定できることばかりではない。




ということです。そんな「イチかゼロか?」などという質問を堂々とぶつけてくること自体、疑問です。





そして、もう一つ、お聞きしておきます。





OYAJIさん、OYAJIさんがコメントした僕の記事・・・全て・・・





「いじめに対する善意」を否定した記述がありますか?ありませんか?






以上・・・では、仕事を片付け次第、回答に取りかかりますので、今しばらくお待ちください・・・。





・・・というより・・・あれだけの量・・・OYAJIさん、記事にしたらいいのに(笑)

テーマ:うわ――――!!!!!!(´Д`lll) - ジャンル:日記

安易さが象徴された、今回の転載・・・

オレ発:ヤフーブログ情報局の阿風太郎さんが書かれた・・・

転載の「お願い」と「押し売り」、その有効性についての一考察


という記事を読んで触発したので記事を書いてみたいと思います。



ずっと昔から、僕は転載機能に関しては疑問を感じており、色々と記事を書いてきました。



今回、問題の本分である事柄は抜きにして、ROMをしていた感想は「マナーに頼りすぎている」「そのツケを払うための時間を割き過ぎている」「画一化してしまっている」でした。



マナーに頼りすぎている


阿風さんも記事の中で、そういうものとしてお付き合いしていくしかないと記述されています。実は転載機能に関しては、この言葉に集約されていると思います。


自分の手元を離れた(=転載可とした)記事がどんな拡がりを見せようと仕方ない。
善意で使用されようが、悪意で使用されようが、その可能性は覚悟しておくべき。


普通、物事の決断を行う時、想定しうる可能性をプラスもマイナスも考えます。当然、転載を可とするか不可とするかについてもそうです。


今回は問題が問題だっただけに、記事の頒布のスピードを最優先した。


・・・という決断をしたのであれば、前述の拡がりにおける部分のデメリットは目をつぶる必要があったかと思います。頒布のスピードを優先しているのですから・・・。


そして、情報の修正に関して、また二次三次転載の点について、転載を転載元からお願いするという点・・・これをマナーを基に行なう・・・。


正直、今の転載機能は欠点だらけだと思います。機能改善の為に活動していくことに関しては何も文句はありません。・・・が、改善活動をしているからといって今の機能の是非は即座には変わらない・・・。今の機能だけをもって、是非を論じる必要がある訳です。



運営する際には、今の機能でできるコトをする必要がある訳です。



僕は、今の機能が有している欠点を、マナーという曖昧模糊なもので補完し過ぎではないかと感じました。



マナーというものは、人それぞれであり、今も刻々として変化するものです。当然、転載元の原作者と転載者のマナーの温度差もあります。更には二次・三次転載者ともなると・・・原作者の意識など届かない領域となるでしょう・・・。



そういった根拠のない、確固としないもので機能の欠点を埋めるには・・・転載機能が持つ欠点の穴は大きいような気がします。



だからこそ、阿風さんのおっしゃった、そういうものとして・・・は非常に同感できるのです。




そのツケを払うための時間を割き過ぎている


一番最初に掲載した記事から情報が変化しますので、定期的に転載をしなおすことをお薦めするような流れになっていたかと思います・・・。


このアイデア自身も、転載機能のマイナス面をマイナスのまま活用してしまったかと思います。


まだ僕は・・・「自殺を防ごう!記事vol.1」「自殺を防ごう!記事vol.2」などという形で別の記事とし、随時投稿していく方法の方が良かったのでは?と感じていました。


もともと・・・この記事の趣旨・内容に関しては今まで問題となった転載記事の欠点が出にくいものとなっています。


「周囲が気付きましょう」
「命を大事に」


こういったものに違法性はありません。著作権法上問題があったり、何かの規約に反しているものを転載して頒布した場合と同一で判断するべきものではないからです。



しかし、今回は一つの記事で対応しました。



そして、記事修正した都度、色々なブログに訪問したり、二次・三次転載をしたブログでお願いをすることとなった・・・。



自殺を食い止めるために、何かをせねば!・・・という活動は・・・どこにいってしまったのか・・・。



おそらく、転載元のブロガーさんはかなりの時間、PCの画面の前で拘束されていたことでしょう・・・。そして、その作業は自身の転載記事の転載先のチェックです。本当にお疲れ様ですと言いたい・・・ですが・・・。



