【FDの考え】

日常の、些細な事柄から心の琴線にひっかかったコトについて書き綴ってみようと思います。

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生存報告を密かにしておきます。

こんにちは!FDです。お久しぶりです。



この【FDの考え】を更新しなくなって、もう一年以上が経過してしまいました。RSSで読み取っていらっしゃる方・・・「うは!懐かしい!」とPCの画面の向こうで一声あげて頂けてたら嬉しい限りです(笑)




今回、たまたまちょっとした用事で自分のブログを開くことになりまして、ついでといってはなんですが、生存報告がてら記事を書いておこうと思い、筆を進めた次第です。そして、前の記事にてコメントを頂いていたにも関わらず返信しないままにしてしまった点、ごめんなさい。




ブロガーとしての生活・・・実は他のブログでしております。ほぼ毎日、記事を更新しています。そして、毎日更新しながら「あぁ・・・自分のブロガーとしてのスタイルは、ここの分野では合わないなぁ」とも感じています(笑)





この【FDの考え】で、OYAJIさん(変わらず元気のようですね!)をはじめとして、色々なブロガーさん達と記事を通じて交流させて頂きました。多分、自分のブロガーとしての基本的なスタイルは、このブログで完成されたかなぁと感じています。なんといいましょうか・・・ブログを自分の考えや作品を発表する場のようにとらえるスタイルです。そしてやっぱり基本は記事です。




ですから、別のブログでも非常に違和感を感じながら「自分は異端派だなぁ」と思いながら更新してます(笑)ただ、そんな中でも記事で意見をぶつけあうブロガーと出会ったりして、楽しんでいます。





この【FDの考え】・・・また筆をとり、書き始めることがあるかどうかわかりませんが、そんな時がきたら、また読んでやっておくんなまし。




そして、過去に記事をやりとりさせて頂いたブロガーさん達、意見を同じくする立場の方々もいらっしゃれば、逆の立場の方々もいらっしゃいました。また交流できたらなと思っています。




とりあえず、元気でやってます^^
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ブロガーとしては、書き手の意識を高めることが順位としては先に来るのかなと再認識したのでした。

言及記事
覗きが趣味!!

正しい意図を読み取れる周辺の人はいないのか?

参考記事
「言葉」を読むということ、「言葉」を発するということ。



皆さん、こんにちは、FDです。お久しぶりです。元気してますか?僕は元気です。


「ぼちぼち記事を書こうと思う」などと公言しておきながら、色々な理由にかこつけて筆が進まない状態で今まできていましたが、今回、久々に記事を書く気になりました。



僕は Yahoo!ID をログインした状態で、平気で色々な方のブログに訪問してしまっています。ですから、上で挙げたお二人以外のブロガーさんも「あぁ、FDは生きてはいるんだな♪」程度には思っていらっしゃったかと思います(笑)今回の検索から広がった話題も、実はつぶさに読ませて頂いており、記事も準備しておりました。(阿檀さんの書かれた内容とほぼ一緒でしたので、投稿はやめてしまいましたが 笑)



さて、上の二つの記事でのやりとりを見て、僕は自分の日常の中の修羅場に属する世界を思い出しました。



ブログの世界では意見の衝突はあれど、余程のことがない限り、いわゆる「きったはったの世界(これは皆さんがプロとして活躍されている場所も含まれた表現です。真っ先に連想されるアノ世界だけを指したものではありません。以下、同じ。)」のような展開にはなりません。ですから、そこでなされる発言の質にはそれほど気を遣わなくてもよいのかもしれません。



ところが、「きったはったの世界」においては、発したその一言が物凄く影響を与えることがあります。「吐いた唾は飲み込めない」などは典型的なたとえですよね。



覗きが趣味!!の記事の中で牛男さんは、訪問先のブロガーであるOYAJIさんに「一体、何の目的で毎日毎日覗きに来ているのでしょうか?」と問いかけられ、「趣味だと答えるしかありません。」と答えられました。そして、そのやりとりから覗きが趣味!!という記事に膨らませ、自らが答えた回答を自虐的に・・・(いや、自嘲的に、の方がいいのかな)、記事にされました。牛男さん自身が「主語は私(牛男さん)です。」と仰るように、これはOYAJIさんが牛男さんを断定したのではなく、牛男さんが牛男さん自身を断定した訳です。



それに対してOYAJIさんは、そういった牛男さんの自虐的・自嘲的記事を展開させたのは、さも自分の発言であるという読みをされ、そんなつもりじゃないのに・・・と、正しい意図を読み取れる周辺の人はいないのか?という記事を書かれた。




実際のところ、僕自身もOYAJIさんのブログにはほぼ毎日訪問しちゃってます。おそらく僕がOYAJIさんのブログに残した総コメント数は十数件・・・毎日の日常的記事にも、このテの記事にもコメントはしていない・・・でも訪問はしています・・・牛男さん的に言うと、僕も覗き趣味があります(笑)



おそらくは・・・OYAJIさんが採用したこの「覗き」という言葉・・・これは当然、他の読者の方だってわかっていらっしゃるでしょうが・・・よく使われる「おぅ!FD!ちょっとヒマだったから覗き(ワードの変換から見ると、「覘き」の方がふさわしいようですが・・・でも、常用外みたいです)に来たゾ!」で使われる意味での「のぞき(立ち寄る)」に該当するかと思います。ですからきっと「ねぇ、牛男さん、どうしていつもコメントもせず、ウチのブログにお越し頂いてるのでしょう?そして、久方ぶりにコメント頂いたかと思ったら、この分野の記事ばかり・・・その点が、いつも腑に落ちないのですよ。(やわらかモード)」という意味だろうと推測・・・。




しかし・・・コメントとして採用された言葉は「覗き」でした。




この件に限らずですが・・・僕はいつも、「読み手に意図が正しく伝わらないのは、書き手の責任」という感覚を持っています。ですから、僕は抽象的な文章が書けません(笑)詩とかポエムとか・・・とてもとても(笑)それは、自らが置かれている環境からそうさせてしまっていると思っています。おそらくはこの【FDの考え】の一連のブログ活動の中で、読み手に対して「あなたは読解能力がない」と発言したのはたったの一回・・・OYAJIさんだけだったと記憶しています。(間違っていたらごめんなさい。)




前述の「きったはったの世界」ではありませんが、言葉は本当におそろしい・・・何気に言った一言が、どんな展開に発展するかわからない・・・。5W1Hをしっかりと明示するのは勿論のこと、採用する単語ひとつをとっても、プラスを想起させるものかマイナスを想起させるものかで相手に与える印象は大きく異なります。(一時期よく見かけた「プラスのストローク」ですね)



「言葉」を読むということ、「言葉」を発するということ。の記事の題名の『「言葉」を発するということ』の部分を・・・いつも気にしちゃっている訳です。




「覗き」という言葉を使ったOYAJIさんが悪い、とは思いません・・・が、あのコメントを発する環境下・・・OYAJIさんの感情は沸騰しているように(少なくとも読み手から見て)思いました。相手を挑発する意図があったのか、単に冷静に「立ち寄る」という意味合いで「覗き」という言葉を採用したのかはわかりませんが、発した途端・・・その影響はプラス・マイナス双方とも自らに降りかかるものと思っておいた方がいいっす。(ちなみに、「♪」だとか中傷・罵倒の言葉を使わずとも、文章全体でイヤミな、マイナスな文章を作り上げることは可能です。そしてその逆も可能です。単語一語のみならず、プラスのストロークをしたいのならば、文全体が与える印象を意識された方がいいと思います。)




「ねぇ、FDよ・・・だったらさ、もう怖くて一言も発することできないじゃん。ブログって楽しいものなんじゃないの?」




こんな反論が予想できそうです(笑)「楽しい」という感覚は十人十色・・・こういった無駄に長い文章を書くことに「楽しさ」を見出すブロガーもいれば、和気あいあいとするやりとりに「楽しさ」を見出すブロガーさんもいらっしゃるでしょう。別に自由に言葉を発したっていいっす。ただ・・・発したっきりじゃなくて、その言葉に対して責任(これは楽しみを享受する権利も包括しています)を持つ必要があるかと思います。僕は・・・それもひとつの文責と思います。




ちなみに・・・「覗きが趣味と公言しちゃった♪」という牛男さんも・・・きっと「あぁ、こういう展開になってしまったか・・・。」と思い、自らが投稿した記事に対して、なんらかの思いを抱いていらっしゃると・・・読み手の一人として勝手に想像しちゃってます。




「私自身は、FDの言うように額面どおりの『覗き』を意図して使ったものではありません!書き手の意図をちゃんと読み取るべきじゃないですかっ?!」




・・・こんな反論も返ってきそうです。この反論には、僕は二つの考えを持ちます。一つは、「であれば、覗きが趣味!!が出た時点で、『笑いのネタとしてはおもしろいかも知れないが、ネタ提供元としてはそういった意味で言ったのではない』とだけ言えばいいこと。」そしてもう一つは、「そうやって反論するのならば、逆に読み手の側になった時に、しっかりと書き手の意図を読み取る能力を身に付けるべき。果たして過去に誤読はないの?」というものです。


もう一点思うのが・・・「読み手は書き手の意図を読み取れ!」などと他人(読み手)任せにするのではなく、「書き手は読み手に誤解されないような書き方を覚えろ!」という自らに頼る方が余程効率がよく、潔いのでは?などとも思ってしまう訳です。(こんな考えでいるからこそ、読み手に様々なイマジネーションを与えるキッカケとなるような記事や文章が書けないのです、僕は・・・。十人十色の考えを発生させずに、自らの考えを正確に伝えねば!と思ってしまうのです・・・。だから僕は文豪にはなれない、単なる事務屋です 笑)




僕自身が、すさまじい読解能力を持っている訳ではなく、すさまじい文章能力を持っている訳ではないので、偉そうな事は言えませんが、少なくとも「自分が書いたモノに対しては、読み手に高い読解能力を求め、自分が読んだモノに対しては、書き手に高い表現能力を求め」という矛盾は生じないようには留意しています。




ちなみに・・・昨年からこの【FDの考え】で記事を書き始め・・・特にOYAJIさんに対して言及をする記事を書くようになってから、至極曖昧な書き方をしないように・・・さらには「それはどういう意味だ!!!???」と字面が与える印象の悪い言葉を採用することを極力控えてきました。通常、交流が深まれば深まる程・・・指示代名詞などの言葉の量が増え、言葉の選択はラフになり、シンプルな文面のやりとりになり、多少マイナスイメージを想起させる言葉を使用しようとも、お互いの意思疎通に支障はなくなるものだと思っていたのですが・・・このブログにおいては真逆です。



別のブログでは英語日記など書いていますが・・・このブログにおいては、日本語であるにも関わらず、僕の中では英語で書いている感覚(日本語と違い、英語は様々な「格(たとえば冠詞によって意味・捉え方が変化したり、所有格等」が要求される点で日本語より具体的な言語な気がします。)がある・・・もう一つ付け加えるのならば、仕事モード(読解能力がはっきりしない不特定多数が見てもよいようにという意識)で書いています。それが、一体どういうことなのか?・・・を考えて頂けると・・・「今の自分には、書き手として読み手として・・・一体何が足りないのだろう?」(ここは、自問なのか投げかけなのかは曖昧にしておこう 笑)につながってくると思います。




そもそも・・・何か記事を起こした後で「書き手の意図をちゃんと読み取るべきだ!」と主張することこそ・・・書き手のプライドとして最も許されないことではないかと思う・・・という無駄に長文を書くFDの考えだったのでした(笑)




「きったはったの世界」でそんな主張したら・・・相手に笑われてしまいます(笑)そして場合によっては、「お前が自分で吐いた言葉だろうがっ!」と逆につけいる隙を与えてしまいます(涙)

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月日の流れるのは、早いものです・・・。

一時期はかなりの更新頻度で、且つ結構な盛り上がりをみせていたこの【FDの考え】ですが・・・今やこの体たらく・・・(笑)大昔の過疎ブログに戻ってしまいました。きっと、こうやって新しい記事を更新しても、RSSリーダー登録されていらっしゃる方しか読まないのでは?と思う今日この頃・・・。



今日に至るまで、決してネットの世界から離れていた訳ではありませんでした。ブログ運営はしてましたし、ROMもさせて頂いてました。ただ、意識的にこの【FDの考え】からは離れていました。いや、もう少し正確に言うと、転載機能に関する問題から離れていたという表現の方が正しいですね。




その転載機能に関する議論も、一時期と比べると落ち着きましたので、またこの【FDの考え】も再始動しようかなと思っているのですが・・・。自分の中で、しっくりこない・・・。それは、このブログの方向性・・・。もうイッコのブログとの相違点がなくなりつつあるのですよね・・・。どうしたものか・・・。もうイッコのブログと融合してもよいのですが・・・自分の中で踏ん切りがつかない・・・。



そして、このブログから派生して知り合った皆様との交流も、コメントなどをしない僕が言うのも変ですが、大事にしたい。




う~む・・・。




まっ・・・いっか(笑)気楽に考えましょう!このブログは元々、転載機能問題を語るために始まったブログではありません。日々感じたことを書きたいと思った時に書けばいい・・・。




・・・という訳で、他愛もない文章で、とりあえずFDは生きてます、ということだけ書いておきます。




そういえば・・・ここからは私信となってしまって申し訳ないのですが、Yahoo! ブログに秘コメを書いて頂いた方・・・実は昨日、久しぶりに自分の Yahoo! ブログに訪問して・・・発見しました(涙)申し訳ないです。頂いた言葉、本当に嬉しいです。ありがとうございます。


そして、NEeDS さんをはじめとした方々・・・コメントせずの状態になってしまっていて、ごめんなさい。



また今後とも・・・この過疎ブログを宜しくお願い致します。

テーマ:雑記 - ジャンル:日記

これから、する側もされる側も責任重大っす・・・。

Yahoo!ブログからのお知らせ


リアルの世界が・・・正直かなり忙しくなった状態で、しかし新しいPCが自分のデスクに配置され、ウキウキでいつものように皆さんのブログを巡回・ROMだけしようと思ったら・・・。


遂に・・・転載機能が変更されましたね・・・!懸案であったデフォルト「可」が「不可」に・・・そして、本来の転載元からしか転載できなくなりましたね。




これで・・・いよいよもって、デフォルト「不可」を「可」にする意思、そして実行・・・さらには「転載してください!」と推奨する行為の責任が重大になった訳です。・・・言い訳がきかなくなりました。




・・・というよりも・・・これでおそらくは・・・転載機能は機能として・・・意味をなさなくなりますかね・・・。転載機能の最大の魅力(?)とされていた頒布のスピードが(二次転載不可能により)今回の機能変更でなくなり、いわゆるネズミ算式な広がりは見込めなくなった訳ですから・・・。




さらに・・・転載機能の有無に関わらず、他のブロガーさんの記事を持ってくる行為・・・法律や道義的な面において注意を要するのは当然なのですが・・・今回の機能変更で「転載する側」にもそれが大きく問われるような気がしますね。




改善要望・撤廃要望を出された多くの皆様・・・お疲れ様でした。



あと・・・最近、コメントレス・・・遅れて大変申し訳ないです。ごめんなさい。

書き手・読み手は各々「○○流」の師範だったのです・・・。

一歩後退、二歩前進のトンコさんが・・・

「別の通りすがり」は阿風氏ではないか?