その時間・・・もっと他の事に有効活用できなかったのか・・・。



頒布のスピードを優先し、且つ記事内容に問題がない訳ですから・・・他の転載ケースとは別に考えれば・・・そして、拡がっても仕方ないという覚悟を持つことができていたら・・・と感じる訳です。





画一化してしまっている


今回は、問題が問題だったために、やむをえない部分もあったかと思いますが、正直に言って・・・何故自分の言葉で語らないのかな?という心情が一番大きいです。



見るブログ見るブログ・・・皆同じ・・・。



そして、転載元の原作者の趣味・意向が入りますので転載先において非常に「いびつ」に感じます。



「あれ・・・?このブロガーさん・・・こんな文体だったかな?」



などと思いながら下にスクロールさせると・・・「転載元」の文字が・・・。正直、ガッカリです。



直リンの問題の時などは、転載記事が多くなり過ぎて、何がなんだかサッパリ状態でした(涙)読み手にこうも負担をかけさせる転載記事って・・・などと思った記憶があります。「直リンとはなんぞや?その是非は?」を考える前に、溢れかえる転載記事に嫌気がさしました(涙)



「いや、今回は問題が問題なだけに・・・」



という意見もあるでしょうね。



自殺しようとする本人が仮に見た場合・・・(というよりそんな余裕はないでしょうが・・・)。このどこをめくっても同じ記事・・・どう思われるかな?


また、その子の周囲の人達が仮に見た場合・・・どう思われるかな?



某大手電気会社の商品回収広告とは意味合いが異なります。どちらかというと「テレビのチャンネルを変えても、同じ番組がやってる」という感覚です。



それよりも・・・自分の言葉で一行でもいいから書くことの方が・・・多角的に考えが出るのではと・・・。頒布のスピードよりも各々が各々のフィールドで考えること・・・「我が子は?」「自分がその立場だったら?」「いじめられていた当時、自分の気持ちはどうだった?」と、己と向き合い、己に問うことの方が有用ではないかと感じたのでした。




え?僕ですか?前の記事でも書いたとおり、僕は記事にしていません。記事にしていない人が大口叩くななんて、言わないでくださいね。記事にすることだけが活動じゃないですから・・・。そして、何故実際の活動中に提言しないんだ?という文句もなしです。提言した途端、転載者の善意を踏みにじる冒涜だと言われるのが目に見えていたからです。それに、こういった意見は予告日より前にすべきでないと思いましたしね。


転載機能が有する「安易さ」・・・「個性的なブログにしたい」と思っているハズなのに・・・なんで手を出すのでしょうかねぇ~・・・。



「安易に手に入る個性的なもの」なんて・・・ないと思うのですが・・・。



ご自身で記事を書かれつつ、転載もされていらっしゃるブロガーさんもいました。逆に不思議に思いました・・・「え?自分で記事書いてるじゃん?なんで・・・?自分の記事に転載元のリンク貼れば済むんじゃないの?」でした。




やっぱり・・・転載記事だけ・・・そのブログの中で浮いていました。




(誤解のないように・・・転載された記事の中身が駄目とかそういう意味じゃありません。各々のブログが有する文体と転載記事の文体が異なるために違和感を感じているという意味です。)






岩にしみいるように・・・少しずつ・・・少しずつ・・・自分の個性が記事に反映されていく・・・。こういった問題は自然発生的に各ブロガーの言葉で繋がり拡がっていく方が自然ではないのかなと感じたのでした。

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ブログって・・・対等と思ってたのですが・・・(涙)

+LOVE2.0+の、らぶさんが書かれた、


転載で命は救えない



・・・という記事を読ませてもらいました。




内容に関しては、へんに言葉を綴ることはやめておきます。逆に、言葉は要らないような気がしました。




僕はこの記事を読みながら、「あぁ、らぶさんは、正直、書きたくなく書いているだろうなぁ」と邪推してしまいました。





この記事の発端は、Yahoo! ブログの転載記事に関することだと認識しています。らぶさんが取った行動に対して、相手から批判が生じ、その結果がこの記事ではないかと・・・。