・・・という記事を書かれました。(トンコさんは、普段はYahoo!ブログをメインにしています。メイン・ブログはこちら今回は、ミラーブログであるFC2にTB希望ということなので、それに沿いました。)


まず・・・トンコさんが書かれた事柄に言及する前に・・・。書き手・読み手の「○○流」という話を一つ・・・。



ブログ、というものに触れる前から、人は多くの文章を読み、更には自分で書いているかと思います。幼稚園や保育園の頃から、大学・・・そして、社会人になって・・・勿論、文章を書くことへの好き嫌いがありますからその物量は人によって千差万別です。そして、文章を読むことも当然物量の差というものはあるでしょう。


更には、「どういったものを読み込んできたか?」「どういったものを書いてきたか?」という・・・バックボーンとでも言うのでしょうか・・・そういったものも違いとなって表れるかと思います。


そして、そういった「書き込んだ量」「読み込んだ量」「何を書いてきたか?」「何を読んできたか?」をバックボーンとし・・・そのバックボーンには人それぞれ違いがあるという前提で・・・ブログに話を戻します。


ブログはどんなスタイルで運営されたっていい・・・それがたとえ絵画や写真など、文章によって構築されるものでなくたって・・・とはいうものの、多くの方々が自身の文章を根っことし、ブログを作り上げています。例えば、音楽紹介ブログ・論説ブログ・批判ブログ・真摯に対応するブログ・日記ブログ・・・ジャンルというものはあれど・・・構成されるのは、言葉であり文章・・・。更にはブロガー同士のコミュニケーションといえば・・・コメント、そしてこのコメントを構築するのは・・・文章な訳です。



僕は、文章というものは・・・その時その時の書き手のスタイルを表している・・・いわば、それぞれが「○○流」というものを持っていると思っています。そして、それぞれが「○○流」という見えない看板を背中に背負った状態で、今度は「読み手」として、いろいろなブログを回る訳です。



最近・・・ちょっとだけこの【FDの考え】で洋楽談義が始まっています・・・そして、以前の記事で僕はギタリストの手クセの話を出しました。僕は・・・書き手にも手クセというものは存在していると思っています。



例えば僕のブログ・・・改行というか、空白を多用しています。Yahoo!ブログを開設した当初は、この空白は多用しませんでした。最近は何故か多用しています。そして「・・・」も多用します。話し言葉口調にしたい場合や、考えを巡らせている感を出したい時に使用したりします。また、僕は殆ど顔文字を使用しません。使用するのは「(笑)」「(涙)」「^^」「^^v」「^^;」くらいですかね。(一時期は(爆)も使用していたのですが・・・もはや流行ではないのですかね?)顔文字の変換データを入れていないので、全て手入力・・・だから知ってる引き出しが少ないのです(笑)


一時期は「」も多用していました・・・が、とある方がよく使われるようになったので、あまり使用しなくなってます(笑)そして、「~である」口調は使っていないです。「~です。~ます。」口調ですね。html もそれほどの量を知らない・・・太字・引用・打消し・・・その程度でしょうか・・・。



読み手として様々なブロガーさんのブログを拝見していますが・・・結構、その人の手クセなどがわかったりするとおもしろいなぁ~と思っています。



更に・・・こういった手クセというものは・・・日々、進化・変化していくものとも思っています。例えば影響を受けるブロガーが変わったり・・・好きな作家が変わったりすると、その人のエッセンスが書き手に注入される・・・そして化学反応を起こす、といった感じでしょうか。




さて・・・僕なりの、書き手・読み手の文章に関する感じ方を述べさせてもらいました。ここで、トンコさんの記事への言及です。




えっと・・・僕のブログに登場しているのは・・・難解さん、管子さん、傍観者さん、別の通りすがりさん・・・かな、トンコさんの指摘されたのは。



結論から先に言うと・・・上に挙げたそれぞれの方々の文章に対する読み手としての僕の感想は、「非常にアプローチが似ている」です。そして、トンコさんの仮説を踏まえて感じたのは・・・「もしそうなら、何故そういったことをする必要があるのかな?」です。


阿風さんのブログ運営・・・ずっと拝見してました。僕にはできないアプローチを展開し、厳しくも優しい気付きを初心者ブロガーに与えていたと思っています。ご家庭の事情で運営をやめざるをえない状況に至った・・・当然、ブログよりも大事な訳で・・・でも、読み手としては寂しい限りでした。



そして、その後、様々なHNの方々の登場です。読み手としての僕は・・・「うん?似ているな・・・文章の表情が・・・。」とは感じていました。先程の手クセと同様・・・人が書いた文章というものは、表情を持っています。鋭さであったり、優しさであったり、いやらしさであったり、嫌味であったり・・・。



上の方々に共通して感じた表情・・・それは「憤」でした。手クセとともにそういった表情を感じていました。まぁ・・・向けられた相手が同一人物という点も、共通項ではあるのですが・・・。


この中で、最もコミュニケーションをとらせて頂いたのは別の通りすがりさん・・・彼(彼女?)のおかげで僕自身の過ちに気付くことができました。自らが知らずに人を傷つけていた事実です。紛争に対する自身の処し方については、今もなお僕自身の考えは変わっていませんが、僕自身が発した言動によって期待をさせてしまった点・・・そして、その後の僕の判断、そしてその判断に至るにあたって僕がしっかりと意思を伝えなかった点・・・その点について、彼(彼女?)は教えてくれました。感謝しています。そして、相手の方には申し訳なく思っています。


おそらくは・・・阿風さんを含めた上の方々・・・僕が見出した「憤」・・・それも「義憤」で動いていらっしゃるのではと思っているのですが、ここでトンコさんが述べたネット界における暗黙のマナーの部分がひっかかりました。


ネット界においては、複数のハンドルネームによって展開することは、好ましいことではないのですね。僕自身、他でブログを運営しており、そこでは「FD」というハンドルネームは使用していません。その代わり、この【FDの考え】を通じて交流のある方々の前では、向こうのブログのハンドルネームは一切使用していませんし、向こうでも同様です。


そういったネットにおけるマナーが暗黙の了解として存在しているのであれば・・・もし、トンコさんの仮説が本当のものであったとしたならば・・・阿風さんの功績が功績なだけに、非常に勿体無い!ということになる訳で・・・。



そういった行為をせずとも・・・よいのではないかなと思う・・・今日この頃です。



(この話題は、今後の展開によって連載します。取り急ぎ、今回はこの辺で・・・)


関連記事
「別の通りすがり」は阿風氏ではないか?(一歩後退、二歩前進)
問うのは、やはり整合性(てんさい よりももっといい)

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「できるのだからやってよい」という線引き・・・

「板一枚下は地獄」・・・僕が属する業界では、こういった言葉がよく使われます。



更に・・・「黒と白の間のグレー・・・この領域に、どこまで入り込むか?プロとして・・・どこまで黒に近づけるか?」という言葉もよく使われます。



こういった言葉は、それぞれ皆さんが属する領域でもあるかと思います。




「ひっそりと・・・」シリーズを書いていた当時、今から振り返ると・・・一点、僕の記述で不足していたものがありました。それは「ここで論じていることを、実際に運用するにはあまりに冷徹過ぎる。できる・できないということと、やっていい・悪いは別の話」というものでした。


冒頭で出した二つの言葉・・・いつも僕の目の前に横たわっています。



「これ以上やると・・・若干リスクがあるよな・・・果たしてすべきか・・・?」
「これ以上の踏み込みは・・・もう相手との血みどろの戦いになることを意味する・・・するべきか?」
「この決断は・・・自らの美学に合っているのか?」



違法性の有無、さらには違法性の度合い、相手や周囲への余波・・・そして・・・己の美学・・・物事の決断は、本当に色々な要素によってなされます。それは・・・必ずしも「できるからやってよい」に当てはまらない場合もあると思います。



児島の仙人のきまぐれメモの児島の仙人さんが、転載可となっているとある記事を転載した時、僕は正直に言って、「あぁ、争いが一歩、ブロガーの意見のぶつけ合いの領域を超えたな」と感じました。



ブロガー同士の意見交換から、大人の喧嘩に一歩近づいた、ということです。





僕は、今でも転載機能のボタンの表示は、「転載してもいいですよ」という意思表示と解釈してよいと考えています。しかし・・・だからといって、それを徹底し、ボタンがあるから転載をしまくってもいいとは思いません・・・何故なら、転載をするボタンの先にはブロガーが存在しているためです。



記事の内容、転載される側の性格、更には置かれている状況・・・そして、転載した側の状況・・・そういった状況を鑑みると・・・「???」な訳なのです。



きっと・・・僕が変な理想をブログに持っているからでしょうか・・・激しい議論のぶつかり合いは、いわばスポーツ・・・議論者お互いが、それぞれ美学を持ち、相手のことを慮り、でも闊達に意見をぶつけ合う・・・それが終わったら、互いに礼をし、颯爽と引き上げる・・・。次に出会う時には、当時のギスギスは・・・なし・・・。



空手などの格闘技の凛とした立ち合いをイメージ・・・。



対して大人の喧嘩・・・これはもう、ドロドロしています・・・相手の急所を徹底的に突っつき、弱らせる・・・行き着くところはどちらかが・・・大人の喧嘩という言葉が適切でないのならば・・・戦闘と言い換えてもいい・・・。お互いの存在意義をかけた・・・ルール無用のバーリ・トゥード・・・。禁じ手というものが存在しない世界です・・・。




スポーツから戦闘の領域に入る時・・・そこには相当な覚悟が必要と、勝手に思っています。まだこのブログでは使わず、PCの画面の前で独り言で使っている言葉なのですが・・・。スター・ウォーズの「フォースの暗黒面」になぞらえて、「ブロガーの暗黒面」と・・・僕は使っています。




反面、その後大いに着目した点が、児島の仙人さんの行為に対して、それまでOYAJIさんに対して批判をぶつけていた各ブロガーさん達が児島の仙人さんに対して苦言を呈したこと・・・僕はそこにブロガー同士のバランスをみました。(まぁ・・・その後のOYAJIさんの抗議の表現方法がああいった形だったので・・・何がなんだかわからない展開になってしまいましたが・・・)「あぁ・・・自浄作用とはこういうものかな・・・バランス感覚の鋭い方が多いな」と思ったのでした。




ただ・・・決して無頼・無礼な相手に対して泣き寝入りする必要はない・・・意を決し、覚悟を決めた時には・・・自らの信念に基づき戦えばいい・・・。しかし、その覚悟は安易に・・・安売りをしてはいけないのではないかなと・・・思うのでした。


この記事を書き上げる途中、児島の仙人さんがご自身の行為に関し、その当時の心境などを述べられています。どうやらそこまで児島の仙人さん自身、展開を深刻には考えていらっしゃらなかったご様子・・・。決して僕自身も、児島の仙人さん自身の善悪を言及してません。気を悪くされたら、ごめんなさい。







う~む・・・ちょっと自分は大袈裟に考えすぎかな・・・(笑)

テーマ:どうでもよくないこと - ジャンル:日記

方向性が変わってきたような気が・・・

東京へ講習を受けにいった余波で、色々と忙しかったFDです。こんばんは。


山手線の外回りと内回りで、危うく目的地まで遠回りしてしまいそうになりました(涙)やれやれです・・・。夜、少し遊ぶ時間があったので遊んできました。楽しかったぁ・・・。



・・・と、ここまではこのブログでは珍しく日記のような書き方・・・。忙しいと言いつつもROMはそれなりに・・・。う~む・・・OYAJIさんの・・・


真摯な対応


・・・において、皆が「FDが・・・」「FDへの配慮が・・・」と言っているのを見て・・・そこでのやりとりに関して、少々言及をしておく必要があるかと思いました。このブログにおいて、僕が放った一言に対する責任もありますしね。



まず「消せ!」と僕がコメントした理由についてですが・・・(当時のコメントはこれです。


まず、僕はあのタイミングで、そしてあの内容がまず気に入らなかった。ですから「消せ!」の第一順位はあのコメントそのものでした。「出直してこい!」というものです。


「何故か?」という理由はもう語りません・・・(といっても、水に流す訳じゃないっす)。いずれにせよ、OYAJIさんが僕に対し礼節・デリカシーに欠ける行為をしたということです。最近流行りの(流行っているでしょうか?)「真摯」という点で言うならば、あのコメントには真摯のかけらも感じていません。



そして、サブブログの件ですが・・・


コメントでもあるように、ブログを何個持とうがその人の自由ですし、現に僕も複数のブログを運営しています。現在、実働しているのはこの【FDの考え】を含め二つ・・・全く毛並みの違うブログです。


ただ・・・元々色々な事象が、OYAJIさんの本家本元のブログである「楽しむYahoo!ブログの作り方♪」から起こったが故に・・・いくら別の通りすがりさんに対して真摯な対応を取るために、とはいえ・・・切り取って分家させるのは非常に違和感を感じたのでした。コメントでしたように、状況が悪くなった場合・・・例えばコメントを沢山削除する姿や、様々な事実があからさまになっていく展開になった場合・・・本家で他のカテゴリーを見に来る閲覧者もそういった姿を見せることになる・・・それを恐れたのかなと思ったのでした。


僕は、この【FDの考え】で失態を犯した場合(実は一度、起こしていますが・・・)、この【FDの考え】においてその責を負う・・・もし、実働している他のブログや、「贖罪のためのブログ」などを別に開設しても、その当事者は許さないだろうし、周囲もそれを潔しとは思わないだろうと思っています。それが真摯な対応を目的としたものであっても同様ではないかと・・・。


逆に、今までの紛争で、問題となっている記事や事柄以外の事でOYAJIさんの揚げ足を取るような行為をする人や、関連のない記事に対してチャチャを入れる人に対しては、僕はあまり・・・というより逆に「みっともない」と思っていたのでした。そういうことをしだすと、お互いが「どっちが聖人君子ぶりが発揮されてるか?」の話になってしまいます。人間・・・そんなに清廉潔白ではありません。僕だって、汚れまくってますし(笑)


以上が、コメント当時のサブブログに対しての感想です。いわばサブブログは、第二順位にあたりました。ブログを消すということよりも、ああいったブログを開設する矜持の問題の方が大きい、と言い換えてもよかったかもしれなかったです。



そして・・・それから今現在に至っています・・・。



サブブログを開設したOYAJIさん、そしてそれを非難する方々の双方が「FDさんへの配慮・・・」を口にされる状態です・・・。そして「真摯とは?」という・・・ここの記事が発端となった当初の内容からかけ離れたものになっているような気が・・・。しかも・・・個々の事柄への踏み込みは一切なされていないし・・・。



正直な話、個々の事柄への踏み込み・・・なかなかできないような気が・・・そんな気がします。個々の事柄・・・当事者でない僕ですら、容易にどの事柄か想像できるものがあります。しかし、今現在、僕はそこに踏み込んでいません・・・。何故かな・・・。やはり・・・と、ここでストレートに書くと、OYAJIさんがそれを自己防衛のために活用しそうだからやめておこう(笑)




今回・・・はじめてOYAJIさんに関する紛争で、当事者の気分を味わうことができました。とはいうものの、僕の場合は些細な事柄・・・もっと大きな紛争に巻き込まれた方々・・・本当に大変だと思います。(あえて現在形にしておきます)その中でも、誇り高く対応されている方々には・・・本当に頭が下がる思いです。




しかし・・・本当にOYAJIさんは未だに「何故?」がわからないのかな・・・もし、わかっててあんな行動をしていたとしたら・・・案外、違った才能を持っているなぁ(笑)



次回は、もうちょっと毛並みの違う記事を書こう!(一体、誰に宣言しているんだろう・・・笑)

テーマ:管理者日記 - ジャンル:日記

配慮という名の・・・大義名分・・・。

昨日、今日と法定講習や会議など、なかなかPCの前に座れない日々が続いています。(ちなみに、明後日も東京に・・・田舎者なので不安 笑)

その間、コメントを頂いた皆様、ありがとうございました。一つ一つ返すよりも、記事してお返ししたいと思います。(一つ一つ返事をしている間に、またまたその返事に対してレスがつきそうですし・・・。)



さて・・・今の気持ち・・・。



あぁ・・・なんでこんな些細な事、わからないのだろう・・・。日を追うごとに「何故、怒ったか?」を言い出しにくいじゃないか・・・。こっちが些細な事にこだわっている小さな人間みたいだ・・・。



・・・です。


正直に言いまして、先日OYAJIさんのコメントに対して怒った時、僕は二手目のコメントまで予想してました。事務所に向かう車の中・・・「怒りの文章に対して真っ先に『いや、私はこう思った』という弁解をするだろうな・・・」というものでした。


予想は見事に的中・・・今までOYAJIさんが起こしてきた問題のほぼ全てがダラダラと続く理由が、一つ明確になりました。




実際の話・・・「何故、怒ったか?」という理由は些細なことなのです。些細なことが故に、今更言い出しにくくなってます(笑)「えぇ~?FD!そ、そんなことで怒ってたの?」と言われそう・・・(笑)そんな些細なことなのにも関わらずOYAJIさんは「明確でないからわからない。私はFDさんに配慮している。」の一点張り。



本当に、この記事(ブログコミュニケーションで心に留めておきたい事♪)を書いた人と同一人物なのか???と思ってしまっています。




OYAJIさん、僕に配慮ってよく使われてますが・・・いわゆる「されている側」としての僕は、な~~~んも配慮されてる感覚「あぁ、OYAJIさん、僕のこと、配慮してくれてる♪ありがとう♪」というものがありません(笑)。「私(OYAJIさん)が配慮している」からオッケーなのでしょうか?それは違うでしょう?ブログコミュニケーションで心に留めておきたい事♪の「4.こうであって欲しいという自我をなくして考えてみる」に合わないじゃないですか。配慮をしたと判断したOYAJIさんがオッケーを出すのではなく、配慮をされた僕がオッケーかどうか決めるんじゃないんです?(決して、僕が偉いとかじゃないっすよ。この件に限ってのみの話です。)



もう一つ・・・読解能力の部分で低いと言わざるを得ないOYAJIさんに厳しく言わせて頂きます。この件に関する「僕への配慮」は、配慮という言葉を使っていながら、その実体は大義名分です。そして全て「後出し感満載」なのです。そして、その大義名分とは・・・「自らに向けられた批判への反論を書き込むための大義名分」です。「後出し感満載」というのは・・・「そう思ったのだったら何故最初のコメントにそう思えるようにしっかりと書かない?」というツッコミで片がつくからです。



あのコメントを入れた時、おそらくOYAJIさんの頭の中は別の通りすがりさんへの反論のことしかなかった・・・このブログに対しては、「別の通りすがりさんがここでコメントした」ことくらいしか思っていなかった。そこにFDという存在はなかった・・・あったとしても、とても軽い存在であった。まるで本当に無人の・・・管理人のいない掲示板に書くがごとく・・・あのコメントを書き込んだ。文面から見ても、そうとれます。


当時、僕は別の通りすがりさんにも「言いすぎです」と釘を刺していました。おそらく別の通りすがりさんは、それ以後、追加してコメントすることはなかったでしょう。あったとしたら、僕も同様に釘を刺したでしょう。そして、同じようにOYAJIさんにも釘を刺した。OYAJIさんは、この釘ははじめてではない。過去にも、僕が知る限り・・・難解さんという方とのやりとり、おやさんとのやりとり、そして今回、3回目です(先ほど、ざっと過去のコメントを読み返したら・・・もっとありました 笑)。前回までの間、何も学んでいない。・・・ってか、過去の2回で僕、答えを言ってると思うのだけどなぁ~・・・。そして、その時のOYAJIさんの大義名分(配慮)に対しても意見言ってるハズなのだけど・・・。



いかん・・・やっぱり今更明確にするの・・・こっちが恥ずかしい(涙)やっぱりご自分で考えてください。



あと、管理者としての削除権限を行使しないことに対する点について言及しておきます。(これはOYAJIさんだけに限った言及ではありませんからね)


僕は、基本的に人のコメントはよっぽどのことがない限り削除しないです。そして、釘を刺すという表現を使っていますが・・・色々な人の言いすぎな部分が出てきた時にだけ軌道修正をしてもらうように心がけています。言い過ぎたコメントを発した人が「(そのコメント相手に対して)言いすぎでした。ごめんなさい。訂正します。」を待っているといってもいいです。僕はブロガー及びブログを閲覧しにくる人達から自然に発生するバランスの妙を見てて嬉しく思うタイプです。管理者が強権を発動して作り上げる統制は、そういったバランスの発生を妨げる要因となると思っています。コメント者が強権発動を常に意識しないと発言できないのは、僕は嫌なんです。確かにちょっと甘いかもしれませんね。一記事に100以上のコメントがつく状態でバランスなどと偉そうに言えるものでもないかもしれません・・・(笑)

一点、管理者としての我儘を言わせて頂ければ・・・釘を刺すなどの牽制の時点で・・・理解して頂けると嬉しいっす(笑)○回目ですよ、とか・・・言いたくないっす(笑)

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沁みこんでいないから安易・・・薄い・・・。

楽しむYahoo!ブログの作り方♪のOYAJIさんが・・・


NEeDSさんへの返信


・・・という記事(最新の「真摯な対応」というブログ内の記事ではありません)の中の一節・・・ずっと気になっていたので考えてみたいと思います。



★私はどういう形のブログがあっても良いと思います。
絵だけのブログや写真だけのブログや動画だけのブログが
あっても良いと思います。
「自らの言葉で行なうべき」という狭量な考え方は
理解はしますが、あまり賛成は出来ません。
・・・しかし、私自身も自分の言葉で書いてますけどね。
他のワザを持っていないだけです。
NEeDSさんへの返信より引用)




物凄くお人好しなモードでこの一節を考えます。当時の記事が転載機能に関して派生して書かれた記事なので、百歩・・・いえ、千歩・・・いやいや・・・かな~り下がって解釈したとしてこんな解釈ではないかと想像します・・・。


「僕の想像」
転載機能などに頼らずに自らの言葉で記事を綴れという考え方は考え方として狭い、絵だけのブログや写真だけのブログがあったっていい、その中の一つとして他人の記事を転載して記事を構成したっていいのではないか・・・?


確かにブログのスタイルはどういったものであってもいいと、僕も思います。写真だけで訪問者を唸らせるブログ・・・自らの力で描き上げた絵で魅了するブログ・・・別に「活字」で勝負・・・創作小説を書いたっていい・・・毎日の、ほんわかな日常を書き上げたっていい・・・。そして・・・おそらくは NEeDS さんもそう思っていらっしゃると想像します。


スタイルはどうだっていい


・・・が・・・忘れてはならないのが・・・。


そのスタイルには「自らの~」であることは大事では?


・・・ということ。



当時、転載機能という「他の人の記事をボタン一つで持ってくることができる」という特質について話をしていた訳です。おそらく「自らの言葉で行うべき」には「自らの努力や苦労といった内からあふれ出るもの」を大事にすべき、という意味が込められていると想像します。それをOYAJIさんは、額面どおりまさしく「活字・文字でしか構成されないブログ」としてとらえた。だからああいった反論になったのかと想像します。(違う!という反論をされるのなら余程の材料を持ってこないと駄目です。まさしく自らの記事で自らの言葉で発言されたことなのですからね。)




実は、上の記事のこの一節、はじめて見た時、僕も非常に違和感を覚えました。他の人の記事をボタン一つで持ってくる転載機能に関して語っており、その中で転載機能のようにインスタントに人の記事を取り込むのではなく、自らの力で記事を綴るという意味で「自分の言葉で・・・」という表現を使っている(だろう)のに、何故ブログ運営スタイルの話になるのだろうか???と・・・。



言葉・・・言葉の選択、文章の言い回しを考えるのは本当に難しい・・・よく英会話学校で「英語をマスターしよう!」などと気軽に書かれていますが・・・「では日本語はマスターしているのか?」などと思ったりもする今日この頃です。大体、マスターってどんなレベル?ただ単に「読み・書き・話す」ができたってマスターとは言いません。(勿論、僕自身もマスターしたなどとは全く思っていません。)




OYAJIさんは「狭量」という言葉をチョイスした。狭量という言葉は、他の方はどう思っていらっしゃるかわかりませんが、どうもマイナスなイメージを彷彿させます。それを知ってか知らずか、使った。「コミュニケーションとは?」でプラスのストロークをうちましょうと言っているのにも関わらず、使った。こういうところが、嫌味なのですよ。



先程、僕は「ブログは自らの言葉で行なうべき」というものを「自らの努力や苦労といった内からあふれ出るもの」と解釈しました。もう一つ、ここに付け加えてみたいと思います。




PCの画面という材料しかない状態において、言葉はブログにまつわる者達のコミュニケーションに必要な最大のツールということです。




どんな形態のブログ運営をしていようが・・・言葉を使う場面は必ずと言っていいほど出てくるかと思います。中には自身の作品を公開し、それに対するコメントへの返信を一切行なわないというブログもあるでしょうが一般的には言葉は使用されます。



OYAJIさん自身も、「コメントは記事と同様、大事」という考えをどこかで発していたと・・・更にパクリ疑惑の際には記事の削除に関して記事から派生し展開したコメント群を盾に使った・・・。



だからこそ、言葉の使い方には注意すべきだし、最も大事にするべき・・・そういった考えが「自分の言葉で行なうべき」にも入っていると思います。




やはり、OYAJIさんは「安易」です。「狭量」という言葉も、おそらくは安易に使用しただろうし、色々な考えを色々なところから簡単に引っ張ってくること自体も安易。そして、先日僕が怒ったコメントも安易。更に怒った僕へのコメントに対するコメントも安易。



もう少し・・・立ち止まった方がいい・・・他の人の記事を参考するにせよ、他の人の考えを読み取るにせよ・・・もっと考えた方がいい・・・「いや、私は考えている」という反論を出すのであれば・・・それはOYAJIさんの内世界だけの「考えている」であり、不十分だと思います。




今、OYAJIさんはサブブログである・・・


真摯な対応


の中の・・・


NEeDSさんへの返信


・・・で、トンチンカンな返事をされていらっしゃる。おそらくは、はじめて「狭量」という言葉を使った時も安易に使用・・・ただ単に相手への反論のためのものとして狭量という言葉を引っ張ってきたに過ぎないと推測します・・・何故なら、今現在、「自分の言葉で行なう」ということに対して物凄くトンチンカンな返事をしていらっしゃるから・・・。当時、軸がブレない自分の確固たる考えで冒頭の記事を書いていたならば、それほどトンチンカンなものは出てこないハズです。だから、安易なんです。



僕だって勿論、完璧ではありません。ですから自らが放った言葉を忘れることがあります。だからこそ、使う言葉は慎重に扱いたいし、軸がブレないように注意するべきと考えています。今回のOYAJIさんの件は忘れた忘れていないのレベルではありません。言葉を安易に拾い上げ、安易に反論をするが故に・・・身体に沁みこんでいない・・・そんな状態で軽々しく発するから・・・




薄いのです




その最大の理由はなにか・・・活字に触れる機会が絶対的に少なかったことも一因でしょうが・・・問題は・・・レスの速さだと思います。


質問してこられる初心者への対応が速い・・・OYAJIさんが既に蓄積し、OYAJIさんの言葉として存在しているものを駆使して相手に説明を加えればいい・・・しかし、他の分野は・・・そうはいきません。


そこに怒りという要素が加わるため・・・自らが提唱しているプラスのストロークすら守れない・・・薄い、自らに沁みこんでいない言葉を安易に使用・・・それも、色々なブログで繰り広げるため・・・もう、自分で自分が何を言っているのかわからなくなります・・・。




じっくり考えて、その考えを表明すればいいのです。スピードを重視しているのか、PCの画面の前にいる時間が沢山とれる弊害なのか、それはわかりませんが・・・その判断が仇になっています。



「この表現は、適切なものなのか?」
「この考え方には矛盾がないか?」
「自分のこの分野に関しての知識で記事を発表してもよいのか?」




言葉というものは・・・時に怖いものとなることを理解しておいた方がいいっす。

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後か先か?勿論、要素の一つですが・・・。

自宅のPCモニターが不調なおかげで、瞬間の怒りをコメントに反映させずでよかった・・・。(といっても、いつも口調ではないですが)


OYAJIさんが出された反論の中身・・・その細かな部分は別の通りすがりさん(もはや通りすがりさんではなく、常連さんになっていますが)からの反応を待つとして・・・どうしても気になった点が一つ。



「私からは何もしていない。手(口?)を出してきたのは向こうだ。」



・・・という点、後か先か?の部分・・・いつも気になってます。



普段のように、じっくり考えてこの記事を書いている訳ではないので投げかけのみで終わってしまう可能性があることだけは御容赦ください。あと・・・さっきの名残りがまだあるかもしれません、御容赦ください。



当然、物事には原因と結果があります。ですから、何故そういったことが起こったのか?ということの原因はどこかにある訳です。勿論、僕だって普段の日常生活においても原因と結果の相関性をチェックしたりします。



OYAJIさんがことあるごとに使われる「相手が何もしなければ・・・」・・・これは、ごく一部を切り取った上での反論かと思います。



物凄く壮大な話になってしまい、更には僕の不勉強な知識で述べますので間違っていたらご指摘ください。原因と結果は、その原因そのものがまた何かの結果であり、その結果はまた何かの原因たりえる訳です。



Eという原因でFという結果がでた。このEという原因はDという原因が起こした結果であり、またFという結果はGという結果へつながる・・・これを因果律と呼ぶのかと・・・。(あぁ~・・・思いっきり自信がない!)



前述のOYAJIさんの言・・・もっと前の、自分の記事は?自分の発言は?自分の行動は?という部分が一切ないのです。だから、周囲はいつも「???」となる・・・。時に危険予見性であったり、時に配慮の足りなさであったり、時に不遜な言葉遣いであったり・・・。そしてもっと具体的な、パクリ疑惑(敢えて疑惑としておきます)や同一性保持権侵害であったり・・・。そういった事象を抜きにして、その後から切り取って「何かしたのは相手」・・・。そりゃ、周囲は「自分は悪くない」という評価になりますわね・・・何せ、事の発端の部分を棚上げした形にしてしまっているのですから。



そりゃあ・・・少々いびつです。



僕はね・・・OYAJIさんの「安易さ」を気にします。「記事や言葉を軽く扱う」と言い換えてもいい。だからこそ、パクリ疑惑が出たり同一性保持権侵害・・・いえ、法律用語でオブラートにくるんではいけないな・・・相手が要望していない勝手な添削・・・こういったことにつながるのではないかと・・・。これもまた原因と結果です。



加賀教授も言ってます。安易に因果律を語ってはなりません・・・とね。




最近、僕自身が一つ、大いに反省をするべき事柄と重なったので述べておきます。

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キーワードは・・・「安易」?

はじめてギターを手にした時から、有名なギタリストは全てマネをする対象でした。


リッチー・ブラックモア、イングヴェイ・マルムスティーン、スティーブ・ヴァイ、ジミー・ペイジ、ジェフ・ベック、エリック・クラプトン、ポール・ギルバート、ランディー・ローズ、ヌーノ・ベッテンコート・・・数え上げたらキリがありません(笑)


とりあえず、最初の動機は「うまくなりたいっ!カッコよく弾きたい!」というだけ・・・彼等のライヴでのプレーや、ギターソロ・リフなどをよく模倣しました。



そして・・・自分達で曲を作り、人様の前でお金をもらい演奏をし出した時・・・こういった形に変化しました。新しい曲を作り、スタジオ入りし、他のメンバーに聞かせた時・・・



「なぁ、FD・・・そのギターソロってさ、リッチーのパクリっぽくね?」
「なぁ、FD・・・そのリフ・・・クレージー・トレインのパクリっぽくね?」



こんなことを言われた時・・・僕は即座にそのアイデアを捨て去っていました。



他の楽器パートの人の気質はよくわからないのですが、ギタリスト同士の会話で「パクリといわれるとムカつく!そんな時はそのフレーズは捨てる!」という話がよく出た記憶があります。


そして未だに自分でも完全に理解できてないのは「~風だね。」「~な感じのソロだね。」という批評は受け入れられるということ・・・。



何が「模倣」で、何が「パクリ」で、何が「~風」なのだろう・・・。



当然、誰もが最初は模倣するでしょうね。多くのギターソロをコピーし、朝から晩まで練習練習・・・何故コピーをするのか?前述のうまくなりたいも当然ですが・・・そのギタリストが好きなのですよね・・・。そして、その模倣は「手クセ」となっていきます。



ギターバトル、というかソロのかけあいなどやることがありました。ブルースの3コードを延々と継続し、二人のギタリストがソロを何小節かで交代する・・・そんな時はそのギタリストの背景・・・「手クセ」が非常にでます。かけあいが終わった後、「君は、○○っていうギタリストの影響、受けてるでしょう?手クセで凄くわかるよ。」などという話が出たりします。

しかし・・・そういった背景をそのまま自作曲・ソロに反映させると・・・。「そのままやん!」というツッコミから・・・パクリに発展することが・・・。



う~む・・・どうやら、「模倣」と「パクリ」、「~風」の線引きは・・・そのあたり?


(模倣先・パクリ先・~風先の対象をA、模倣をする側・パクる側・~風とする側をBとしてみます。)



Bの自身の作品に対するBの努力・工夫・・・そういったものがしっかり入る・・・ということかな。



もう一つ、言い換えると・・・Bの内部に、しっかりと影響を受けたAが血となり肉となっているか・・・。よくAへのリスペクトと言われますが・・・。



安易にもってきた題材は・・・やはり取ってつけたように見える・・・そういうことなのかな。



ふむふむ・・・キーワードは「安易」な気がしてきました・・・。



ふと思いました・・・逆に言えば・・・模倣をしている間は、まだまだ究める道を入り始めたばかり・・・そして・・・「~風」と取られずに、「パクリ」と呼ばれるのは・・・ある程度のポジションに到達しているにも関わらず安易・・・にしちゃう人・・・という見方・・・はいかがでしょう?



「立場」というのもキーワードになるのかな?



英語の勉強・・・まだまだ模倣しかできていない僕は・・・全然道を進めていない・・・ダメダメ状態・・・という訳なのでした。

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似てるなぁ~・・・Yahoo!とアメーバ

強制的に閑話休題な記事を書きます!(笑)


てんさい よりも もっといいの阿檀さんの・・・


比喩としての無断リンク


・・・の中でアメーバ・ブログに関して書かれていました。



僕が「これはYahoo!ブログに似てるなぁ~」と思い、最近「ますますYahoo!ブログみたいになってきたなぁ~」と思っているのがこのアメーバ・ブログ。



現在、メインで運営されているこの【FDの考え】ともう一方のブログ・・・このもう一方のブログの界隈にはアメーバ・ブログが多いのです。



このFC2に負けず劣らずのコメント欄の文字数、そして大量のスパムのせいかTB欄を閉じ、交流は基本的にコメント。(いや・・・最近は僕のこのブログも言えない・・・コメントだらけだから・・・涙)



Yahoo!の「訪問者履歴」に相当する「あしあと機能」、「ファン登録」に相当する「読者になる」・・・これでアメーバ・ブログに転載機能がついたらどうなるのだろうと心配してしまったりしてます(笑)(livedoorにも「読者になる」はありますね・・・)




このブログと違って、そっちはどちらかというと普通の日記が多いからだと思うのですが・・・年末の頃のこちらのモードで向こうに行くと非常に違和感を感じるのでした(笑)








ある日、向こうの界隈で知り合い、リアルでも友達になったブロガーに言われました。「FDさん(名前は違います)の(向こうでやってる)ブログは・・・ちょっと変わってますよね・・・。TBしたりとか、引用とか・・・。」



「実はね、○○で△△なブログをやっててね・・・。そこでそういったことを学んだんだ・・・。」と言うとその彼「へぇ~そういったマナーとかルールとか、絶対ここらの人達知らないっすよ。」と・・・。



良いとか悪いとか、そんな二元的なものでなく・・・でも空気感の違いを感じている、今日この頃です。




ちなみに・・・もう一方のブログの常連さんのうち、数少ないこの【FDの考え】を知る人・・・その人がこの【FDの考え】を読み一言・・・「難しい・字が多すぎる・あまりおもしろくない」でした(笑)

ブログを薦めてみたものの・・・

なかなか次の記事が書けないので少しコーヒーブレイク的な記事を・・・。



完全に誰が見に来るかわからないブログとまではいかないもの、結構不特定多数に読んでもらう書類を書く僕の仕事・・・。



ある日、女子社員と文章を作ることについて話をしていました。その女子社員の作る文章は・・・どうも冷たい・・・勿論、言うべきこと・伝えるべきことが不足しているということはありません。・・・が、何か冷たい・・・。



「なんだろうなぁ・・・語句の順番・・・いや、もうちょっと言葉をつけた方がいいのかなぁ~・・・。」



こんなことを呟きながらその子の書類を眺めていました。「どうやったら、文章、上手になりますかねぇ~。冷たいとかよくわからないんですよ・・・。」と女子社員・・・。




思わず「ブログやってみたら?」と・・・。




会社の肩書きもなく、思ったことを書く・・・見る人は、取引先どころか全くわからない人達・・・おかしなことを書いたらツッコミも入るかも知れません。それよりも何よりも読み手を意識して書くことはとても大事なことかと・・・。案外、観た映画のあらすじや、その日に起こった出来事をわかりやすく正確に書くことですら、難しいですしね・・・。


(まぁ、本当の書き手・・・特に無から有を生み出すような書き手は読み手を意識せず己からあふれ出す感情を書き殴ればよいのでしょうが・・・笑)