(相手の方は、以前から僕も何度か交流させてもらっています。読まれる方は既にご承知でしょうが、今回の記事の趣旨はらぶさんの心情へのエールの意味の記事であるので、固有名詞は控えさせてもらいますね。)


ずっと成り行きを見ていて・・・確かに、らぶさんが書かれた記事も・・・相手が相手だっただけに、辛辣ではあったと思います。しかしながら、らぶさんは「いじめそのもの」「自殺予告そのもの」に関しては是非を言及せず、「転載記事の扱われ方及び記事内のその他の事項」に言及していたと記憶しています。


すると相手は、「転載した皆さんの気持ちを踏みにじる行為」と、らぶさんが問題そのもの全部を批判していると解釈してしまいました。



前述しましたが、らぶさんと相手には・・・それなりの歴史があります。書き手のらぶさんも、それなりの感情があったかと思うし、受け手にも・・・。




今回・・・歴史がマイナス方向に力を加えてしまいました・・・。




火に油を注ぐ・・・とは、正にこの後の展開で・・・その相手・・・どこかのコメントに「あの記事をトラックバックした相手も、親なんですよ。」という類のコメントをしました。




「あちゃー・・・なんていう書き方しちゃってるんだ・・・。」




そして、その後、色々とすったもんだがあり、今回の記事です。





他のブログでもそう感じたのですが、




「なんで、こういった自分の背景をさらさないと発言しちゃいけないような風潮があるのかな?ブログって・・・有名人だとかはともかく、ある程度対等なのじゃないの?」




というものです。




意見発信をすれば、当然、それに対して反対意見だってでます。本筋そのものには異論がなくとも、色々と意見が出る場合もあります。イジメ問題に関しても、「敢えて記事にしない」という考え方だってあるハズ・・・。





さらに、「親」などといったリアルの立場を反論に交えるとは・・・。ブロガーって、その人が持っている背景だとか実績って重要なの?有名人はともかく、子供から大人まで自分の言葉を紡いで記事を書き、意見交換できることが最大の良さなんじゃないの?







「親」という言葉で指摘されたらぶさんは、きっと非常に悲しい気分になったのだろうなと思っていました。だからこそ、自分の背景を出すことによって、自分の考えを補助しようとしたのかなと感じました。だから、冒頭の「書きたくて書いていない」と推測しました。間違ってたらごめんなさい。




他のブログでもこういった光景、見かけます。Aという自殺記事に対する記事と、Bという自殺記事に対する記事を比較して、どっちが共感できるできないなどを予告日より前に行ったり・・・とある人が書いた記事内で書いた活動に対して批判したり・・・その後、その人は自身が背負っていた過去を記事に書かれていました。その人も、きっとそんなコトを書く必要はなかったのではと思います。




確かに、自分の過去を題材に記事にすることはあります・・・が、しかし、今挙げた方々はそれぞれのブログを自分の過去を紹介する方法で記事を書かれていない、百歩譲って、自分の過去を主な題材にはしていないブログ運営をされていらっしゃると思います。





あぁ・・・悲しい・・・。非常に・・・悲しい・・・。





ひどく散漫な文章になってしまいました・・・(涙)ごめんなさい。

テーマ:ひとりごと - ジャンル:日記

大人は万能じゃないと思う・・・。

先日の自殺予告の件で、色々なブログを読ませてもらいました。



このブログでは、その件に関して一切記事にはしていません。できなかった、というのが表現として正しい・・・。



ブログを持っているのに何らの行動をしていないのは?などという言われ方もされました(笑)画面の向こうで、「ブログで全部活動報告しないといかんのかな?」「全てをブログに載せないといかんのかな?」などと思っていました(笑)