「別に『今日は上司にこんな小言を言われた!ムカツク!』でもいいんだよ(笑)・・・といっても、そういうブログやってることは・・・俺には内緒ね(笑)それ・・・見たら・・・俺、きっと泣く(笑)あ、あと・・・守秘義務だけは気をつけてね。」




その女子社員・・・果たしてブログをやっているのでしょうか・・・。ふと、どこかのリンクから、「うん?これは・・・まるで自分のことを言われているみたいだ。」などというブログが出てきたら・・・などと思ってしまう今日この頃です。

良い悪い、と解決するエネルギーの違い・・・

少々、反省してます。先程のコメント。



「ひっそりと・・・」シリーズで、転載機能著作権法の観点から見直す作業をしていた関係で、どうしても実際に発生した事例を参考としてしまっていました。


著作権法という法律に照らし合わせるとどういった解釈になるのか?という考え方から始まっていますので、現実に活字となっている各種の規約・ヘルプ、そして、現実に機能として存在するもの・・・だけをもって法律に当てはめる作業です。


そして・・・僕が現時点、転載機能に関して出した結論は危険であり、撤廃した方がよい、というものです。



しかし、当然、ユーザーの立場としては転載機能は素晴らしい、使ったっていいという方もいらっしゃいます。そして、悪意でもって被転載者の意図しない転載をした転載者が悪い、という主張もされます。



ここで、この記事の題名です・・・「良い悪い、と解決するエネルギーは違う」という点・・・。



例えば自動車事故・・・こちらは交通法規を遵守して走っていて、悪意あるドライバーにぶつけられることもあります。こちらは悪くないのですからそういったことを主張します。悪くない訳ですから・・・事故処理は当然速やかにすまされると予想・・・ところが、時々とんでもない主張をする人もいます。そのおかげで処理が長引くこともあるでしょう・・・。

例えば建物の賃貸借・・・契約上、解約の際は○ヶ月前に通知するという旨・・・ところが直前になって解約を申し出る賃借人が・・・「いや、契約は・・・だから」といっても納得しません。さて・・・どうしたもんでしょう・・・。


様々な契約書には「甲乙双方ともに誠実に協議し、解決するものとする」とあるにも関わらず、万が一争いになった場合は・・・誠実どころか双方が双方の権利を主張します・・・。「○○法という法律上、あなたの行為は△△だ!」と主張しても・・・オッケーば場合もあればそうでない場合もある訳です。


最終的に、「法律上・・・是か非か?」の判断にいくためには・・・いくところまでいくしかない訳です。(こういう書き方をすると・・・では何をやってもいいのか?と思われるかも知れませんが全く違います。やっぱりやってはいけないことはやってはいけません!・・・著作権法に関する解説をするサイトさんは、きっとこういう点・・・非常に苦労しているかと思います。)



僕が言いたいのは・・・自分が悪くなく、相手が悪いのに・・・問題を解決するという点で、非常にエネルギーを要する。そういった点を見逃してはならないということなのです。「悪いのは相手だ。だから削除すればよい。」だけで解決するのなら・・・世の中の紛争はおそらく・・・かなりの率で減少すると思います。



「では、こうして転載機能を解釈づけしても意味がないじゃないか?」



こんな意見も出るかも知れませんね・・・。



違うのです。



「良い悪い」と断じる次元ではなく・・・嫌な転載をされた時・・・解決するエネルギーが大変だと言いたい・・・それを「ひっそりと・・・」シリーズという解釈をしている時点・・・いわば机上で議論している段階で、「あぁ、知らずに転載をされて、相手に対してお願いして削除してもらうなんてエネルギー・・・使いたくない」ということを理解する・・・そういうことなのです。



これはきっと、今までずっと冷静に転載機能について語られてきた方々の共通認識ではないかと想像しています。最初から転載機能を否定とし、そのための材料を探しているのではなく、あくまで今の機能を検証した結果、否定という答えになったのだと思います。そして、その否定という答えを出す過程の中にはいざトラブルに見舞われた時には、良い悪いで簡単には解決しないということを要素として入れているのではないかと思います。




ふぅ・・・。「記事を軽く扱う」「黙示の許諾とは?」「Yahoo!への意見書」・・・あと何が残っていたかな?書き上げたいことがまだまだあります・・・。まだ、ちょっと時間がかかります(涙)(最近・・・記事を投稿するまでに物凄く時間をかけてしまうようになってしまいました・・・涙)



実は・・・リアルの世界で「私は悪くないハズだ!FDさんの言うとおり○○法にも適合しているハズなのに!」と言う方がいて・・・でも、その相手がゴネて・・・余計なエネルギーを消耗している姿を・・・転載機能に重ねてしまっていたのでした。(ちょっと・・・大袈裟かな・・・。)

「あ、そうなんだ。じゃあ・・・」となることは、善意転載記事転載の時と同じになるのでは・・・

オレ発:ヤフーブログ情報局の阿風さんが・・・

著作権を主張するのなら・・・に関する一考察

・・・という記事を書かれました。この中で、少々気になった点がありずっと考えていました。その詳細は今、文章を考えていますが、その記事の完成を待ってては事態が動いてしまいますので取り急ぎ心配している点だけを記事にします。


それなりの法的機関に、それなりの対価を支払って調査した結果を阿風さんは書かれています・・・


それなりの法的機関、というと皆さん色々と連想されると思います。そして、そこから出た回答には大きな影響力がある・・・いわば権威的なものですね。



しかし・・・忘れてはならないのは・・・一つの見解であり、決定された判断ではないということです。



「私はこう思う」「僕はこう思う」という考えを自身の記事で展開・・・いわば軸が一つであるのと違い、転載機能というのは転載するにせよ転載されるにせよ二人のブロガー・・・二つの軸が存在する行為です。だからこそ、転載されても仕方ないという考えは議論の中では展開されても、実行していい、ということではないと思います。そして議論の中でそういった危険性が予見できるからこそ、「転載は不可にしよう」と僕は感じています。「悪意で転載した人が悪い」となったって、転載された側の怒りや悲しみが発生しない訳ではありません。「善い悪い」の問題ではなく、「不要な怒りや悲しみを発生させる要素を高める必要はない」という意味です。



「いやいやFD、そんなことはしないよ。大丈夫だって♪へんなことするなんて、ないよ♪」



それなら安心です・・・が、実際、道義的に「???」と思う転載も過去にされています。



いじめ問題に関する善意転載の際、Yahoo!ブロガーのネットリテラシーが話題になりました。「あぁ、こういう機関が言っているのからいいのかな」と安易に鵜呑みにしてしまうこと・・・こういった判断基準は、よくないのでは?というものだったかと思います。



今回、そういった行為の二の舞にはならぬよう・・・。またネットリテラシーが・・・とならぬよう・・・。安易に行動せぬよう・・・。記事に挙げられた阿風さんもそういった行為の引き金になることを意図していないと思いますしね。




詳細はこの次の記事で述べます。取り急ぎ、上で述べた点、どうかご留意ください。



※「ほら、FDもそういうこと言ってる。見解や解釈は一つじゃないんだ」などと、逆に転載可を維持・推奨するエクスキューズにも活用はしないでくださいね。あくまで僕は現状の転載機能は、よくないと思ってますから(笑)(←こういう記述をしなくてはならない、ということが、僕にとっては問題であり、次の記事を書くうえで大変なことだと感じています)






黙示の許諾の勉強をする間に・・・妄想してしまいました。

これこそ、転載する側が礼をつくした転載では!と、とあるおバカな妄想をしてしまいました。



原作者が記事を書き、投稿する。当然、転載不可です。
→当然、悪意のある転載者を防ぐため


「ためになりますっ!転載させてくださいっ!」と思った人は、メールフォームか何かから礼をつくしてお願いする。
→頼みにきた相手のブログがどういったものなのか?うわべだけの礼かどうか?などなど・・・そして、フリーメールとはいえども、記事をくださいとくる以上、欲しい人にも何かしらの負担をさせるため。記事内に問題が発生した場合などの削除や訂正要請にも応えてもらえるかどうかの確認も必要?


転載をしてもよいかどうかを決定したら、メモ帳に保存していたソースをその相手のメールに送る。
(当然、「この記事は転載記事です。転載元は○○・・・」等のバナーつき)
(「この記事内の画像等を無断使用した場合は、○○までご連絡を」などもいいかも)
(当然、転載する人はそのソースを使って投稿する時は転載不可!
→先程のメールフォームはここでも必要


転載された側は「いつ・だれに・なんの記事を転載許可したか?」がデータとして管理
→削除や訂正要請のためにも活用できる。




書いてて思いました・・・これ・・・明示の許諾じゃないですかっ。




でも・・・文責を負う原作者・・・書いた内容に責任を持つ・書いた内容と矛盾したことをしない・・・そんな重たい責任を持っており・・・且つ文章の構成から画像の処理など手間もかけ・・・でもその向こうに何かしらの充実感がある・・・その何かしらの充実感を求めるために時間をかける原作者・・・そういった原作者に対し・・・。




「転載させてくださいっ」




の一言で、ボタンが押されるよりも・・・ある程度、手間をかけても欲しいという人・・・きっとそんな人は自分の記事も大事にしてくれる・・・そういった人に転載させてあげてもいいのでは・・・などと思ってしまったのでした。




以前、「転載機能の良い点」を募って、まだ宿題のまま放置してあります。その点について、僕は「転載する側のメリット」ではなく「転載される側=作者」の側でメリットはないのかなと今、考えているところです。(黙示の許諾とは別に)

長文になりましたので、記事化します。

前の記事でのOYAJIさんからコメントを頂戴しました。それに対して返事を書いていたのですが、あまりに長文に・・・(笑)僕の悪い癖です。FC2はかなりの長文がコメントに入れることが可能で、どうもそれにあぐらをかいてしまっています。Yahoo!ブログでしたら連投コメントですものね(笑)

参考・・・
OYAJIさんのコメント


(以後、読まれる方は、この記事の上部にOYAJIさんのコメントが存在しているように想像して読んでください)



OYAJIさん こんにちは!

えっと・・・

上でOYAJIさんが書かれた多く・・・それ、僕、既にコメントに先手をうって抑えたつもりなのですが・・・読みきれていらっしゃらなかったかな?

まず・・・「FDさんのような姿勢を貫ける」という褒め言葉はありがたく頂いておきますが、結局はそれ以後の文章で僕のその考えを全て否定していらっしゃる(笑)「そんなことないですよ」という言葉が瞬時に返ってきそうですが・・・OYAJIさんの行動の重箱の隅をつつかないで、あくまで正論で堂々と僕はOYAJIさんにぶつけており、その殆どを「違う」と返している点がそれを物語っていますよ。

今回のOYAJIさんのコメントで、まず転載機能を語る上で題材にするべきでないのが「改善要望を提案している点」です。これって、現状の機能を語る上で関係はないと思いますよ。提案をしているから偉いとか、今の仕様で転載機能を使っていいとか、その人の意見が正しいものとなるということでもありません。今、僕はYahoo!法務部に内容証明で嘆願書を出す予定でいますが、これをしたから僕は偉い人ですか?僕の考えは正しいものですか?違いますよね?

モラルの崩壊に関しては・・・これもOYAJIさんの悪い癖というか・・・以前、僕はOYAJIさんに「大きなテーマに頼るべきか」という名前の記事を作成しました(世には出ていません)。善意の転載の時もそうですが、OYAJIさんは物凄く大きなテーマを掲げ「だから・・・」と自身の行為の正当性を補助する材料に使う習性があるようですね。

勿論、モラルの崩壊に関しては、それは大いに語るべき問題です。しかし、モラルの崩壊そのものを考えの正当性の是非のための錦の御旗にしてはいけないです。あくまでその人の考え・アイデアが、後から「あぁ、この人の考えやアイデアは本当にモラルの崩壊に関して考えられたものだな」と周囲が認めるものです。OYAJIさんは、自身のモラルの崩壊に対する憂いの熱の高さを自身の考えの正当性に持ってきてしまっていますよ。


それから、これもOYAJIさんがよく使われる反論手法の

Yahoo!ブロガーさんの多くが「安易さという特徴を非常に持っている」のだったら安易さをなくすように注意していけば良いだけの話です。

というもの・・・「ご自身がHow to ブログを作ればよい話」とか「ご自身がYahoo!ブログを作ればよい話」・・・または「ご自身がいじめ問題に取り組めばよい話」・・・これも正直、頂けませんね(涙)

以前からOYAJIさんのこの言論、すごく不思議に感じていました。こうして僕自身も色々と記事に書いてます。転載機能に関しても、安易に飛びつかず、気をつけないと・・・むしろ、使わない方がいいという記事を書いてます。そして、OYAJIさんにもTBしてます。

・・・これって、OYAJIさんの仰る「安易さをなくすように注意」じゃないですかね?

OYAJIさんのこの発言って、何を意図したものなのでしょうか?「自分は自分の道を行きなさい。そして、意見が合わなくてもお互いに指摘し合わなくてもいい。」という意味?その反面、「意見交換は非常に大事ですし、いつも私は聞く耳を持っています」的発言もあります。


僕の活動は・・・不足ですかね?活動とは呼べないものですかね?Yahoo!ブログをメインにしてないから?FC2ブログには人気度という指標がないから?ファンの数が明確ではないから?逆に、もし・・・僕がそれらの項目でOYAJIさんを凌駕するような数値をはじきだしていたら?そして、その状態において今と同様の意見をOYAJIさんに発していたら・・・?そんな訳の分からない肩書きで、OYAJIさんのポリシーはぶれませんよね?


こうした不思議な発言の数々・・・ちょっと考え直した方がいいっすよ。反論に使う材料を物凄く間違えていらっしゃいますよ。


そして、転載記事のトレースの件ですが・・・僕は記事の本文でOYAJIさんだけを対象にあの記述をしている訳ではありません。ただ、僕の記事を読んだ立場としてOYAJIさんが先のコメントで書かれたのはわかります。僕も読み手としては他人の記事を読む時、自分のこととして読みますし。

そして、OYAJIさんの先のコメントに対して僕は、一般的なブロガーさんの事情を踏まえ、そういった中で広がり続ける転載記事の管理をトレースするのは難しいとしました。

僕は、どこにも「トレースすることは悪い」などとは書いていません。そういった大変な労力をかけてしまう危険を冒す必要はどこにあるの?と言いたいのです。


「そんな危険なんて、ないよ」とお思いかも知れません。それもある意味「安易さ」の一つではないかと思います。OYAJIさんもご自身で記述されているように、人は間違います。僕だってそうです。自身の庭にある状態なら、その間違いに気付いた時、すぐ軌道修正ができます。しかし・・・転載記事は・・・どうなのでしょう?


非難するべきでない、批判もしない方が良い、に関してですが・・・過去に僕はOYAJIさんに対して非難もしていますし、批判もしています。今のところ、表立って僕に対して「FD、それは違うぞ!」とは言われてはいませんが、いつかきっとそういった風が起きることもあるだろうと覚悟しています。

OYAJIさん・・・でもね、それを言い出したら、評論記事は何も書けませんよ(笑)OYAJIさんが書かれている食べ物に関する記事にしたって、「おいしい」という評価しか書けません。それって提灯記事じゃないですか(笑)「全体的にはおいしいが、○○の部分は頂けなかった。」とか「食事はよかったのだが、店員の対応には憤慨した」などという記事だって書けません。OYAJIさんの、例の教員に対する怒りの記事だって書けないっすよ。


誰だって、自分の出した作品に対してケチがついたらおもしろくないです。それは僕だって同じです。でも、それをおそれてたら何もできやしない。自分の脳内で済ませるだけ・・・若しくは本当にイエスマンだけを周囲におくしかない。でも、ブログではそんなことはできない。


批判や非難に対して、言葉を選ぶ・技術を磨くということと、批判や非難をしないということは全く別の話です。OYAJIさんは、僕の意見に対しては大きく噛みつかれはしないし、またお褒めの言葉もくださる。でもね、僕が言ってることは言葉は違えど、他の方々と大差ないのですよ。個人名を出してよいかわかりませんが、阿風さんやえっけんさんと変わりがないのです。ただ、直線的じゃないだけです。(だからこそ、僕は痛快なブログができないし、自分を偽善・臆病と思っているのですが)


「じゃあ、皆が皆、そういった能力を磨いて・・・」という反論も出てきそうですね。それはOYAJIさん、OYAJIさんにも言えることです。前述の「大きなテーマに・・・」ともリンクしますが、OYAJIさんは物凄く大きなテーマを掲げていらっしゃる割には、反論意見が出た後の対応は物凄く大きなテーマと矛盾した発言をしていらっしゃる。誹謗や中傷ともとれる言葉は活用しないまでも、その行動や使われる言葉は「売られた喧嘩は買うぜ!」的な粗暴なものです。使われる言葉は丁寧なものですが、とても本来その言葉が持つ丁寧なイメージとはかけ離れた雰囲気になっています。

OYAJIさんは、まだまだ単語として存在する言葉の意味だけを理解していて、その単語が文章として連なった時、化学反応で本来の意味を凌駕するマイナスイメージ(OYAJIさんが過去に言うところのマイナスのストローク)となることを理解していないのではないかと思います。(・・・といっても、僕自身が別に達人ということではありません。)



最後にもう一点・・・「危険性がにじみでているか」という点ですが、書き手のOYAJIさんはそういう意図があっても、どうしても読み手の僕の立場からするとそれは理解できません。これは立ち位置の違いなどではありません。転載機能にメリットを感じていないから斜めに見ている訳ではありません。「それでも転載機能を使う」という姿勢と、危険性を示した記述との大きな乖離・・・僕は「危険性を示した記事」と「転載を推奨する記事」を分けて眺めて、そして、最後にOYAJIさんのブログ全体の空気として眺めます。確かに「危険性を示した記事」だけを切り取ると、OYAJIさんの仰るとおりかも知れませんが、最後の段階、ブログ全体でみるとその危険性を示した部分が打ち消される・・・それではダメじゃないかなと思ってしまう訳です。


逆の立場で考えて想像してみてください。


この【FDの考え】がYahoo!ブログで展開されています。著作権法に関する記述をしています。そして、転載機能に関しての危険性が記されました。・・・でも、転載ボタンは存在している。


・・・すごく違和感を感じませんか?更に、一言でも僕が「転載する時は・・・」的記述でもしていたら・・・。



一気に僕の記述した考え・・・提唱した危険性は・・・くすむと思いますよ。



水域は・・・どこにあるのか?

デフォルトで「可」になっている時点で、そして、そのまま投稿した時点で Yahoo!ブロガーは「誰に転載されるかわかったものじゃない」状態に陥ります。



僕はもう何度も転載機能について記事を書きました。そして、場合によって転載を推奨する立場のブロガーさんに記事をTBしたりしています。



「だったら、全ての転載可にしているブロガーにTBしてよ」



・・・などという反論が返ってきそうです・・・。(こういう反論自体、ナンセンスではあるのですが・・・)




少し、自分の心情を振り返ってみました。




色々な転載にからむやりとりを見ていて・・・自分が「むむむっ、記事を書こう!」という水域・・・。





「転載可になんかするんじゃなかった・・・。知らなかった・・・(涙)」





・・・が、判断基準かなと感じました。




冒頭で示したとおり、知らずに記事を投稿した時点で誰に転載されるかわからない状態に陥ります。そして、どんな転載がされるかわかったもんじゃありません。


もう機能としての転載機能は記事に書いてます。その上で感じた転載機能は「包丁のたとえ」の「包丁」ではありません。(既にこれも記事として準備してあります。)以前、僕は転載機能を「Yahoo!ブロガーだけが持っているコピーカードで、道路にでんとおかれたコピー機によってコピーされる」と称しました。


別記事でも触れると思いますが、「調理道具が本当の目的(使途)」の「包丁」・・・違った目的で使うと危険な道具と化す・・・。転載機能の「目的(使途)」ってなんでしょう?更に危険な道具を親身に教え、使えるように指導すればという点についても・・・いわば「教える側」と「教わる側」の距離感が近いものを、ブロガー間にあてはめることができるのでしょうか?更に「ナイフや包丁は危険だから、しっかりとした使い方を覚えましょうね♪」と教える側が主導権を取れる包丁の指導と比べ、転載機能はあまりに転載者側に選択主導権がつき過ぎている、という理由が主なものです。



そういった距離感が希薄な状態において、更には主導権が転載者側に大いに与えられ・・・被転載者側としての心のよりどころは「転載する人の良心に頼る」以外にない状態・・・そんな機能って一体・・・です。


ファン専用記事で明かした自分の顔写真が転載されたり、著作権法上問題があるものが転載されたり、また法律上は問題がなくても内容上不適切な記事が転載されたり・・・。全てが「転載者次第」です。



また、転載された先で自分が意図しない展開に拡がってしまうこともあるでしょう・・・。そして後から自らの記事の間違いに気付くこともあるでしょう・・・。




その意図しない展開に拡がった際、後から自らの記事の間違いに気付いた際、きっとその知らずに記事を転載可にしていた人は、とある分岐点に立つと思います。



「転載させてしまった記事をどう処理するか?」



そして・・・



「今後も転載可とするか?」



・・・です。



そこで先程の「転載可になんか、するんじゃなかった・・・」です。




人は過ちに気付いた時、その次の行動が重要と思います。



「転載可になんか、するんじゃなかった・・・」と思い、必死に問題の記事を回収(という表現が適切かわかりませんが)しようとする人に対して追い討ちをかけることはしたくない・・・。



これは、「転載してください!お願いします!」でも同様の要素があるかもしれません。



転載してください!とお願いした点に関しては、まったく知らずに普通に記事を投稿した人よりも「自分の記事を積極的に広めようとした」という点において責められるべき要素は増すでしょう・・・。



しかし、「しまった!自分が広めようとしたコトには、問題があった!」と気付き、必死にそれを改善しようとしている人に対して・・・溝に落ちた犬を叩くがごとく追い立てるのは・・・自分にはできません。その記事が自分に直接影響のあるものでしたら別ですが・・・。




「転載してください!」と推奨している行為が責められるべき要素を増すとして・・・「じゃあ、転載してください!と推奨している全ブロガーにTBすれば?」などという、これまたナンセンスな意見については・・・。




これはあくまで僕の基準ですから他の方々はわかりませんが・・・。




「転載してください!」と推奨していたブロガーさんが、何らかの事情(提言や忠告、若しくは自発的に気付いた等)で自らの記事の内容に問題があると気付いてもなお・・・転載機能を推奨している時・・・。または自らの転載推奨によって大きな問題が発生しつつも、それでもなお・・・転載機能を推奨している時・・・。




・・・そんな時にTBをうつかなと思います。




どんな理由で転載機能を使って記事を広めようとしているのか、もちろん事例によって違うのでしょうが・・・僕にはわかりません。




ただ・・・これは小学生だろうが老人だろうが・・・関係なく・・・(まさしくこの関係ない、がブログの醍醐味かと思うのですが)・・・記事を広めようとした責任・・・というものがあるかと思います。そして、この責任というものは、少々厳しい言い方ですが、小学生だろうが老人だろうが関係ないとも思っています。(あくまで責任という点においての話です。自身の背景を述べるなという意味ではありません。)




広めに広めて・・・広めるだけ広めておいて・・・イザとなったら・・・これは・・・人としてみていて・・・です。そんな時は、何かしらの記事を書くかなと想像します。



善意による頒布目的にせよ、ブログの人気度獲得にせよ、記事が広まることを意図しているのであれば・・・その広まったことに対する目的達成の達成感を味わう権利だけでなく、その広まることによる責任も・・・人として考えて欲しいものです。


以前にも述べましたが、僕は正直に言って、著作権よりも文責を大事にします。もっと端的に言えば、「自分がしたこと(言ったこと)に対して責任を持つ」です。どこかで「転載によって著作権放棄したら、文責はどうなるの?」などというコメントを見た時、驚きました(笑)




自分が書いた内容・・・表現も含めて・・・そして、その書いた内容以後の・・・自分の行動・・・そういったものが大事かなと・・・。そして、その両者が相反するものであった場合・・・転載機能によってそれが生じた場合・・・僕はTBをうつことを考えるのかなと・・・。



そんな風に思ったのでした。




・・・といっても・・・自分自身を聖人君子・完璧・完全無欠とは思っていない・・・だからこそ・・・ハマーン・カーンのような論調はできないし、痛快なブログは書けないのでしょうねぇ(笑)





やれやれなブログです(笑)

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書けないこともあります・・・気持ちとは裏腹に・・・。

新年の挨拶記事からずっとほったらかしのこの【FDの考え】・・・



ノートPCのデスクトップに置いてある記事予備軍・・・10個を数えました・・・。




しかし・・・世に出せない・・・何か・・・何かわかりませんが出せない・・・。




書きたいこと、述べたいことは沢山あるのだけれども・・・最後のヒト押しが・・・ない・・・。





こんなこと・・・あるのですねぇ~。





転載記事に関する事柄は、実際に発生している問題も含めて沢山あります・・・。他のブロガーさんのトコでも「記事にしますが」とまで言ってるのに・・・。




う~む・・・少々、ブログでの論争とリアルでの仕事が重なってきてしまったからでしょうか・・・。




少々、「冬眠状態」の【FDの考え】・・・です。




(でも、しっかりROMはさせてもらってます)

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あけましておめでとうございます!

皆様、あけましておめでとうございます!



お正月はいかがお過ごしですか?僕は京都への初詣・・・そして、まったりと過ごしています。




PCの前からしばし離れて・・・思索に耽る・・・




また数日後には、せわしい毎日が待っています(笑)



今年も一年、皆様、宜しくお願い致します!

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多くを学んだ一年でした・・・

この【FDの考え】というブログ・・・集客やアフィリエイトという目的は一切排除し、色々な考えを表明し、また教えてもらう目的のために存在しています。



色々な方々から色々な考えを教わりました。また、自分には書けないような表現方法・・・視点など、嫉妬・・・悔しいという思いもしました。



そんな中、著作権法という、今までの自分にはない引き出しを作るキッカケにもなりました。やっぱり僕は自分自身が(リアルで)所属しているこの業界が好きだなと実感・・・自分の中には存在していなかった新たな法律に・・・今もなお、くいついています(笑)




一方で、「やれやれ・・・いくら表現をかえて伝えても、伝わらないか・・・」と思うような事も・・・。以前の記事から何度も挙げていますが、僕は自分の考えが相手に伝わらないのは、まず自身の能力を責めよと思っています・・・ですから、自分の能力の低さを感じた一年でもありました。




さて・・・もう明日は来年・・・突発的な事象がない限り、普通に寝たら新年です。





来年は・・・前述の著作権法から・・・もう少し引き出しを広げたいなと思っています。受けても何の飯のタネにならないような検定にも挑戦したいし・・・(実は資格・検定マニアだったりして・・・笑)





最後に、色々なキッカケで知り合った皆様・・・皆様との出会い・・・画面を通じてのものですが、本当にありがたいものと思っています。ROM者で滅多に皆様のブログでは発言しない僕ですが、ブログをお持ちの皆様の記事は殆ど読ませてもらっていますし、これからも触発されてTBもうちます。




来年も、この【FDの考え】・・・痛快なブログにはなれない、やわらかブログですが、できる限り記事を投稿していきますので、遊びにきてやってください。




宜しくお願い致します。

テーマ:今年最後のご挨拶。 - ジャンル:日記

声なき声を大事にしたい・・・

僕の仕事は企業や個人事業主だけが取引先ではありません。一般の市民が集まった集団・・・任意団体のようなもの・・・が取引先としてあります。




そういった集団・・・属する者同士というものは本来、公平であるハズなのですが、やはり個人個人によって差が生じてきます。




例えば、いわゆる「声の大きい人」・・・その人の意見に対して異論を唱えようものなら、指を指しながら「あなたの意見ですがっ!○○な点が△△で、□が×になって・・・」と、まさしく物理的に大きな声で、更にまくしたてる・・・異論を唱えた人の全てが理論武装されている訳ではありません。なかには「詳しくはよくわからないけど、素人だけど違和感を感じる」という理由で異論を発する場合だってあります。



この場合の「声の大きい人」・・・仰る意見には正論も当然あります。しかし・・・いかんせんやり方がまずい・・・。今、記事として準備していますが、「白と黒の間の世界」というか・・・教科書のように正論だけで通じない部分・・・正論と正論がぶつかった場合の中間地点の定め方など・・・正論という鎧をまとうものの、実戦慣れせず、相手に猪突猛進する将校あがりの隊長さんのような感じ・・・。その団体の活動に対し熱心であることが、逆に災いしてしまっているのですね。




そういった場に赴いた場合、僕は・・・逆に言えば「声なき声をかかえている人」に注目します。「声の大きい人」の対極に位置する人です。今まで言いたいことが沢山あったのに、「声の大きい人」に気圧されて・・・または「声の大きい人」にたたみかけられるのが怖くて黙っている人です。



勿論、「声の大きい人」にも配慮します。元々、よかれと思って行動されていらっしゃる訳ですから・・・。



何パターンか、「声なき声をかかえている人」が仰りたいようなパターンを僕と「声の大きい人」との間でやりとりします。会話の最中・・・大抵、僕の意見に賛成される「声なき声をかかえている人」は、「ウンウン」とうなずいたりします。


時に「声の大きい人」と激論になる場合もあります。しかし、別に喧嘩をしている訳でもありませんし、知識合戦になればなるほどこちらの立場の方が有利・・・。




すると、大抵・・・突然、「声なき声をかかえている人」が発言をします。




本当に勇気を振り絞っていらっしゃるんだよな・・・と思うのが、発言をしようとする際、テーブルの下の手がハンカチをギュッと握り締め震えているから・・・。



「声の大きい人」は、まず、思わぬ発言にビックリします。そして、いつものように論破しようとたたみかけます。しかし、いつもと勝手が違って「声なき声をかかえている人」の意見には僕がやんわりと援護射撃・・・。




会社のような組織では、上の者の意見は・・・的な部分はあるでしょう。しかし、今の話はあくまで組織を構成する人達はイコール・・・ですから意見については声の大きさとか、権力の大きさとかは全く関係ない・・・その意見が本当に組織全体に資するものであるかどうか?他の皆が納得するものであるかどうか・・・。




時に、年配の男性と、若い主婦が激論を交わすこともあります(笑)そして、時々、本当に喧嘩な・・・全く議論と関係のない要素が持ち込まれそうになることもあります。そんな時は軌道修正・・・。



時に・・・やはり個人個人・・・立場は平等でも悲しいかな・・・話す技術や伝える技術には・・・格差があります。そういった時も、なるべくそういった技術の差で意見が封じられないように軌道修正・・・。





そして時々・・・僕がブチ切れることも・・・(笑)




そして僕は、会議の終わりにいつもいつも・・・謝ります(笑)そして、皆さんもこの場の激論は他の付き合いに持ち込まぬようお願いをします(笑)




最近・・・感じるようになったのは・・・この「声なき声」の方々の意見は・・・的をしっかりとえているということ・・・。ですから、非常に大事にしたい・・・。




そして・・・「声の大きい人」・・・大きく荒げているその声は、必ず誰かの小さな声をかき消しているということ・・・そして、その声の中には、自分が気付かない大きなヒントが隠されているということ・・・です。




ブロガー同士のやりとりにおいても・・・時に「声の大きい人」のようなブロガーが闊歩することがあります。そして、その大きな声の裏側には・・・必ず「声なき声」というものが存在・・・。





そんな「声なき声」を感じ取りながら・・・そして・・・「声なき声」を有する人達が、画面は噛み付かないことを理解し、少しでも発言できたら・・・などと思ったりする今日この頃です・・・。

テーマ:聞いておくれ。 - ジャンル:日記

OYAJIさん、お願いを聞いてもらえますか?

先週末から高熱を出し、拷問ともいえるクリスマスを過ごし・・・役所の仕事納めに各種申請を間に合わすべく集中・・・そのため、満足なROMが出来ていない状態でしたが・・・。



やれやれ・・・泥沼じゃないっすか(涙)



ちょっと前・・・正直に言って本気で徹底的にOYAJIさんに対して取り組もうと思っていました。完全仕事モードでしたよ。



でも、やめました。




私の対応姿勢については、反省するべき点も多く教えて頂きましたのでそれについては「危険予見」も含めてもっともっと考えて行きたいと思います。その件の丁寧なアドバイスについては心より感謝申し上げます。
(【FDの考え】内「閑話休題・・・意見・・・聞かせて欲しい・・・」部分OYAJIさんコメントより)




それより前にもらっていたOYAJIさんの内緒コメントは、正直に言って「自分は悪くない・何故自分ばかり?」の色が非常に濃いものでした・・・が、僕は上の引用部分を、最後にOYAJIさんが入れられたので・・・おしとどめました。




ところが・・・あまり変化の兆しが・・・ない(涙)




児島の仙人さんの転載記事の件に関しては、OYAJIさんの怒りの部分・・・分からなくもないです・・・(もう、これは記事として8割できていますので近日中に投稿します)。



しかし、OYAJIさん、いわゆるOYAJIさんに対して反論ないし異論を唱える者を全て同列でとらえるモード・・・いわゆるOYAJIさんの悪い状態・・・に陥っているような気がしますよ。




OYAJIさん、人の考えは十人十色、立ち位置の違いや価値観の違いによって勿論違いがあるのはわかるのですが・・・こうも様々な箇所から同様の反論が出る事実は・・・しっかりと向き合った方がいいっす。




OYAJIさん・・・冒頭で僕は僕個人の判断で徹底的にやるモードになりそうになったという話をしました。今・・・逆に今度はどんどん周囲がそんな雰囲気になりつつあります。それぞれがOYAJIさんの言質をチェックし、矛盾をあぶりだし、ぶつけてくるでしょう。



十人十色な考え方が、一つの方向性を示した時・・・そして、この一ヶ月以上のやりとりで僕が痛感した点・・・ブログ間の議論が泥沼になった場合、落としどころがないという点・・・この点を考えると・・・示された方向性はどうなっていくのか・・・?



「僕個人で完全徹底・仕事モード」の際に考えた決着・・・それを想像したのも、やめた理由の一つです。



仕事で受けた場合、争いには必ずどこかで決着がつきます・・・こちらの要望が完全に受け入れられる場合もあれば、半分半分という場合もあります・・・時にはまさしく「肉を斬らせて骨を断つ」場合も・・・。


僕は、個人の判断でいけましたから止められました・・・が、これが集団になった場合・・・わかりません(涙)歯止めがきかないからです。





とりあえずOYAJIさん、2~3点、頼みを聞いちゃくれませんか?