しかし、家や会社ではこの話をしていました。




ずっと疑問に思っていたことがあります。それは「大人の責任」です。




いじめという状態を作っているのは、大人達の責任だ。子供のシグナルをわかってやれない親・教師といった大人だ。




・・・という考えです。



確かに・・・いじめが起きる環境に関しての責任はあるでしょうねぇ・・・。



一つ、場合分けをしてみたいです。




愛する子供が自殺してしまった場合・・・


これはまさしく「親として気付いてあげられたら・・・」「教師として気付いてあげられたら・・・」という後悔の念から責任を感じるでしょう・・・。



しかし・・・まだ・・・自殺していない場合・・・


「気付かないのは親としてどうか?」という風潮・・・「気付かないのは教師としてどうか?」という風潮・・・





親に聞いてみました。僕も僕の妹も、程度はどうあれ、イジメに遭ったことがあります。



「ねぇ、俺達が子供の時に・・・イジメに遭ってたの・・・知ってる?どこか・・・異常に気付いたりした?」



回答は・・・「わからなかった」でした。



手前味噌になりますが、別に僕の親はいたって普通です(笑)親として失格などとは思いません(笑)



もちろん、イジメの程度にもよるでしょう・・・死にたくなるようなイジメ・・・顔に傷がつき、明らかに周囲から見てわかるイジメなどとは比較してはいけないかもしれません・・・。が・・・




大抵の大人は・・・気付かないものかと・・・。そして、それを・・・シグナルを読み取れなかったと決め、その読み取れなかった大人の責任にするのはどうかと・・・。




そんなに大人だって万能じゃない・・・完全じゃない・・・。




だから僕は、子供に生き抜くチカラを先に教えたい・・・大人に気付かせるための能力を教えたい・・・




・・・と思ってしまうのでした。




シグナルを気付かないのは、大人のせいだ・・・というどこか人任せな風になるのではなく、自分を表現できるチカラ・・・。「俺の話を聞けぇ~!」と主張できるチカラ・・・。




「子供」・・・という冠が取れたって・・・イジメはある訳ですから・・・。

現実を打破したうえで、理想を語りたい・・・。現実を打破する強さを教えたい・・・。

テレビによく出る評論家で、物凄く高い理想を言う女性評論家がいる。





「あなたのそんなところがね、イジメの遠因になってるのよ!」
「あなたも人の親でしょう?!」





物凄く高い理想を言う割に、自分の説を批判されると相手に対して辛辣な言葉を繰り出す。





理想は大事だ。




が、しかし、現実を打破してこその理想だ。




目の前で起きていることは棚上げにして、理想を語る・・・ある意味、それは「逃げ」だ。理想を現実のものとするために、今の現実を打破するのだ。





理想を繰り広げ、「現実的な問題として・・・」という切り返しに対して、前述の言葉でもって批判する。意味がわからない・・・。





その理想が達成されるまでの間・・・手をこまねいているのか?長期的プランと合わせて、目の前で起きている問題を解決する現実的な考えを発すること・・・それも大事ではないのか?




現実的なことを言うと・・・大抵、「だからあなたは・・・」になってしまう・・・。





誹謗中傷の言葉を使用しなくとも、自分の理想に合わないという理由でもって相手に対して言葉をぶつけるのは十分に誹謗中傷だと思う。




誹謗中傷指定単語なんてないと思う・・・。




理想家であることはいい・・・が、しかし、自分の理想に対して切り返しがあった時、「それが、○○の遠因になっている。」「一人の親として、することか?」と、訳の分からない反論をされても困る。





だとしたならば・・・「では、今の世界があなたの理想に合っていないのは、あなたの努力不足ではないのか?」などというバカな反論もできてしまう。




「一人の親として・・・」などという反論も、「じゃあ、独身のあなたはどうなの?」「離婚したあなたはどうなの?」「あなたは親としては完璧なの?」という判断基準がない言い合いに展開されてしまう・・・。







イチ大人としては・・・「自分が掲げる理想。しかし、それにそぐっていない現実にも立ち向かっている。理想に近づくべく現実を打破する。」というバランスを持っていたいと思う・・・。




そして、子供には、「いつか大人が気づいてくれる」という理想だけでなく、「自分で大人に気づかせてやるんだ。自分で現実を打破するんだ。」という生きるチカラを教えたいと思う・・・。





現実に目を向けない理想主義者、そして、耳を貸さない理想主義者・・・





自分は、そうはなりたくはないものだ・・・。


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