お願い その1
しばらく記事の転載は控える。また、極力、自身の記事も転載不可とする。

今になってOYAJIさんの転載機能に関する考え方を・・・などとは思っていません。ただ、今のOYAJIさんは何をやっても裏目に出る状態になってます。


お願い その2
日常記事の投稿に関する自身の「Go サインハードル」と反論記事や意見記事の投稿に関する自身の「Go サインハードル」の高さをかえる。その差はかなり違うもの・・・後者に関してはおそらくいつものOYAJIさんからして「う~む、ちょっと心配しすぎじゃないのかな?」くらいなハードル。


お願い その3
「揚げ足取り」と「堂々とぶつかってくる反論」との違いを理解する。その違いを理解するためには・・・相手の発言を読む・・・読む・・・読む・・・PCの画面に穴が開くくらい・・・読む。




このお願いだけ留意して頂ければ、目玉焼きの記事を書こうがなんだろうがよいと思います。特にこれからは年末年始・・・イベント週間です。普通の記事を書くこともあるでしょう・・・いいですか、イチイチ揚げ足を取ってくる方と、論理的に反論してくる方を、絶対に同列で見ない・・・ROMしてれば、その二種類・・・容易にわかりますよ。それをOYAJIさんは全て同列に扱い、同列に対応している・・・だから、沈黙を守るROM者次々とその沈黙を破り、意見してくるのです。



これはお願いです、命令ではありません。PC知識は乏しく、そういった技術のHow toは教えることはできない僕ですが、やわらかなブログの運営に関しては、ちょっとだけわかります。



よろしくお願い致します。



本当にお願いしますよ、OYAJIさん(涙)(OYAJIさんは、あんまり泥沼と思ってない気がするからなぁ~「騒いでるのはあなた達」と、また言いそうです・・・あ!くれぐれも、この記事へのレスでそんなこと、書かないように!笑 思ったことを正直に書くことばかりが誠実というものではありませんからね。)



また年末年始・・・じっくりとやわらか言葉で各種の意見記事、出しますから・・・(出せるかな?)・・・よろしくです。



最後に追伸・・・とある方へのメッセージです。(これはOYAJIさんあてのものではありません)


良き師匠は、良き弟子を育てます・・・。そして、良き弟子が、良き師匠を育てます・・・。師匠の姿は、弟子が育てたものといってもよいかもしれません。弟子は師匠の姿に、己の・・・弟子としてのあり方を省みる材料となりえます。師匠の恥は弟子の恥、弟子の恥は師匠の恥と思うべき・・・。


一緒に独立した仲間・・・組織上は僕の上の、尊敬すべき友人が、どこからか引用してきた話です。「自分は組織のトップとして、お前(僕)に『あなたの社長ってさ・・・』と言われる訳にはいかん。そして、常にお前(僕)を注意できるよう模範を示せていないといかん。FDよ、俺が独善的な時は必ず言うように・・・。そして、お前は逆に自分の部下に対しては、常に模範を示せ。部下からの苦言には必ず耳を貸せ。そして場合によっては躊躇なく頭を下げろ。もっとも、頭を下げる機会がないように常に模範を示せばよいのだがな。」と言われています。


「FD、お前が俺のもとから離れる時は俺に魅力がなかった。そして、お前の部下がお前から離れる時はお前に魅力がなかった。常にそう思っておく。」とも言われました。


答えになっていないかもしれませんが・・・。



以上です。

テーマ:_ノフ○ グッタリ・・・・ - ジャンル:日記

当事者が言う場合と、第三者が言う場合によって大きく雰囲気が変わる言葉・・・

仕事柄・・・これは特に年配やその仕事に関する資格に挑戦している方にその傾向が顕著に表れるのですが・・・時折、知識合戦を挑まれることがあります。



こちらはお客さん(この場合は個人ではなく、法人や任意団体の場合が多いです)の要請を受け、目的を達成すべく臨むのですが、そのお客さんを構成する個々人は千差万別で、その中にそういった方がいらっしゃる訳です。



別に僕に知識合戦に勝ったところで、その資格の試験に合格できる訳でもないし、ましてや独立できる訳でもない(笑)まぁ、おそらくは腕試し的な要素があるのだろうと思ったりもします。



名前が売れれば売れる程・・・おそらくこういった機会は増えていくのでしょうか・・・はたまた、まだまだ僕がそういった挑戦を挑まれる=簡単に叩き伏せられる・・・という雰囲気しか持ちえていないのでしょうか・・・(涙)




ともあれ・・・知識合戦を挑まれる僕の側は大変です(笑)「知らないことは罪ではない」とか「人間、完璧ではないよ」とか「コンピューターみたいに完全に知識を保存など、できません」とか・・・思わず口にしたくなってしまいます。




ところが・・・上で述べたような発言は、その場においては死んでも言えません。相手は僕のことをプロとして見ています・・・。




それよりもなによりも・・・上で述べた発言は、完全なる自己弁護・責任回避や言い訳にしかとられないからです。上で述べた発言を当事者である僕が発した途端、非難噴出です(笑)




仮に・・・お客さんの前で間違ったことを言ってしまったり、してしまった場合は・・・もう、間違いに気付いた時点で即座に謝罪し、被害が発生していた場合は最小限にそれを食い止め、場合によっては賠償を負う・・・しかないと考えています。




逆に・・・友達や仲間が同様の失敗をした場合・・・その人に対しては慰めや励ましの言葉で「しょうがないよ、人間は完璧じゃないよ。知らないことや間違って覚えていることもあるよ。」と使ったりします。そして、この場合、この言葉を使った僕には非難が生じることは少ないです。(当事者じゃないからそんな気軽なこと、言えるんだよ!とは言われる可能性はありますが)



同じ言葉なのに・・・発する主体の状況が違うだけで・・・これほどその人の格を変えてしまう・・・言葉というものは、おそろしいものです。



僕は以前の記事で、言葉を綴ったり発したりするのは技術であり、鍛えればどんどん良くなるということを書いたことがありますが、こういった立場・状況で保有している語彙・表現を使わないこと、そしてその判断も大事だなぁと思います。





色々なブログを見ていて・・・僕が見苦しいと感じる一つが、こういった光景です。




その行為をしている当事者が、自分を庇う書き込みをしてしまっていること・・・(なんで周囲の人がそれを言わないのかな?と思ってしまいます・・・。)




あぁ・・・見苦しい・・・。




「知らないことだらけだよ。気にしない気にしない。今回のコトで覚えていけばいいのだから・・・。」は、間違いに気付き、過ちに気付き、それに対して一生懸命に対応する姿を見て周囲が言うこと・・・。それを自らが言うとは・・・。




「それは私が(ブログに関して)プロじゃないから・・・」などと言われるかもしれません。





・・・それって・・・プロもアマも関係・・・ないでしょう?(笑)「人として・・・どうなの?」という問題じゃない?(笑)





そんな大人にはなりたくないな・・・と思ってしまったのでした・・・。(もう、実年齢的には十分な大人なのですが・・・笑)

テーマ:ひとりごと - ジャンル:日記

つぶやき・・・

いつも、僕は調べ物をする際、複数箇所・・・できることなら、意見の色合いが違う箇所を調べるようこころがけています。これは書籍・ネットに限らずです。


特にインターネットの場合、(当然、僕も含めて)個人が自分で調べたことを公開している場合も多いので一箇所だけの事柄をもって判断しないようにしています。そういう点においては、僕の「ひっそりと・・・」シリーズに関しても、もし僕自身が僕じゃなく、このシリーズを読む読者であったら、僕自身の記事のみをもっては判断してないと思います。



調べ物だけでなく、個人間の紛争に関しては尚更です。



第三者の立場になればなるほど・・・その事実が発生してから僕自身が知るまでに時間が経っていれば経っているものほど・・・その是非をコメントする場合は慎重になってしまいます。



ネット間での紛争も同様です・・・。




曖昧模糊な状態では、何も言えない・・・(涙)





・・・といいつつ、こんな曖昧模糊な記事を書いてしまったのでした・・・。

テーマ:ひとりごとのようなもの - ジャンル:日記

異文化交流は、本当に大変です・・・。

唐突なのですが、僕は現在、外国人との交流をしています。



三十路を迎えて一念発起、英語を勉強しよう!と決めた僕は、考えうるあらゆるテを使って今、勤しんでいます。ネット上においてもそういったコトをしています。(このブログとはリンクされていないブログで継続中)


そしてできた友達・・・色々と話が深まります。



しかし・・・本当に本当に・・・自らの能力不足に辟易・・・!



普通に日常会話をする分にはいいんです。反復して体に染み込ませた表現が出ます・・・。しかし・・・話すテーマが深くなればなるほど・・・自らの語彙力・表現力・返しの能力の低さが露呈・・・(涙)



そして、日本語であれば例えば「あ、これはきっと相手に誤解を与える言い回しだから、こう変えよう」とか「この表現はストレート過ぎる。もっと婉曲にしよう」と推敲もできます。



ところが、英語の場合はそうはいかない・・・なにせ、語彙力がない、表現力が乏しい・・・。




「推敲をしようにも、過ちに気づくことができない。そして、気づいたとしても、それに代わる表現の引き出しを持ちえていない」



・・・という訳です。




きっと・・・「FD・・・ひどいこと言うなぁ!」と相手に思わせたこと、多々あると思います(笑)




逆に、日本語を覚え始めた外国人の日本語に傷つくこともあります(笑)僕が英語に関して感じていることを相手も感じている訳です。




更に、文化・風習も違う・・・。時には日本人の美徳とされる謙虚さも、足を引っ張ることも・・・。




異文化交流は・・・本当に難しい・・・(涙)




なぜ、僕がこんな記事を書いたかというと・・・




今回のいじめ記事に関するやりとり・・・ブログ・サービスの違いなのか・・・色々見させて頂いて感じたから・・・。同じ日本人同士、母国語としている日本語でやりとりしているのに、こうも相互の意思が通じないこともあるのかと思ったからでした。



国籍などに限らず・・・異文化交流って・・・難しいんですね・・・。



(ただ、本音としては、あんまり「区分け・ジャンル分け」って好きじゃないんですけどね)

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「私であれば・・・」と、それに当てはまらない場合の許容範囲・・・

楽しむYahoo! ブログの作り方♪のOYAJIさんが・・・

相手へのアドバイスの是非について(sen_nin_kiyamaさんへ)


・・・という記事を書かれました。

きっかけとなっている記事・・・(参考にしてください。以下、この記事において「参考記事」とします)
あなたの善意の転載で自殺予告の子供を救って下さい!!




今回の一連の転載騒動に被せた形ではなく、思うところがありましたので、記事にしてみたいと思います。



まず、前提①・・・


前提① 転載にまつわる騒動は、これがはじめてではないこと

僕はOYAJIさんと、もう幾度となく交流をさせてもらっています。ですから、少なくとも約一年間のOYAJIさんにまつわる騒動を見させて頂いてました。ですから自信を持ってこの前提が書けます。この前提を書いておかないと「いや、こういうパターンははじめてだから・・・」という展開になりそうなので・・・。


さらに、前提②・・・


前提② 過去の転載問題から現在にかけて、様々な危険性が意見としてだされていること

個人的に色々な意見が出るのは自由です。人の脳内まで支配することはブログ記事ではできません。しかし、自分とは異なる意見を、他のブロガーの記事を読み取ることによって「あぁ、こういう意見もあるのだ」とインプットすることは可能です。過去の転載記事問題から、現在に至るまで、転載機能に関する問題点は出尽くされているかと思います。


そして、前提③・・・


前提③ 解釈はどうあれ、転載された記事は自分のフィールドの外に出てしまい、相手のフィールドに入ること

著作権法がどうとか、そういった小難しい解釈は、あくまで概念のやりとりであって、現実問題として転載機能によって転載された記事は「自分のブログ内、自分がコントロールできる範囲内から、他人のブログ内、その他人がコントロールする範囲内に移動してしまい、自分のコントロール範囲から外れるもの」となってしまいます。



これらの前提を踏まえ、今回の記事から感じたことを・思ったことを書きます。




感じた結論①:「危険予見が低い」

毎回毎回・・・騒動が起こる度に僕が感じていたことなのです・・・「OYAJIさんは、自分が選択したアイデア・行動が、周囲にどういった余波を与えるか?また、その選択したアイデアや行動に対して、どんな批判が返ってくるのかを考えてないのかな?」といったものです。


ブログは思ったこと感じたことを綴るツールです。ですから、究極は本人の好きなように書けばいい・・・しかし、脳内で発表されることと違い、記事として投稿した途端、誰もが見ることができる状態となります。


当然、異なる意見や反論が出ます。


「もし、このアイデアが世に出た場合、どういった余波が出るのかな?どういった反論が出るのかな?」


・・・という予測は、あってしかるべきだと思うのですが・・・。その予見をしていらっしゃらないのでしょうか?


今現在、僕が覚えている限りの「僕がOYAJIさんの立場に立った場合における危険予見」は以下の通りでした。


「善意の転載の記事」関連・・・
○ティッカーなどの部分は、「宣伝だ!」と思われるかもしれない・・・
○いつものように、二次転載以降のお願いは、記事内容と矛盾した行為と指摘されるかもしれない・・・
○転載によって拡がってしまった場合、万が一記事に誤りが発覚した場合、大変になるかもしれない・・・
○拡大してしまった記事に関して、悪い展開が発生するかもしれない・・・
○自分が思った善意が、否定されることになるかもしれない・・・
○他の転載記事と同様、二次転載以降へのお願いは、自らの善意を否定されることになるかもしれない・・・


これは危険予見ですから、「良い展開」は省略してあります。更に「善意の是非」、「いじめ問題の是非」や「転載されるメリット」を話している訳ではないのでそれを材料とし反論しないでくださいね。



そして、冒頭で紹介した記事のやりとりです・・・



該当の「善意の転載記事」がどういった意図で転載されたかはわかりません。本当の大元の記事を転載不可に変更したOYAJIさんは、転載された先にいつものようにお願いに行き、アドバイスをされました。


そして、転載をした当人及び周囲の方々から反論を受けました。


その後、OYAJIさんのブログ内で泥沼なコメントのやりとり・・・正直、ここは僕も見てて見苦しいなと感じました。(これはOYAJIさんだけを指していません)




感じた結論②:「アドバイスの範疇を超えている」

過去に僕も記事で示したように「転載元の著作者が後で転載を不可にしても、二次転載をとめられない」ことは周知の事実だと思います。


OYAJIさんはおそらく「自分は著作者だから、転載を不可にしてあっても、自分が転載する分にはいいだろう」という判断で他のブログにあった記事を自分のブログ内に転載してきました。


ここでも危険予見の低さが出ています。「紛争の大元となっている記事を、自分が自分でブログにひっぱってきた場合、どのような展開が予想されるか?」という点です。


やはり、予想どおり、転載されました。


ここで正直に告白しますが、僕も自分が持っているYahoo!ブログに転載をしました。OYAJIさんのとこにあった記事と、他ブログにあった記事の二つです。ちょっとした理由があったので・・・。しかしやめましたがね。


OYAJIさんは、他でもやっているように参考記事に対して「お願い」にあがりました。そのお願いの理由は、ご自身の転載機能に関する解釈が根拠となるものでした。



ここで前提②とからみます。「転載機能に関する解釈は、絶対なものではない」という点です。



「絶対なものではないから、『可能性がありますよ♪』というお願いなのですよ。」と言われそうです。



百歩譲って、(実際にはここにも異論があるのですが)このお願いはよしとしましょう。しかし、二グループ目のコメント群から言葉が与える印象が様変わりしてきます。



削除される可能性を示してあげてるのに、それをお伝えすることが酷いことなのかという疑問と、それを知らなかった場合はお礼の一言もあってもよいのでは?というコメントをされています。



もう、この時点でアドバイスの範疇を超えているのです。



アドバイスをするのは自由です・・・が、それを相手が受け入れるかどうかはわかりません。OYAJIさんは「アドバイスは、完全に受け入れるべきもの」という考えであり、さらに「お礼の一言もすべきもの」というスタンスでいます。




感じた結論②:「アドバイスの是非ではなく、私の是非」になってしまっている

上の二ブループ目以降、展開はおかしくなってしまいました。「転載元が不可にしてあったって、転載できるのだから」「著作者が自分で転載したものを転載したって」「善意で転載しているのですよ?」・・・などなど、様々な反論が出始め、それに対してOYAJIさんが反論・・・


結果、言及記事である「相手のアドバイスの是非について」という記事に・・・



「こうこうこういう理由で、アドバイスをしたのに、逆襲されてしまった。私のアドバイス内容はダメなの?」的な記事ですが、前述したようにアドバイスの範疇を超えてしまっています。そして、自身のアドバイスを相手に受け入れさせるために何度もコメントを行っています。


アドバイスをする行為そのものは、さして悪いことではないと思います。しかしながら、その内容・状況・表現方法によっては否定される、そして、そのアドバイスを受容するかしないかは受けた人次第ということを覚えておく必要があると思います。



「自分は、著作者で著作者人格権及び著作権を有している。だから言う権利があるのです。」という言われ方もされそうです。



それは、前述したとおりOYAJIさんの解釈であり、絶対的なものでないです。だからこそ、先程の最初のお願いについて僕は「百歩譲って」と記しました。


ですが、それ以降のコメントのやりとり・・・当然、そういったコメントにもコメント者の人格がでます。そういったもの全てを包括し、「その人のアドバイスは、受け容れられるに足るか否か?」がアドバイスをされた者より判断されます。



アドバイスという行為そのものは、誰も非難はしないでしょうが・・・アドバイスの内容・状況・時期・その後の言動に関しても判断されます。そういったもの全てを総合して「良いことでしょうか?悪いことでしょうか?」と考える必要があるかと思います。




結論③:「私であれば・・・」が当てはまらないことがある。そして、それを踏まえなくてはならない。

今まで、OYAJIさんと結構な時間、お付き合いさせて頂いてますが・・・こう感じました。



「私であれば・・・」を非常に強くうちだしている。それに当てはまらないことに対して外にうってでる。



です。



OYAJIさんは、前述の「お礼の一つもあって・・・」発言でもあるように、更には自分の予想に反しない反応に対して非常に過敏に反応をされます。



「私であれば・・・」で、相手は支配できない。相手の考えを変えることはできない。当てはまらないことがある。
「私であれば・・・」で、自分の行為を正当化することはできない。何が正しくて何が正しくないかは、外部に表現した時点で色々なものと関連し、判断される。



人の性格・気質は千差万別です。逆に「私であれば・・・」が通用しないことの方が多いと思っていた方がいいです。これは、差別でも性悪説でもなんでもない。「人が人として、個体を持つ以上、不変なこと」です。



結論①「危険予見が低い」でも述べたとおり、多分OYAJIさんは「最初のコメントで転載しないでと入れておけば誰もしないだろう」という予見をしました。「私であれば、これを転載しない」です。

しかし、意に沿わず転載されました。転載先にお願いをしに行ったら、周囲も含め逆襲をされました。「私であれば、お願いは受け入れる」にも関わらず、です。「お礼の一つでも・・・」が象徴されています。

そして泥沼のコメント応酬・・・

「私であれば・・・」のOYAJIさんは、最終的に「私がしたアドバイスって悪いこと?」と・・・「私であれば、アドバイスは甘んじてうけるもの」です。


いじめ問題を扱った善意転載記事にしたってそうです。誰もいじめ問題自体を茶化していない、転載機能による記事の頒布に対して危惧して意見記事しているのに、「私であれば、いじめ問題を扱っている記事の転載行為に批判はしない」というスタンス・・・。



「私であれば・・・」は、様々な局面において「自分だったらどうする?」と自問自答するツールとしては絶対に必要なものです。常に自分を顧みて、反省して次に生かす・・・しかし、相手の考えを変えるためや反論としてツールとして使用するには・・・危険です。


ネットの匿名性というものは、時に危険なものですが・・・逆にその人が持つ背景や肩書きを抜きに、純粋にその人の意見だけで勝負されます。


その人の意見が正しいのか、納得できるものなのか?を純粋にその人の(ネット上での)意見や行動から判断されます。


「私であれば・・・」の多用が、どういった反応になるか・・・これは、既に出ているものと思われます。




感じた結論③:「転載機能の現状の仕様・多様な解釈、低い危険予見性、私であればの気質を合わせるとOYAJIさんは転載機能を以後、使うべきでないのではないか?」

過去に示してきた転載機能の現状の仕様、そしてそれにまつわる多様な解釈・・・そして、この記事に前提としてあげた事項・・・。考えとしては・・・


転載機能は、トラックバック以上に相手の懐にもぐりこむもの


になります。


なにせ「自分の記事が相手のブログで公開されてしまう」ものなのですからね・・・。



そこにOYAJIさんの低い危険予見性が付加されます。「・・・たら」「・・・れば」をあまり考えていない(ように見える)・・・。
例「自分の純粋な善意を、転載記事で広めたたら、揶揄されないか?」



そして、予想される「・・・たら」「・・・れば」に対する対処法も、準備していない(ように見える)・・・。
例「転載記事を何らかの事情で、転載不可を余儀なくされたら、どうする?」



極めつけは・・・「私であれば・・・」です。


この気質が故に、「相手の懐に飛び込んでしまった転載記事」に対して「相手のブログでアドバイス」をする・・・その数も増える・・・アドバイスを受け入れないことに対して「私であれば・・・」です。


いくら綺麗な言葉でお願いしても、反発を食らうこともあります・・・。そして反発を食らった場合・・・更にそれに対応・・・。




泥沼です・・・(涙)




「私がどう言われようと気にしないですよ♪」とも大いに矛盾しています。どう言われようが気にしないのであれば、異論・反論に噛み付き続ける必要なありません。そして、「私がどう言われようが気にしないから相手にコメントし続ける」というのも違います。



転載機能が相手の懐に記事が行ってしまうものであり、更に色々な危険性が含まれているものであり、且つ「私であれば・・・」というスタンスを持ち続ける限り・・・。絶対にOYAJIさんは衝突します。



相手の懐に潜り込む転載機能、「私がどう言われようが気にしない」にも関わらず相手のブログに行き「私であれば・・・」的発言、反発された際に更に相乗・・・。




僕は「もう、OYAJIさんは転載機能を使うべきではないのではないか?」と思ってしまったのでした。




締めの言葉・・・皮肉なものです。


皮肉なものです・・・孤軍奮闘するOYAJIさん・・・僕自身、OYAJIさんを今でも嫌ってはいないです。しかし、いつも不思議に思います。あれだけ多数の支持者(ファン?)を得ていながら、こと騒動に関しては殆どの人が意見記事を発しない。また、明らかにOYAJIさんの言動・行動におかしな点があっても、誰も苦言を呈しない(とわさんくらいですかね?第三者にも分かるようにしているのは。)


ある意味、初心者の危険予見なのですよ。「OYAJIさんに苦言を呈すると、思いっきりコメントされてしまう。」という・・・。



そして、参考記事・・・これも皮肉なものです・・・。


OYAJIさんのところから転載されてきてますから・・・ちゃんと転載元が「楽しむYahoo!ブログの作り方♪」になってます。外見上は、著作権侵害になってないのですよ・・・。よっぽどその他の善意で転載された二次転載記事以降の記事の方が著作権侵害という点では問題です。


「著作者の意に介しない」にしたって、立証が大変です。原作者(著作者)の元にある記事を、設定されている機能で転載してきたのですからね・・・。前提①で示した過去の多くの議論から、危険性は理解しているハズなのに・・・という話になります。一応、転載した本人は「善意で」と言ってますし・・・。




本当は、僕はいじめ問題に関する善意転載記事問題には関与しないつもりでいました。しかし、最近、ぐちゃぐちゃになって訳が分からない状態にあります。だからこそ、もうケリをつけたいなと思い、この記事を書きました。



この記事は、僕なりのOYAJIさんへのアドバイス・お願いです。OYAJIさんが仰るとおりアドバイスすることは悪いことではありません。そして、僕はOYAJIさんのように僕のアドバイスをOYAJIさんに全部聞き入れさせようとは思いません。コメントで粘着もしません。


ただ・・・どこかで・・・どこかのタイミングで・・・OYAJIさんの色々な点を改める・・・いや、語弊があります・・・現在OYAJIさんが有している常識に、もう少し何かを足しておかないと・・・この転載機能に限らず、トラブルは絶えないような気がします。


睡眠時間を削って対応されているOYAJIさんに対して、大変だ・・・と思ったので記事にしてみました。




追伸:現在、OYAJIさんのブログでコメントしまくっていらっしゃる方々・・・そのコメント内容そのものに異論はありません。むしろ、賛同できます・・・が、コメントしまくってる行為そのものは、第三者の立場から見て賛同できません。皆さんが揶揄される粘着コメントと同じ土俵に立ってしまっています。伝えようとする考えが正当なものでも、伝えようとする行動がおかしいと、その考えそのものがくすんでしまいます。それは、「善意の転載記事」で論じられたこと(いじめをなんとかしようとする善意が、チェーンメールのような行為によってくすんだこと)と同じになりませんか?

ブログを持っていらっしゃらない方はコメントしか表現することができないので仕方ないにしても、ブログを持っていらっしゃる方は是非、記事にての応酬を提案したいです。

そして、OYAJIさんも、やったらやりかえすで嫌味たらたらのコメントをすべきでないっす。汚い言葉・罵る言葉は使っていなくても、文章という形になった際、嫌味・皮肉になることはあります。そして、それが引こうとした相手の気に障ることになります。自分の言葉で自分の首を絞める形になっています。

現在、双方ともコメントの悪い点(発言を精査する時間がなく、感情におもむいたものになりやすい点)だけが露出しちゃってます。


是非、ご一考ください。

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ひっそりと転載機能を考えてみます・・・その8

Yahoo! ブログの転載機能著作権法を中心とした法律の観点から考えたこのシリーズ、前回の時点でサービス提供者である Yahoo! に対して物申す!という話になりました。


その話は、他の方々と歩調をあわせながら進むとして・・・



誰かが転載可とし、誰かがボタンを押すから発生する転載記事・・・今回の件に限らず、今までに見させて頂いた騒動から感じたことを記事にし、一旦シリーズのシメとさせて頂こうと思います。



このシリーズの冒頭・・・僕は著作権を特別視しない、という表現を使いました。著作権はあくまで数ある中の一つの権利であり、他にも色々な権利が存在する、だから、いくらブログという表現する媒体だからといってその象徴である著作権だけを特別視し、絶対視したくないという考えです。




「権利をしっかりと主張したいのなら、それに値するだけの責任を果たせ」





最近は、「権利権利と主張ばかりして、義務を果たしていない者が多すぎる」などと、評論家が発しているのを耳にします。



僕は、無から有を生み出す才能・・・文章にて創作をする才能はありません。ただ、ある事象を文章にまとめる仕事をしています。そういった意味ではすごく広い意味で「物書き」のはしくれかもしれません。そんな僕が自分が生み出す文章に対して一番大事にしているのは・・・著作権という他人に対して主張する権利ではなく・・・文責という自分が他人に対して与える責任です。



文責という言葉・・・辞書を紐解いてみると、実は違った意味があるようです。


Yahoo! 辞書「文責」


なるほど・・・例えば会議などの議事録・・・複数の人間が話したことを書記係の人がメモ、そして文章に起こす。その際、会議で話された内容をちゃんと表現しているかという意味で責任を負うという意味・・・といったところでしょうか。



僕はこの文責を、もっと普通に一般常識的に・・・「書いたことに対する自分の責任」としてとらえたいなと思います。



なにも難しいことはありません。「自分で書いたこと(コメントも含む)に自分が縛られることへの覚悟」・・・ただそれだけです。




「禁煙するぞ!」という記事を書きます。読者は「あぁ、FDは禁煙するんだ」と認識します。そして数ヵ月後「あれ?FDってさ、禁煙するって言ってなかった?」という質問が出ます。「おう!できてるよ!」「いや、無理だった・・・。」
→これだって、立派な文責です(笑)ただ、自分で禁煙すると宣言しておきながら守れなかったということ。

「僕は・・・○○というブログの△△さんが好きじゃぁ~!」という記事を書きます。結果、フラれます。周囲から「お前はバカか!」というツッコミが入ります。
→これだって、立派な文責です(笑)恋愛は・・・相手あってのものですし・・・。

逆に、ブログが縁の仲だって・・・ありえるかもしれません。こればっかりは、なんともいえません。(僕はチャットが縁で結婚した方を知ってます)
→これだって、立派な文責です。責任は、悪いことばかりではありません。頑張ったことが実を結ぶこともあります(笑)(ありえないってというツッコミはどうぞご勘弁を)

「○○さんの△△の記事に対して、僕は××だと思う」という記事を書きます。そしてそれに対して賛同意見だけでなく批判・反論意見だってでます。
→これだって、立派な文責です。津波のような批判を巻き起こす書き方をしたのは、あくまで自分です。

「法律解釈」という記事を書きます。その解釈が明らかに誤っていました。そして、指摘を受けます。また「FD!あんた!なんてこと書いたんだ!あなたを信じてあなたの書いたことを友達に言ったらバカにされた!」ということもあるかもしれませんし「FDの記事のおかげで助かったよぉ」となるかもしれません。
→これだって、立派な文責です。むしろ弁護士をはじめとした士業は、これを生活の糧にしている訳です。失敗した場合の責任は大きいっす。

「怒りにまかせた記事」を書きます。(過去に経験アリ)相手に対して失礼なことを言ってしまうこともあります。そして、月日が流れて冷静に自分でその記事を読み返した時、恥ずかしさを感じることもあります。
→これだって、立派な文責です。相手を傷つけることもあるし、そんな行動をとってしまった自分に腹が立つこともあるでしょう。

「FDってヤツは、○○(差別用語)で△△(差別用語)で××(差別用語)なヤツなんだよ!」という記事を書きます。その結果、名誉毀損で訴えられたりするかも・・・。
→これだって、立派な文責です。・・・まぁ、当たり前ですか。




・・・頭の中の、誰にも影響を与えない自由世界から実世界に表現が飛び出た以上・・・なにかしらの影響を周囲に与える訳です。良い結果を享受もできるし、悪い結果に立ち向かう必要もあります。「文責」と聞くと非常に重く大きなモノを連想するかもしれませんが、実世界と同じなんです。



さてさて・・・ここに転載機能をからめます。




著作権侵害だとか、そういった難しい事柄を抜きに・・・転載機能文責が拡がる機能です。そして、転載した人も全てではないにせよ、文責を負う機能です。前述したように、良い結果を享受できるかもしれませんし、悪い結果に立ち向かう必要がある訳です。





「いやいやいやいや・・・FD、僕が拡げる転載記事は人畜無害だから大丈夫」
「いやいやいやいや・・・FD、僕が転載した記事は人畜無害だから大丈夫」





なにをもって大丈夫なのか・・・その根拠はどこにあるのか・・・僕にはわかりません。



ポチッとな♪という安易な感覚で自分の手元に持ってきた転載記事・・・その転載記事にどんな要素が含まれているのか・・・「記事の目利き」ができればよいのですが・・・もし、自分にそんな能力がなかったら・・・。自分の言葉で綴った記事は、まだ自分で責任を負えると思うのですが・・・人からもらってきた記事に、それほど責任が負えるのかという問題もあります。安易に手元に持ってきた記事は、やはり安易な責任感しか生まないような気がするのです・・・。





自分しか見えない形での転載しかできない仕様などであれば、それほど気にならないこの転載機能ですが・・・転載機能の存在を知り、深く考えれば考えるほど・・・そして、様々なトラブルを目にすればするほど・・・。




あぁ・・・自分にはきっと(責任は)負えない・・・(涙)




・・・と思うと同時に・・・厳しい言い方ですが・・・




転載を可にした時点で、起こりうる全ての事象に対して・・・受け入れ立ち向かう覚悟がいる・・・。そして、そんな機能って一体・・・。



誤解のないように・・・僕は転載機能そのもののアイデアを否定はしていません。ただ、現状の仕様から鑑みて・・・更にはこれは自分自身の実感ですが・・・記事をしっかりと書くこと・読むことの楽しみを凌駕するほどの感覚がないのです。それよりも先に責任を連想してしまうのです。



すごく難しいことばかりの記事を書けなどとは言ってません。おもしろい話や日常のとりとめのない話でも・・・趣味の話でも・・・自分が撮った写真でも・・・まずは自分から・・・そして、ブログの記事だって実世界と同様に、楽しみと同時に責任もあるんだよと・・・その認識は持っておく必要があるのかなと思います。



あぁ・・・かなりムサくるしい論調になってしまいました(涙)こうして記事として挙げた以上、これもまた僕の文責・・・「FD!なんという記事の書き方しているんだ!文責文責と偉そうにのたまってたくせに!」と言われることのないよう、文章表現力に磨きをかけたいと思います。



とりあえず、この記事にてシリーズの区切りとしたいなと思います。「閑話休題」の記事にて、色々とトラックバックを頂いており、読ませて頂いた中に「転載機能を生かすとしたら、こういった使い方だろうな・・・」と思う部分も感じましたので、また別の機会に記事にしたいなと思います。



とりあえず・・・著作権法の勉強を継続しつつ・・・地下に潜ります(笑)



実世界においては「特定商取引に関する法律」の勉強っす・・・(涙)

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ひっそりと転載機能を考えてみます・・・その7

前回までは、転載機能の仕様を著作権法といった法律面から考えてみました。そして、現時点における考え方を述べさせて頂きました。



この機能・・・転載をされる人も、転載をする人もリスクがある機能ですよね。


もし・・・第三者の著作権を侵害する転載元記事を作成したら・・・そしてそれが転載機能により頒布したら・・・。この「第三者」と呼ばれる立場の人からしたら、転載機能だろうがなんだろうが・・・最初の転載元記事の時点で著作権侵害ですからね。転載をされた人(著作者)も、転載をした人も・・・責任の多寡はあれど、第三者の攻撃対象です。



「ねぇFD・・・それだけあなた、ギャーギャーと転載機能は危険って言ってるけど・・・サービス提供者の Yahoo! が設定しているのだからさ・・・。」




そう!それなのです!




天下の Yahoo!・・・僕は経済界の事情などには全くうとい人間・・・Yahoo! の企業としての規模はよくわかりません・・・が!インターネットという媒体を活用して商売をする以上・・・一定限度の善管注意義務・・・「善良なる管理者としての注意義務」が存在すると思います。




なのに・・・なのに・・・なのに・・・(涙)




セクションが分かれている弊害なのかよくわかりませんが、この転載機能システムを構築した時点で法務部といったセクションに確認を取っておく必要があるハズ・・・。しかも同じブログ業界において、過去の転載機能に似た機能の件で噴出した問題は把握しているハズ・・・。




自社のユーザーの質(PC知識やネット知識の程度)を、把握しているハズの企業なのに・・・危険性を想定できないとは・・・。




機能設定者として・・・ユーザーを混乱に陥れた(若しくは陥れる)Yahoo! の責任は・・・大きいと思います。





消費者契約法や特定商取引法、金融商品販売法などといった消費者保護に関する法律が雨後のタケノコのようにニョキニョキと発生しています。専門知識を持った側が、知識を持っていない側に対しての説明義務・・・そして円滑な取引を目指すという風土ができ始めている訳です。




そして企業ではコンプライアンス(法令遵守)という言葉が多用されるようになりました。(ここだけの話ですが・・・すごく身動きがしにくいです・・・コンプライアンス・・・涙。あ、ここだけの話ですよ。)





そのコンプライアンスは、当然、ブログサービスを提供するにあたっても備えておくべき精神です。なのに・・・現状の転載機能・・・。




Adan Kadan Blogの阿檀さんが、ピッタリの記事を作ってくれています。この記事をもって僕のこの記事「その6」を終わらせてもよいくらいです(笑)


コンプライアンスの時代にあって~敵は本丸《Y!B》にあり♪
ウィニー裁判:元東大助手の金子被告に有罪判決






目指すは Yahoo! !・・・と、なった訳です。




さて、Yahoo! に対して物申すにあたり、一点、引っかかる要素が・・・それは「著作者人格権の不行使特約」です。


Yahoo! JAPANに送信(発信)されたコンテンツについて
Yahoo! JAPANには掲示板など、ユーザーのみなさまが送信(発信)したコンテンツを不特定多数のユーザーがアクセスできるサービスがあります。このような不特定多数のユーザーがアクセスできるサービスに対してユーザーがコンテンツを送信(発信)した場合、ユーザーはYahoo! JAPANに対して、当該コンテンツを日本の国内外で無償で非独占的に使用する(複製、公開、送信、頒布、譲渡、貸与、翻訳、翻案を含む)権利を許諾(サブライセンス権を含む)したものとみなします。また、ユーザーは著作者人格権を行使しないものとします。
なお、この条項は、他のユーザーに対してYahoo! JAPANが当該コンテンツの使用許諾をすることを約束するものではありません。
(Yahoo! サービス利用規約より引用)




今までのシリーズで書いたとおり、著作者人格権は著作者に一身専属的に備えられる権利です。著作者が創作した著作物に対して、問題が発生した場合には著作者はその相手に物申すことができます。



反面、様々な局面(例えば新着記事表示やおすすめブログ)に取り上げられるたびに、ヘンに著作権法を振りかざされクレームを受けたら企業側としてもたまったものではありません。とはいうものの、ブログ内で物凄い傑作を作成、出版などに至った場合において「いや、著作者人格権を行使しないとなってるから」などと言われても、ユーザーとしては、たまったものではありません。上の規約を文理解釈した場合、ユーザーが創作した創作物を Yahoo! に利用許諾したものとされ、それに対してユーザーは著作者人格権の行使ができないとなります。(ちなみに、著作者人格権の放棄ではありません。不行使ですからね。意味が全く違いますからね。)



この著作者人格権不行使特約・・・おそらく実務の世界には往々にしてある行為ではないかと想像します。契約の当事者、しかも著作権を譲り受ける側の立場にたって想像してみてください。


契約後、何か起きる度に「著作者人格権侵害だ!」と言われたなら・・・いかがでしょう?


ですから、この特約はわからなくもない・・・。



こんな判例を見つけました。


法律解説書の著作権事件(参照:日本ユニ著作権センター)


著作者人格権不行使という約束があるにも関わらず一律に無効とせず、様々な事情を勘案して不行使を認めるかどうかを決定しています。(この場合、著作者人格権不行使特約があっても行使されています)そうなんですよね、契約の都度、全て「著作者人格権不行使」を完全に認めてしまったら・・・事実上、著作者に著作者人格権は存在しない、となっていまいます。



「ブログサービス」という「器」を与えるだけで、創作するのは各自のブロガーさん・・・その創作した著作物に対して何かをアクションするにあたり Yahoo! 側は「利用規約で謳ってあるから」の一言で対抗できるかどうか・・・。



皆さん、この部分、各自で考えてみてください。




では・・・Yahoo! に対してどうやって一石を投じるか・・・。





先に紹介した阿檀さんが、地下に潜る宣言をされましたので・・・ここで述べるのはやめておきます。(おい、FD!実はネタが無いんじゃないか?というツッコミは・・・勘弁してください)




投じる一石が、単に水面を揺らすだけの木の葉のようなものとなるのか・・・はたまた大きな波を作ることができるものなのか・・・どうなるかわかりませんが、チャレンジしてみたいなと思っています。





さて、次回・・・「著作権よりも文責」にてこのシリーズを一旦区切りたいと思います。

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ひっそりと転載機能を考えてみます・・・その6

過疎ブログのここと異なり、以前ほどではないにせよ、各地で転載機能に関して色々と意見がぶつかっています。


ここはここのペースで進めていきます。



引き続き著作権法を勉強しているのですが、どうしても「無体財産」という観念がしっくりきていません。法律というものは、どの法律も一定の法則というか、クセというものがあると思います。そして、そこに上乗せする形でその法律が持っている呼吸というか理念のようなものがあると考えています。優秀な弁護士があまり本分としていない法律を扱う事例に出くわして、でも短期間の間にその法律を習得するのはそういった呼吸を沁み込ませる能力に長けているのではと思います。


あるアーティストが有している著作権をレコード会社が譲り受け、CDを制作・・・店頭に並んでいるCDを僕が購入・・・そして、コピー・・・そのコピーを友人にあげます。所有していたCDを、僕は中古屋さんに売ってしまい、手元にはコピーだけ・・・そして友人はコピーを元に頒布・・・。CDという具現化しているモノでなく・・・どのような著作権がどのように推移しているのでしょう?



著作者に専属的に発生する著作者人格権と異なり、いわゆる「著作権」とされる各種の権利は本当にイメージをするのが大変です。



僕はどうしても、著作権が具現化した(と錯覚してしまう)CD(有体財産)に着目してしまいます・・・(涙)



CDを「転載された記事」に当てはめてみると・・・実際に活字として表れているモノに著作権がついているのではなく、目に見えないモノ・・・記事が実際に動くというコトではなく、「転載可とする・しない」「転載する・される」という行為に着目すると・・・色々な見方ができるのかなと思ったりもします。



ちょうどタイムリーというか、事例を記事にしようとしている今、例として挙げようとした事項が実際に発生しました。



(今から示す事例及び解釈は、あくまで僕の解釈であり、裁判所などが示す判決とは異なります。絶対的なものではないことを承知しておいてください。)

【検証例】
AというブロガーがX1という記事を書き上げ、投稿、その際、転載を可としました。それをBというブロガーが転載しました。転載された記事をX1-1(一次転載)とします。その後、CというブロガーがBから転載、CのブログにはX2-1(二次転載)という記事が存在しました。同じ記事ですが、当然訪問する方々の気質は異なり、発生するコメントも異なります。X2-1記事では批判を伴うコメントが大発生しました。そこでAは今後一切転載することをやめ、「可」としていた選択を「不可」としました。それでもX1-1記事やX2-1記事からは転載者が絶えません。Aは「不可」とした以降に各所の転載記事から転載したブロガーに対して著作権法を根拠に削除を請求できるのでしょうか?

要約
1.元記事を書き上げたのはA(著作者)
2.投稿時、転載「可」としたのはA自身
3.Bが一次転載 転載記事X1-1発生
4.Cが二次転載 転載記事X2-1発生
5.転載記事X2-1にて批判コメント続出
6.Aが元記事の転載を「不可」にする
7.以後、Aは各転載記事に対して削除のお願いをする。削除要請の根拠は著作権法。
8.転載の手段は、全て転載機能を使ってのものである。



転載をしたことのない方も、転載をした方も、された方も、Yahoo!ブロガーでない方も、「自分だったらどうかな?どうするかな?」と考えてみてください。



【著作権侵害を根拠に削除要請できるか?】
「転載されてもいいよ」という意思表示の象徴である「転載可」・・・そして、途中、「やっぱり転載や~めた」と「不可」にしても・・・現在の仕様では魔法のように過去に転載された記事が消える訳ではありません。



先程のCDと同じ話・・・著作権は目に見えるモノにピッタリつく「有体財産権」ではなく、目に見えない「無体財産権」・・・。




僕が「再転載以後の複製権まで許諾してしまう」と解釈した点・・・そして、わたりとりさんが「複製権の放棄」という言葉を連想した点・・・。



転載可とした時点で、著作権侵害をもって削除要請はきびしい・難しいと考えます。



現状の転載機能に関しては、既にその詳細は知られているところです。「事実上、中身がそっくり移設される機能(氏名表示を除く)」です。転載を「可」とした時点で、その危険性については著作者も理解しているものと考えます。よって、以後「不可」にシフトチェンジしても、それ以前に行なわれた「可」の意思表示に遡って取消となるものではなく、以後「元記事からの転載ができない」という意思表示になる訳です。僕は前回の「その5」という記事で、契約書として作成して思ったのですが、転載機能により転載された時点で、転載した人もまた「転載機能によってのみ複製を許す権限をもつ著作権者」になるのではないかと考えます。だからこそ「再転載も許諾」という表現につながったのですが・・・。



Yahoo! が表明しているYahoo! ブログをお使いの皆様へのお願いの中で「無断で著作物を公開するなど、第三者の知的財産権を侵害したり、侵害を助長することの禁止」が謳ってあり、それを根拠に削除要請はできないのか?という意見もあるかと思います。


僕は、この記載にある無断という言葉に着目したいなと思います。これはまさしく「著作者に許可を得ないで、勝手に」という意味・・・右クリック&コピペなどに象徴される行為です。ところが転載機能による転載は・・・機能上認められている行為なのです。


「だったら著作者の意思は全く反映されないのかっ?!もうこれ以上、転載されるのは嫌なんだぁ~!!!」


・・・と思われる方も、いらっしゃるかもしれません。でも・・・このシリーズの「その1」で示したとおり転載機能で定められた約束事には・・・そういった事項は・・・ないのです。



事例が異なりますので完全に同じと解釈はできませんが、著作者人格権に関する判例で「やっぱりブスが好き」事件というものがあります。種々の事情を勘案し、原告が要求する著作者人格権侵害を権利の濫用として否定した事例です。参照:日本ユニ著作権センター


このシリーズの冒頭で、僕は「著作権を特別視しない」という書き方をしました。著作権は唯一無二の権利ではなくこの世に存在する様々な権利の単なる一つであるという意味です。要求する側にも権利はあるのですが、要求される側にも権利がある・・・一定の約束事をふんで行なった転載行為を無断と論じるには・・・あまりに著作権者に天秤が傾いている・・・それは法律の要求するバランスではない・・・そう考える訳です。




【では、その他の理由を根拠に削除要請できない?】
考えうる可能性としては・・・。著作権法第113条6項といったところでしょうか・・・。


名誉・声望保持権
著作権法第113条6項
著作者の名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為は、その著作者人格権を侵害する行為とみなす。



著作物の内容が改変されていなくても、侵害行為とみなす条文です。




しかし、なんでもかんでも当てはまると思ってはなりません。安易に考えてはなりません。(これくらい念押ししとかないと・・・)




こういった判例があります。(「運鈍根の男 古河市兵衛の生涯」事件参照:日本ユニ著作権センターでは民法上の名誉毀損とこの著作権法に定める名誉毀損とは種類が異なる旨の内容が記載されています。更にこの条文は「該当する著作物の利用態様に着目して名誉や声望を害するおそれがあるか?」で決まるものとも述べられています。



Yahoo!ブロガーが、そのブログの中で普通にボタンを押して転載した・・・利用態様としては・・・どうでしょうか?転載される前の元記事・・・当然「ブログの中の一つの記事」です。そして・・・転載機能によって転載される記事も・・・「転載先のブログの中の一つの記事」となります。利用態様に大きな変化は・・・ありませんよね?



「ならば、普通に(民法や刑法の)名誉毀損などすればいいじゃないか?」



・・・という疑問もあがりそうです。



そうなった時点で「著作権法を根拠としないもの」になりますが・・・ちょっと想像してみます。例えば、とある映画(音楽でもいいです)の批評をする記事が作成されました。その映画(音楽)の映像を写真として掲載し、批評・・・その中身はとても辛辣なものでした。


「駄作!」「見る価値なし!」「趣味わるっ!」「さいてー!」(およそ皆さんが想像しうる罵倒の言葉を連想してください)



名誉毀損は・・・



これは・・・名誉毀損を実務として非常にこなしている方に是非意見を頂戴したいのですが・・・ケース・バイ・ケースで非常に難しいと思います。そもそも批判というものに対して批判的(うん?表現として正しい?)なこと自体、その人自身が批判を使っちゃってる訳で・・・。



更に、「名誉毀損だ!」「名誉毀損だ!」ととめどなく相手にぶつけ続けることも・・・Yahoo! ブログをお使いの皆様へのお願いに抵触する危険がありますし・・・相手にストレスを与え、逆に相手から同様に反撃される危険も・・・。




「批判と誹謗中傷」に関連して、別記事で up しようと試みたのですが際限なく話題が拡がってしまうくらい・・・。


(余談:実は、この記事に先立ち・・・県警、検察、法務局人権擁護局及び知り合いの弁護士に電話で名誉毀損の突撃取材を敢行しました・・・「FD、ヒマなんだな」というツッコミは勘弁してください。記事として出す以上、適当なコトは書けませんから。やはり実際に事件として進めるには、色々なハードルがありますね。そりゃそうでしょう・・・相手にだって色々な権利がある訳ですからね。場合によっては、人一人の人生を大きく変える訳ですから。)



さらに、ここは僕自身も大いに自戒するべき箇所ですが・・・転載された先で批判が生じる、ということは・・・記事そのものの質・内容に問題がある可能性だってある訳です。


この「ひっそりと転載機能を考えてみますシリーズ」・・・もし、Yahoo!ブログで記事として掲載し、転載されたとします。その転載先で「ねぇ、このFDってヤツの文章、読みにくくね?」「なんか、こいつムカつく」「偉そうに!」って言われるかもしれません。でも、これって・・・転載元(自分のブログ内)でだって言われる可能性・・・あるのですよね・・・。




著作権法を根拠にできず、可能性としては名誉毀損・・・しかも、記事の扱いではなくコメント欄の誹謗中傷を主たる対象・・・記事削除は二次的な要請・・・




可能性としては、これくらいしかないかなと思います。後の可能性は・・・錯誤による無効・・・くらいでしょうか・・・。




【じゃあ、どうする?】
Yahoo! ブログをお使いの皆様へのお願いガイドラインに記載されている通り、おそらく当事者間同士の紛争に関しては Yahoo!は積極的に関与することはなく「当事者同士で適切に対処してください」の姿勢は今後も崩さないと思います。


これは、Yahoo!が面倒なことに巻き込まれるのは困るという牽制という要素、と、更には僕達ブロガーの保護の要素もあるかと思います。



名誉毀損の部分とも重複しますが、状況・原因・発言した人・発言した内容・・・同じ言葉を入力しても、意味合いが全く変わる場合がありますし、更には受け手の側の問題もあります。



それらを全て「誹謗中傷だ!」と一括りにして、Yahoo!側が判断、削除などを一手に引き受けたら・・・おそらくYahoo!ブロガーさん達は、自由闊達な表現ができなくなると思います。いつ削除されるかわからないとビクビク震えながらブログを継続していかないとならない訳です。




「だからYahoo! ブログをお使いの皆様へのお願いにあるように双方が誠実に話し合うのでしょう?」




誠実に話し合う=決着が必ずつく・・・でしたら、世の中には訴訟という言葉は消えてなくなるでしょうね。しかも声高に「ガイドライン違反だ!」と相手に詰め寄ることを誠実と見るか・・・更には片方からしたら自分の主張が通った場合が誠実なのか・・・それこそ、人によって十人十色でしょうね。





話が逸れました。転載された記事の削除に戻します。




結局・・・平に平に頭を下げ、削除して頂くことしか・・・ないように思えます。それでも相手が断固として拒否をし、且つ自分自身の著作者として許し難いと判断するようなものであったなら・・・。



しかるべき措置を粛々ととっていくしかないように思えます・・・。




ふぅ・・・おそらくこの一年間でこの話題は既に出ている内容だと思いますが、あらためて自分で記事に起こしてみて「やっぱり転載機能って、危険だなぁ」と感じてしまいました。




もし僕が、「それでも(現状の仕様のまま)転載機能を活用するためには、初心者に対してどうやって言う?」という問いかけを受けたならば・・・こうやって説明するでしょうね。




「転載機能は、可とした時点でどこまで記事が転載されていくかわかりません。もし・・・もし、将来、『やっぱりもう転載させたくない』と思った場合や『やばい!記事にヘンなこと書いちゃった!』と思った場合には、今までに存在している転載記事は、相手にお願いして削除してもらうしか方法はありません。削除するしないは、相手次第です。そういった手間がかかり危険が潜在する可能性がある機能ですから、承知のうえ使ってね。転載可として問題が発生しても、僕は一切責任負えませんからね。」




・・・でしょうか。冷たいかもしれませんが、安易にはおすすめできません。「○○で△△な処置をしたら、転載は大丈夫!」と言っても、イザ紛争に発展した場合は何も助けることができないからです。知り合ったブロガーさんが、「FDが大丈夫って言うから、転載可にしたし、私も転載して記事をもらってきたのに」と言われるのが想像できます。



初心者であればあるほど・・・その記事の内容がどういったものになるかの危険を予知できない人であればあるほど・・・僕は使うべきではないと思います。




仕方ないじゃない・・・既に機能として存在していて、否が応にもボタンが見えてしまうのだから・・・有名なブロガーは転載してくださいって言ってるし・・・。



こんな声が聞こえてきそうです。




少々厳しい言い方ですが・・・「皆がやってるから」「そこにボタンがあるから」という判断基準は捨てた方が賢明かと思います。ネットの世界に限らず、実世界においても、安易に考えていて大きな痛手を被ることはあります。その時、「知らなかった」で済めばラッキーという展開もあるでしょうが、そうでない・・・非常に不幸な展開になる場合もあります。



知らないことは恥ではありません。「知らないこと」を知った時、しっかりと学べばいいのです。しかし、「知らなかった」ではすまされないこともあるということも知っておく必要はあると思います。
(誤解のないように!僕自身だって、全知全能ではありません。知らないことだらけです。間違いだらけの人生を送っています。)




「皆がやってるから」「そこにボタンがあるから」じゃなく、「転載をしてもされても責任が負えるか」という判断基準で転載可とする、転載ボタンを押す、というものにすべきと思います。







しかし・・・こんなにモメる要素満点の機能を・・・何故 Yahoo! は搭載したのでしょうかねぇ・・・。






次回は、Yahoo! の責任に言及したいと思います。さて・・・いよいよ・・・本丸です(笑)

テーマ:雑記 - ジャンル:日記

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